どすんっ、という音で我に返った。
わけの分からぬまま、三人の男は全員目を回していた。
目の前で起きたことが信じられなかった。小さな女の子が自分を助けてくれたと思ったら、ならず者を瞬く間に叩き伏せ、大の男を軽々と投げ飛ばしたのだ。
「ふぅ」
女の子が小さく息を吐いた。汗一つかいていない。真っ黒な短い髪に、大きな目。幼さの残る顔は自分よりだいぶ年下に見える。
見たことのない武器を使っていたように見えたが、どこにしまったのか、いつの間にか消えている。見たことがないといえば、女の子の動きとは思えない凄まじい体術もそうだ。外国人のようだが、何者だろうか?
……しかし奇妙な格好だ。
上下揃いの、見たこともない模様の短い服。わざわざ裾を切り詰めているのか? その胸に見慣れない紋章が二つある。一つは白地の中央に赤い丸。もう一つは小さな青い星と、その下に同じ色の横線一本。だが紋章にしては単純過ぎる。その横の文字らしき模様といい、やはり外国人だろう。
腕と脚は黒くぴったりとした布で覆われていて、足には黒いブーツ。だがそれは鎧のように
奇妙ではある。だが全体的に洗練され、まとまりのある印象も受けた。民族衣装なのかもしれない。
そして小柄なのに、背筋を伸ばした立ち姿は雄々しさすら感じて……。
「……」
言葉が出てこない。
何か分からないが、未知の感情が胸を満たしていた。それは熱く、心臓を震わせるような……。
「ケガはありませんか?」
「えっ!?」
その子がこちらに手を差し出した。気付けば、腰を抜かしてへたり込み、杖に寄りかかっていた。よろよろと立ち上がる。
「だ、大丈夫、大丈夫……」
「それは良かったです」
実際は、大丈夫ではなかった。
初めて来た街。寝苦しい宿から出て、ならず者に絡まれ、頭が真っ白になっていた所にこれだ。足元がふわふわする感覚に酔い、ただ呆然と黒髪の少女の顔を見る。
……よく見れば、かわいい顔をしていた。自分よりも頭半分ほど背が低いせいで、余計にそう感じるのだろう。暗い路地で明るい広場を背にしたその顔は、後光がさしたように輪郭が煌めいている。
そうだ、助けてくれたお礼をしなければ。それと名前も……
「おい! 何をしてる!」
路地の奥から声がした。
振り向くと、街の警備兵だ。騒ぎを聞きつけたのだろう。
まずい、こんな惨状では、少女が一方的に捕まるかもしれない。
そう思って向き直ると、少女はもう広場の方へ駆け出していた。
「……待って!」
少女が置いていった妙な形のマントを拾い、後を追う。
「君! 待ちなさい! うわっ!?」
「に、逃げんじゃねえ!」
警備兵と、目を覚ましたならず者の声を無視して、必死で走った。
少女は異様に足が速い。
肩に食い込むリュックと、読み飽きた魔法書の重さを恨みながら、懸命に足を動かす。
黒髪が広場の反対側の道へ消えるのが、かろうじて見えた。が、そこまでたどり着いた所で限界が来た。
「はひーっ! はひーっ!」
杖を支えになんとか歩く。
諦めたくなかった。
魔法学校を卒業して以来、嫌なことばかり。七つ星の最高成績は、故郷の田舎では何の役にも立たなかった。
分からず屋の両親も、いつも男と間違えられるユリアムという自分の名前も、安宿の硬いベッドも、迷惑なナンパも。そして勢いだけで家を飛び出した自分も、何もかもすべてが嫌だった。
こんなはずじゃなかった。
卒業したら地元で大成し、輝かしい人生が待っている……と思っていた。
でも、そうはならなかった。
あの黒髪の少女が何かを、この鬱屈した現状を変えてくれるかもしれない。今さっき、自分の危機を救ってくれたように。ユリアムは根拠も何もなく、そう思っていた。
だが少女を見失った今、それもまた叶わない。自分は、この先ずっとこうなのかもしれない。きっと最後は七つ星の記念メダルを胸に、誰にも看取られること無く、どこかで野垂れ死ぬのだ。
そう思うと、ますます体に力が入らなくなった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
足が止まる。
膝に手をつき、俯いて息を整える。周りの喧騒から、勝手な疎外感を受ける。視界には揺れる金髪と、安物の革ブーツ。その背景の石畳が、じわりと歪んだ。
「持ってきてくれたんですか」
声に、顔を上げる。目の前に、あの女の子がいた。自分と違い、息一つ切らしていない。
慌てて、顔を拭う。
「あ、あの、その……」
「ありがとうございます。すみません、逃げてしまって。面倒に巻き込まれたくなかったので」
マントを手渡し、混乱する頭をなんとか宥めた。荒い呼吸のまま、肺から空気を絞り出す。
「あ、ありがとう! 助けてくれて!」
「え? ああ、それは構いません。自分が勝手にやったことなので」
「でも、私は助かったから!」
「じゃあ、どういたしまして」
少女は丁寧に頭を下げた。
「な、名前! 名前教えて! あっ……」
言ってから、自分は名乗っていないことに気付いた。慌てて名乗ろうとして、先を越される。
「自分はマナと言います」
「わ、私は……」
ユリアムは少しためらい、言った。
「ゆ、ユリ! 魔法使いのユリ!」
「魔法、使い……の、ユリ……さんですか」
マナは目を開いて驚いた様子だが、そんなに強く言ってしまったんだろうか?
息を整える。
「うん。でも“さん”は付けなくて良いよ!」
「いえ、礼儀なので。……じゃあユリさん、お元気で」
そっけなく別れようとするマナの手を、咄嗟に掴んでしまった。
「……まだ何か?」
「あっごめん……その、えっと」
何か、何かないか。マナを引き留める理由が。何か……。
その時、香ばしくいい匂いが鼻をくすぐった。近くにある、食堂からの匂いだった。
「……お腹! お腹空いてない?」
マナが、こちらに向き直った。
いつの間にか、太陽は高く昇っていた。