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第17話 下り、登る

 ユリアムは、すぐに走れなくなった。

 当然だ。朝から山道を登り、山頂に着いてからはろくに休んでいないのだ。

 足を止め、道の脇の木に寄りかかった。


「ぜはーっ! ふぅーっ! はへーっ!」


 山の向こうから、重々しい音が聞こえてくる。マナが、あの一つ目の怪物と戦っているのだろうか?


「マナ……」


 涙と吐き気がこみ上げたのは、走ったからだけではない。

 マナを見捨てて逃げ出した、後悔と自己嫌悪。


「うっ、げほっ……うえっ……!」


 木の根元が、胃液で濡れた。不快な酸味をつばごと吐いて、鼻で息をする。

 何も知らず、浮ついた気分でここを登っていた今朝の自分を殴りつけたかった。手垢にまみれた魔法書一つ、手放した所で何も変わりはしなかったのだ。


「うっ、あ、あぁ……あ……っ……!」


 喉がグッと締まり、鼻の奥がツンと痛む。

 その間も、音は断続的に聞こえてくる。


 ――怖い。

 今にもこの山道の向こうから、あの恐ろしい一つ目が顔を出すかもしれない。


 でも、マナは……。


「うっ……ふ、ぐっ……」


 腫れた目で、ユリアムは杖を見た。


 本当にこれでいいのか?

 マナに付いていくと決めたのは、旅行気分だったからか?


「う、ぐ……あああああっ!」


 顔を拭い、震える脚をばしばしと殴りつけた。

 理不尽な怒りを魔力に込めて、脚に回復魔法をかける。そして、駆け下りてきたばかりの道を登り出した。


「うあーっ! うぉーっ!」


 杖を振り回し、無茶苦茶に声を張り上げ自分を鼓舞する。早いか遅いか、あいつに見つかれば死ぬことに代わりはない。


 マナは言った。“必ず戻る”と、確かにそう言った。つまりマナには、あいつに勝つ算段があるのだ。おそらく、何らかの魔法少女の力で。

 でも、もしマナが勝ってもケガをしていたら。瀕死の重傷だったら。自分なら助けられる。それは自分にしかできない。だが逃げれば、それすらできない。なれば、マナと一緒にいる資格もない。


「うおおぉーっ! ……んげほっ! うぇほっ!」


 慣れない大声にむせる。それでも声を上げ、必死に前へ進んだ。


 叫び続け、フラフラになりながらも、山頂が見えてきた。もう少しだ。

 だが登り切る直前で、山が揺れた。思わず地面に手をつく。直後、身のすくむようなすさまじい音が響いた。


「わぁっ! な、何!?」


 立ち上がり、小走りで山を登り切る。


 開けた視界に、盆地が見えた。靄の晴れたその中心に、灰銀色の巨大な何か……竜のような物が立っていた。


「え、何あれ……?」


 さらに混乱する現象が起きた。靄がその中心から、波紋を広げるように消えていくのだ。廃墟が姿を現すが、あの一つ目の怪物はどこにもいない。ただ灰銀の竜の周囲に、凄まじい破壊の痕跡だけがあった。


「ど、どういうこと? あれは何? マナは? 怪物は?」


 疑問に答えてくれるものはいない。

 とにかく、今はあの竜だ。杖を突き出し、先端で円を描く。空気の膜を覗くと、刺々しいその体がよく見えた。


 遠方からは竜に見えたが、体型も顔つきも竜とは違う。何より、その常識はずれの巨体。


 そして、別の違和感もある。角ばった角や、鎧のような体からは、生物感が感じられないのだ。灰銀色に鈍く光る表皮も、まるで金属のようで……。


 ふと気付く。

 あの質感は、ミフロンに似ている。


 ――あれはもしやマナが呼び出した、使い魔の竜なのではないか。マナは魔法で物を収納できる。その大きさに制限がないならば、あれを顕現して怪物と戦ったのではないか?


 戦いの音、破壊の跡、消えた怪物、廃墟に佇む巨大な竜。


 辻褄が合う気がした。

 ならば、やはりあれは……。


 躊躇のたがが外れていたせいか、ユリアムは思いつきをすぐに行動に移した。


「おーーーーい!!」


 杖を大きく振り回し、竜に向かって呼びかけた。静かな盆地に、声がこだまする。

 呼びかけが届くかどうか、答えはすぐに出た。竜がその青い目で、はっきりこちらを見たのだ。二つの目には、殺意も敵意も感じられない。


 ユリアムはもう一度、今度は喉も破れんばかりに叫んだ。


「マーーナーーッ!!」


 ――遠視魔法越しでなくとも、が見えた。


 こみ上げるものを、止められなかった。泣いているのか、笑っているのか、自分でも分からなかった。ごまかすように、両腕を振り返し続けた。


 ぼやけた視界の中心で、灰銀の煌めきが左右に揺れていた。

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