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第6話 耐久性よりも重要なのは防音性

 なんということでしょう。

 ホームベースばりに攻撃的だったフォルムは、高名な彫刻家がミクロ単位で粋を凝らしたかのような美しいたまご型の輪郭に。

 小動物くらいなら丸飲みにしてしまいそうだった巨大な顎門あぎとは、瑞々しい果実を思わせ今にも讃美歌か花言葉を紡ぎ出しそうな可憐な唇に。

 雄々しさと力強さで象り他を圧することのみ追及したかのようだったワシ鼻は、真っ直ぐ通った高さのある綺麗な鼻筋に。

 魂まで吸い込まれそうな深淵のごときバイザー部分は、風に揺れる長いまつげを備えた穏やかで美麗な二重まぶたに。

 全体を通して悪魔的にドス黒かったメタリックカラーは、長年の健康的な生活に加えて紫外線から守られてきた甲斐あって透き通るような白い肌に。


 ヘルムを外す前と後のギャップが凄まじすぎて、俺の心臓は、もはや狂乱状態。

 トマトを握り潰したみたいに爆散しそうである。


「ライナさん、プロポーズの件ですが」

「気にするな。私は最初から本気にしていない」

「いえ、やっぱり今すぐ結婚してくれませんか?」

「何を血迷ってそうなった?」

「絶対に貴女を幸せにします」

「無職の男にそう言われて、首を縦に振る女がいると思うか?」

「将来性を買っていただければ」

「悪フザケでも結婚などと口にした手前、男として引けなくなっているようだな」

「心外です。ライナさんへの想いに、いささかの陰りもありません」

「あっそう」


 渾身の告白に対する返事が「あっそう」だった件。

 もう少しくらい関心を示してくれてもバチは当たらないと思う。


「そんなことより、重要なのは今夜の宿だ。多少の蓄えはあるから数日なら世話をしてやれるが、これは貸しだ。仕事を見つけたら、少しずつでも返してもらうぞ」

「わかっていますよ。結婚前に所有していた財産は、あくまでも個人資産であり、共有財産にはなりませんからね」

「微妙に論点がズレている気もするが、まあいい」


 ライナさんの先導で、俺たちは宿場通りへと向かうことにした。

 隣国との交易中継地点になっているというだけあって、宿の数は豊富だそうだ。

 空いている部屋がひとつしかなくて、仕方なくライナさんと同室に……。

 なんてラブコメ展開は望めないだろう。


 この時の俺は、そう考えていた。


「そういえば、ヘルムを外したままですけど、もう被らないんですか?」

「隠す意味がなくなったからな。正直、視界が悪くて装備品としてはイマイチだ。元々が魔除けの飾り物で、実用品とは言えないので仕方ないが」

「それでも被っていた方がいいと思います。虫除けになりますし」

「今の時期、虫刺されの心配はしなくていいと思うが?」

「そういう意味の虫ではなく」

「?」


 わからないかー。

 ライナさん、容姿に関する自己評価が地中にめり込む勢いで低いな。

 今もすれ違う人々が、必ずと言っていいほどライナさんをチラ見しているのに、なまじヘルムを装着していた時から好奇の目で見られることに慣れているせいか、どういう種類の視線を向けられているのか、まったく気づいていない。


「そうそう。私も訊いておきたいことがあったんだ。クロイはどうして私が女だとわかったんだ? この3年、誰にもバレずに隠せていたというのに」


 夫婦間で隠し事はしたくない。ここは本当のことを話そう。


「俺には初対面でも他人の名前がわかるっていう、神様の加護がついていまして。名前が視えるついでに、性別もわかる仕組みになっているんです」

「そんな与太話を信じろというのか?」

「事実なので、他に言いようがないですし」


 思案顔になったライナさんが、ぽつり「試してみるか」と呟いた。

 何をするのかと思いきや、雑多な人通りをきょろきょろと見渡し始める。


「よし、彼にしよう。荷物量からして、この町の住人ではなさそうだ。そんな男の名前が本当にわかるというのなら、信じてやってもいい」

「え? どこです?」

「私が指差している50メートルほど先だ。大きな荷物を背負った男が、こっちに歩いてくるだろう?」

「あー、よく見えますね。えーと……ディーボ……バルフェルト……かな」

「ふっ。今適当に考えたな? では答え合わせといこう」


 言うが早いか、すたすたと歩いて男に近づいていく。

 まさかの直で確認。ライナさんって、行動力のある人なんだな。好き。


「失礼。少しいいだろうか」

「え、わたくしですか?」


 ライナさんに呼び止められた男が、ドキッとしてから、露骨に頬を緩ませた。

 彼女ほどの美人に話しかけられたら、浮き足立つのも無理はない。


「いきなりで戸惑われてしまうかもしれないが、差し支えなければ、貴方の名前を教えていただけないか。職務質問とかではなく、その……個人的な理由というか、純粋な興味から貴方のことが知りたいんだ」

「訊き方ァ!」


 慌てて割って入り、そのままライナさんの手を引いて男から引きはがした。

「わたくし、行商をしているディーボと申します! よければお食事でもー!!」と後ろから聞こえてくる大声も、聞こえない振りをして足早に立ち去る。


「何かまずかったのか? いや、それよりも……偶然……ではなさそうだな」

「信じてもらえましたか?」

「……二言はない。神の加護というのはともかく、クロイに不思議な力があるのは信じなければならないようだ。疑って悪かった」

「気にしていませんよ」


 この潔さ、ほんとカッコイイ。好き。


「宿はもう決めているんですか?」

「騎士の間でよく名前が出ていた宿にしようかと思う。安宿でも文句言うなよ」

「どんな劣悪な環境だろうと、ライナさんが行く所なら、たとえ火の中、水の中。どこまでだってお供しますよ」

「私としては、さっさと自活してほしいんだが」



          ◇◆◇



《まどろみの酒蔵亭》

 なるほど。

 寮暮らしの騎士間で話題になるからには、評判の正体はベッドの柔らかさ以外にあるのだろうと思っていたが、兼業している食事処が繁盛しているようだ。

 加えて、女将さんが若くて美人なのも理由のひとつだろう。


「俺はライナさん一筋ですけどね」

「唐突になんだ? 気持ち悪いな」


 ライナさん、俺に対する物言いに遠慮がなくなってきたな。

 着実に距離が縮まっている証拠だと言えよう。


 俺は素寒貧なので、受付はライナさんに任せる。早くヒモを脱却せねば。

 女将さんが「二名様ですね。お部屋はどうされますか?」と尋ねてきた。


で。数日利用することになると思う」


 ライナさんが事も無げに即答した。


「ベッドはふたつの部屋になさいますか?」

「ひとつだと、ふたつの部屋より安価になるのか?」

「二名様でベッドふたつの部屋は銀貨4枚ですが、ひとつの部屋は銀貨3枚です。ですが、二人で使っても充分な大きさですし、耐久性もありますからご安心を」

「なら、ひとつの部屋で頼む」


 女将さんが「まあ♡」と口元を手で隠し、興味津々に目を輝かせた。


「ライナさん、待ってください。それはまずいですって」

「何故だ?」


 いや、疑問に思われることこそ、何故だ? ですけど。 


「いろいろと、ほら、あるでしょう。若い男女なんですから」

「若い男女?」

「どうしてそこで女将さんを見るんですか?」

「私と相部屋では、女将どのに夜這いをかけられないと言いたいのかと」

「女将さんを巻き込まないでください」


 女将さんも「あらあら、どうしましょう♡」じゃないです。

 なんで満更でもない顔しているんですか。


「ああ、そういうことか。クロイの言いたいことはわかった」

「ご理解いただけましたか」

「だがな、私たちにを気にしている余裕はないんだ」

「体裁とかいう問題では」

「私は騎士をクビになって、収入がなくなったんだぞ? その上、支給されていた装備も回収されてしまったから、新しく揃えるのも自腹を切らなくてはいけない」

「新しく揃えるということは、騎士に戻るのは諦めてくれたんですね」

「大事なのはそこじゃない。節約できるところはすべきだと言っているんだ」


 どう考えても、今じゃないと思う。


「原因が俺にある手前、強く言えませんけど、男と同じ部屋で安眠できますか?」

「なんだ、私を一応でも女扱いしてくれているのか?」


 一応どころか、俺的にはファーストレディ扱いなんですが。


「そんな気遣いは不用だ。そもそも、私に劣情を催すような男がいるはずもない。いたとしたら、そいつは馬が相手でも腰を振るだろうさ」


 その理屈で言うと、俺もさっきのディーボ君も、馬に欲情する変態ということになってしまうんですけど。

 自嘲するでもなく、からからと笑いながら、ライナさんは部屋の鍵を受け取ってさっさと歩き始めてしまった。議論の余地はないらしい。

 肩を落としてライナさんを追いかけると、後ろから女将さんが「頑張って♡」と楽しそうにエールを送ってくれた。


 記念すべき異世界生活一日目。向こうの世界を忍ぶでもなく、別の理由で眠れぬ夜を過ごすことになったのは言うまでもない。


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