封鎖を乗り越えようとしたとき、竜の手が動いた。
「えっ? 何?」
胸の前に上げた両手で、こちらを押すような動作。戻れ、の意か。
なぜだ、と思った。瘴気も消えたし、マナの元へ行って何が悪いのか。竜を指差し、その場で走るように素早く足踏みをする。
竜は右手を顔の前に立てて、左右に振った。続けて、上げた両手を斜めに交差させる。ダメ、なのか。
「なんでさ……!」
マナがどこにいるかは分からないが、あの竜の視界からは、こちらがよく見えているらしい。ならばと腰に両手を当て、思い切り不満げな顔を見せつけた。
それを見た竜はこちらを手で指す。次に前に出した両手を下に向け、上下させた。
落ち着け? いや……。
「ここで待て……?」
ユリアムは自分を差し、次いで自分の足元を指差しながら首を傾げた。
竜が頷きながら、両手で大きく◯を作った。
「ふふっ……」
ユリアムは息を漏らしてしまった。あんなに巨大な竜と、身振り手振りだけで意思疎通しているのだ。必死なマナを想像するだけで、すべてが許せる気がした。
ずしん、ずしんと歩いてきた竜は、山の麓で突然消えた。青い光の残滓の中に、マナが現れ落ちていく。
「あっ!」
中にいた事実と、落ちていくマナに二つの意味で声を上げてしまう。だがマナはふわりと減速し、無事に地上に降り立った。ほっと胸を撫で下ろす。
ほとんど駆け上がるような勢いで、マナは山頂に戻ってきた。珍しく、その息は少し荒い。
「ユリさん!」
「マナ〜! 大丈夫!? ケガしてない!?」
「自分は大丈夫です。それより、なぜ逃げなかったんですか」
声に混じる咎めの色が、胸を締め付けた。マナの思うほど、自分に度胸は無い。
「に、逃げたけど、戻ってきたの! マナが心配で……」
「そうでしたか。しかし……」
マナは言い淀んだが、すぐに表情を緩めた。
「いえ、もう済んだことですね。心配してくれてありがとうございました」
「う、うん。あの怪物はどうなったの?」
「倒しました」
「倒した!? どうやっ……」
灰銀の竜。
「あの、手を振ってた竜で?」
「竜?」
「ミフロンと同じ色のやつ」
「ああ。はい、そうですね」
「あれは何? それにあの怪物も、何なの? マナは知ってるの?」
「歩きながらでいいですか? 一旦キャンプに戻りましょう」
「あっ、うん」
山道を下る前に、ユリアムは振り返って盆地を見た。化物の姿は、やはりどこにもなかった。
■
「そのカイジュウってのを駆除して、ニホンに来るのを防ぐのがマナの仕事……なの」
「ええ、そうです。その原因も探して、出現を止めるのが最終目標です」
道を歩きながらマナと話す。この道を通るのは、今日で四度目だ。
マナの使命は、突飛過ぎてピンとこなかった。そもそも“カイジュウ”とやらがよく分からない。それにマナが入っていた、あの灰銀色の竜も。
「あの竜みたいなの、マギラって言ったっけ?」
「はい。あれが、怪獣と戦うための装備です」
目が回りそうになった。どう見ても、装備品などというレベルの代物ではない。
「装備って……マナがその、マギラを着てるの?」
「着てるというよりは、乗ってますね。魔法で動く機械の乗り物です。正式名称はマインドフォージ・アダプティ……」
嫌な予感がした。
「待って! それ聞かなきゃだめ? マギラだけでもいい?」
「問題ありませんが……」
胸を撫で下ろす。理解力の許容量は保たれた。
マギラは気になるが、カイジュウと戦うためのマナの武器、という認識でいいだろう。
次はその、カイジュウだ。
「でその、カイジュウって何なの?」
「人に害をなす巨大な生き物です。何度も日本を襲ったそれらを、自分たちは怪獣と呼んでいます」
「今、マナが戦ってきたのも……?」
「はい。間違いありません。怪獣は死ぬと塵になって消滅します。あの単眼の怪獣も、そうして消えました。そんな生き物を、他に知っていますか?」
首を振る。死ぬと消えてしまう生き物など、聞いたこともない。
それより、“この先にいたヤツも消えた”という言葉が引っかかった。
「……マナはその、カイジュウを殺したの?」
「はい」
いつも通り淡々としている。
だからつい、その先の疑問まで言ってしまった。
「殺しちゃって、いいの……?」
「……というと?」
視線が強くなったのを感じる。でも、勢いづいた口は止まらなかった。
「竜もね、人や街を襲うことがあるの。でもそれには理由がある。同族をひどいやり方で殺されたり、卵を盗んだりすれば、竜は復讐に来るの」
「……」
「あの街を襲ったのは許せない。でも、そのカイジュウにも何か事情があったんじゃないかな?」
「……言いたいことは分かります」
最後まで聞いてから、マナは口を開いた。
「日本でも、最初は怪獣と共存できないか模索したそうです。餌付けや隔離、意思疎通を試みました……。今でも一部の人は怪獣を殺すな、彼らも自然の一部だと主張しています」
「じゃあ、なんで?」
マナが息を吸い、こちらを見た。
「怪獣が、食事も睡眠も取らず、繁殖すらもせず、ただひたすらに街や人を襲う存在だと分かったからです。自分の家族も全員、それで亡くなりました」
「っ……!」
ユリアムは立ち止まった。カイジュウなど、もはやどうでもよかった。
足元が崩れ落ちるような後悔に、唇が震えた。
「……ご、ごめんなさい。私、知らなくて……」
「いえ、家族のことは、もうどうでもいいんですが」
「えっ?」
思わず、マナの顔を見た。マナもこちらを見ていた。
「済んだことですし、今更どうしようもありません。それより、とにかく怪獣は……」
マナは話し続ける。怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えない。見慣れたはずのその顔が、知らない誰かのように見えた。