ユリアムがマナを連れて入った食堂は、昼前ということもあり混み合っていた。旅程を話し合う者、商談をする者、単に楽しく飲み食いする者の間を、給仕が慌ただしく行き交う。
幸い、ユリアムはマナと二人、小さな丸テーブルに落ち着くことができた。
「こんなに人気なんだから、ここはきっと名店だよ! 遠慮せず食べてね。助けてくれたお礼だから!」
「お言葉に甘えます」
妙な言い回しだが、印象は良い。この謎の少女に、ますます興味が湧いた。
ともかく、まずは注文だ。給仕に声を掛ける。
「すいませ〜ん!」
「ちょっと待ってな!」
ムッとするが、この忙しさならやむを得ない。
どう間を持たせようかと辺りを見回すと、壁の板に品書きを見つけた。焼きごてで直接刻印してあるのは定番料理。その横にかかった木札は、売り切れたものから裏返される限定のものだ。
品書きのある店は珍しいが、大きな街だから字の読める人も多いのだろう。そして、おそらくマナも字は読めるはずだ。
マナの服装は奇妙だが、仕立て自体はかなり良く見える。丁寧な態度と言葉。おまけにあの戦闘能力。きっと何らかの高等教育を受けた子に違いない。だとすれば、字くらい読めて当然だろう。
「あそこに品書きがあるよ。何にする?」
だから、そう言った。
しかし、マナは申し訳なさそうに首を振った。
「すみません。自分はこの国の字は読めないんです……」
「えっ!?」
思わず声を上げてしまってから、失礼だと気づく。
「あ、その、ごめんね。勝手に思い込んじゃって……」
「いえ、気にしていません。それより、何があるんですか?」
料理を説明しながら、ユリアムは困惑を拭えなかった。
■
注文を終え、マナに向き合う。この食事中に、なんとかマナと関係性を築きたい。そのためには、お互いを良く知るべきだ。何気ない風を装って、聞く。
「マナが字読めないのって、外国出身だからでしょ? どこから来たの?」
「ええ、まあ、そうですね。遠い……とても遠い所にある島国です。ニホンと言います」
「ニホン、ねぇ……聞いたことないなぁ。私はさ、生まれも育ちもこの国。まあ、出身は田舎だけど。で、ニホンから何しに来たの? 仕事?」
「はい、仕事です」
「何の仕事? ……ってああごめん。詮索するつもりはないんだけどさ」
急に踏み込みすぎた。だがマナは特に気を悪くしてはいないようだ。
「いえ、興味を持たれやすい見た目なのは自覚していますし。仕事はこの地域に、ある調査をしに来たんです。国からの命令で」
「国の仕事! 一人で?」
「そうですね。ニホンからこの国に来てるのは自分一人です」
「えースゴいね! じゃあマナは外交特使か何かってこと?」
「まあ、そんな感じですね。自分は、兵士みたいなものですが」
「ああなるほど、だからあんなに強いんだね」
兵士ならば、あの強さも頷ける。そして素直に、感心した。若いのに国から仕事を任され、一人異国へとやってきたのだ。何の仕事も無く、母国で右往左往している自分とは真逆だ。ますます興味が湧いた。
少し、勇気を出した。
「あ、あのさ、何か私に、手伝えることない?」
「手伝う?」
「そう! 私やること無くて……。その、マナの仕事をさ。手伝えないかな。ほら、現地の人間がいると何かと役に立つでしょ? それに、見て」
七つ星の卒業記念メダルを取り出して、マナに見せる。
「魔法学校の最高成績七つ星! 自慢じゃないけど、私魔法に関しては優秀だと思うんだよね!」
「それは……すごいですね」
なんだか微妙な反応だ。
「な、七つ星の魔法使いは雇うのも難しいんだよ? こんないい話無いよ? どんな仕事でも……というか調査ってどんな仕事?」
「詳細は言えませんが、危険な仕事です。報酬も何も出せませんし、責任も取れません。お気持ちだけ受け取っておきます」
「あっ……そ、そっか、そうだよね。ごめんね変なこと言って……」
顔が熱い。当然の話だった。
「あいお待ち!」
ちょうど料理が来て、ユリアムはホッとした。
テーブルの上に、注文した料理が並ぶ。
木のボウルに盛られているのはサラダだ。緑、赤、黄、白。色とりどりの野菜はみずみずしく、削ったチーズと、とろみのある褐色のソースがたっぷりとかけられている。
スキレットごと置かれたのはスパイスのまぶされた肉のステーキ。赤身で肉厚のそれは、まだ熱い鉄板の上でジュウジュウと音を立てている。
深めの皿を波々と満たすスープには大きな肉団子。さらに、これまた大きく切った根菜がごろごろと入っている。表面には乾燥させたハーブが振りかけられ、湯気とともに食欲をくすぐる香りを立ち昇らせていた。
「これは……おいしそうですね」
「やっぱり名店だったね! さ、食べて食べて!」
「はい。いただきます」
マナが両手を合わせて胸の前で立てた。ニホンとやらの、食事前のお祈りだろうか?
見様見真似でやってみる。
「イ、イタダキマス? どう、合ってる? これお祈り?」
マナは顎に指を当てた。
「お祈り……お祈りとはちょっと違うような気がします」
「あれ、違うの?」
「いえ、間違いでもないかもしれませんが……うーん、料理を作ってくれた人や、料理や食材そのものへの、感謝……でしょうか? ……改めて聞かれると答えに困ります。とにかく、日本の食事前の作法です」
「ふーん。あ、食べよ食べよ! イタダキマス!」
フォークを手に取り、まずサラダを食べてみる。
シャキシャキとした歯ごたえのある食感で、噛むたびにソースの味と香りが鼻を通り抜けた。後味にはチーズの酸味と、絶妙に混じる香草の爽やかな風味。実に食べ応えのあるサラダだった。
食べながら、ちらりと向かいを見る。マナの食べ方は、やはり育ちの良さを感じさせた。背筋を伸ばし、大口を開けること無く静かに食べる。田舎育ちの自分が恥ずかしくて、ユリアムはいつもより丁寧に食べた。
「一つ質問してもいいですか?」
「えっ、んぐっ……も、もちろん! 何?」
突然の問いかけに、ユリアムは慌てて肉の塊を飲み込んだ。マナは神妙な面持ちでこちらを見ている。
「さっきの調査の話です。手伝いを断っておいて聞くのもなんですが……」
マナが少し息を吸うのが、ユリアムにも分かった。
「ユリさんは、“とても大きな生き物”を知りませんか?」
「大きな生き物? うーん、大きさでいえば魔物……中でも竜が一番、かなぁ」
「竜……というと赤くて、長い尻尾に翼と角が生えていて、空を飛んで火を吹く生き物、でしょうか?」
やけに具体的だ。実物を見たことがあるのだろうか?
「それはたぶん竜だけど、見た目や能力は色々だね。竜がその大きい生き物?」
「いえ、違いますね。もっとずっと大きいです。少なくとも竜の数倍はあるはずです」
そんな巨大な生き物など、存在するわけがない。神話の怪物が何かだろうか?
「ええ……私、魔物とかにも結構詳しいはずだけど、竜の数倍もある生き物は知らないなあ」
「そうですか……」
残念そうなマナの顔。知識には自信があるのに、それですら助けになれないのか。ユリアムは歯がゆい思いをフォークに乗せて、肉に突き刺した。
そこで、ふと思いつく。
「王都に行けば、何か分かるかも」
「王都、ですか」
「そう、この国で一番大きな街。物も人もいっぱいだよ。もちろん知識や情報も」
「なるほど……」
「もし王都に行くんならさ。案内するよ!」
「……いいんですか?」
内心で拳を握りしめた。
「もちろん! 私も王都に行こうと思ってたの! でも初めてで私も不安でさ。あんな目に遭ったし。でもマナが一緒なら心強いよ!」
「うーん、でも無関係の方に迷惑は……」
もう一押しだ。
「そうだ! 字! 字が読めないと不便でしょ? 私なら読めるから! 教えることもできるし! どう!?」
「……確かに。分かりました。お願いしていいですか?」
ユリアムは、踊り出したい気分になった。変わらないはずの食堂の景色が、やけに色づいて見えた。
「もちろんだよ! よろしくね、マナ!」
「こちらこそよろしくお願いします、ユリさん」
差し出された手を、ユリアムも握り返した。小さいが、力強い手だった。