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第7話 最初は期待されていない方が評価の伸び代は大きい

 それは、愛する女性が無防備に隣で寝ているにもかかわらず、鋼の理性でもって夜通し耐え忍ぶという、超高難度クエストを完遂して気が緩んだ早朝に起こった。


 ライナさんがまだ可愛い寝息をすやすや立てていたので、ひと足先に部屋を出た俺は井戸の水を汲ませてもらって顔を洗った。

 目元にできたクマを見た女将さんが「ゆうべはお楽し……めなかったんですね。次がありますよ」と励ましてくれたのが沁みた。


 軽くラジオ体操をこなし、せいで凝り固まった身体をほぐす。

 ライナさんって、あれだ。

 俺を男と見なしていないとかじゃなくて、自分を女だと思っていないんだ。

 俺がもし「朝ですよ。起きてくださーい」なんて言いながら、さりげなくお胸をモニュモニュしたとしても、許されてしまう気がする。

 そんな環境にいて、はたして俺の理性はいつまで持つだろうか……。


 話を冒頭に戻して。

 しっかりと眠気を飛ばしてから部屋に戻った時のことだ。

 ライナさんを起こさないように気を遣い、ノックを省いて静かに扉を開けたのが失敗だった。


 ライナさんは既に起きていた。

 そして、お召し替え中だった。


「す、すみません、わざとでは!」


 俺と目が合ったライナさんが、慌てて胸元をシャツで隠している。

 そんな女性らしいリアクションを意外に思いつつ、俺の頭の中は「やらかした」という後悔でいっぱいだ。確実に嫌われてしまった。

 ……かに思えたが。


「あ。そういえば、もう性別を隠す必要はないんだったな。胸を見られまいとして無駄に焦ってしまった。長年の習慣というものは、すぐには抜けないようだ」

「ちょっ、待っ、ありがとうございます!」


 苦笑しながら、ライナさんが胸を隠していた腕を下ろしてしまったものだから、俺は思わず礼を口走り、床に頭突きをする勢いで土下座した。


「それは何の土下座だ?」

「女性の裸を見てしまったことへの謝罪です」

「下は履いているぞ?」

「それで無罪を勝ち取れるのは、見てしまったのが男の裸だった場合だけです」

「そういうものか。なんでもいいから顔を上げろ」

「もう上は着てくれましたか?」

「まだだが?」

「直ちに着てください」


 ライナさんは、いろいろと無知な俺のことを常識知らずだと思っている。

 この世界の常識に疎いのは認めよう。

 でも言わせてほしい。


 どっこいどっこいだと。


「うーん……サラシで胸を潰さなくていいのは手間がかからない反面、胸が揺れて動きづらいな。先端がこすれるのも気になって集中力を欠くし。これはいよいよ、女性用下着の購入を検討しなくてはならないかもしれない」

「検討ではなく、最優先事項でお願いします」


 訂正。

 俺よりも、ライナさんの方が間違いなく非常識だ。


 そして追伸。

 ライナさんは、結構ある。



          ◇◆◇



 少し硬いが焼きたてで香ばしいパンに、黄身が非常に大きな目玉焼きとサラダ。それと柑橘系の果実を搾ったジュースを宿の食事処でいただいた。

 もちろん、支払いはライナさん持ちだ。申し訳ない。

 朝食を済ませ、小腹を満たしたところでライナさんが切り出した。


「今後の方針を相談しよう」

「結婚式のプランですか?」

「私は真面目に話しているんだが」

「奇遇ですね。俺もです」


 俺の眉間にライナさんの手刀が入った。

 本気じゃないとはいえ、それなりに痛い。

 痛いが、ライナさんからのボディータッチだと思うだけで喜びが勝る。


「私は冒険者になろうと思う」

「冒険者ですか。悪くないですね」

「よくわかっていないクセに、知ったかぶりをするな」

「さすがはライナさん。ご明察です。冒険者について、ご教示いただけますか?」

「まったく。一度しか説明しないからな」


 不満を漏らしつつも、親切に説明してくれるライナさん。好き。


「冒険者とは、ギルドを通した依頼をこなして報酬を得る者たちのことだ」

「ギルド。定番ですね」

「定番?」

「お気になさらず。続き、お願いします」

「12歳以上であれば、男女を問わず誰でも冒険者になれる。また、騎士と違って他の職業との兼業も可能だ。ただし、すべて自己責任で保障もないから、安定とは言い難い。違反行為に対しては、ギルドから厳しい罰則もある」


 騎士は公務員で、冒険者は日雇いアルバイトって認識に近いかな。

 すべて自己責任っていうのがブラック寄りだけど。


「前にチラっと話に出た《星》というのは?」

「冒険者の位を表す指標だ。駆け出しの一ツ星から、最高で七ツ星まである」

「ふむふむ。受けられる依頼も、この星が基準になるわけですね」

「そうだ。理解が早いな」


 フィクションですけど、これ系の創作はそれなりに見てきましたから。


「安定とは縁遠いが、その分、活躍次第では得られる報酬に上限がない。爵位などなくとも、富や名声も思うがままだ」

「ロマンがありますね」

「騎士の場合、どんなに活躍したとしても、位に応じた固定給だからな」

「星は、達成した依頼の数や評価で増えていく感じですか?」

「そのとおり。三ツ星くらいになれれば、依頼と生活に困ることはないだろう」


 星の数と強さが必ずしも直結しているわけではないらしいけど、目安としては、次のような感じだそうだ。


 一ツ星・・・戦うな。薬草採集か雑用依頼をこなせ。

 二ツ星・・・まだまだ一般人。絶対に無理はするな。

 三ツ星・・・ゴブリンやウルフが相手なら勝てそう。

 四ツ星・・・オークやゴーレムにも単身で挑めるぞ。

 五ツ星・・・大きな町でもヒーロー扱いされちゃう。

 六ツ星・・・七ツ星には及ばないけれど国民的英雄。

 七ツ星・・・並び立つ者がいないほどの歴史的英雄。


「ほとんどの冒険者は、三ツ星で頭打ちだと言われている」

「だけどライナさん、オークを瞬殺していましたよね。ということは、少なくとも四ツ星相当の強さがあるってことですか? 凄いですね」

「…………だとしても、最初は誰しも一ツ星からだ」


 おや?


「今、ちょっと照れました?」

「は? 照れていないが?」


 表情は「スン」としているけど、ほんのり赤くなっている頬を俺は見逃さない。

 声帯と血管がブチ切れるくらい彼女の可愛さを世界中に向けて叫びたかったが、これを懸命に堪え、既に中身が空のカップを口に傾けた。


「……で、だ。クロイも冒険者にならないか?」

「俺が冒険者に?」

「一人よりも、二人の方が心強いだろう?」

「それは将来を共に歩もうという、愛の告白だと受け取ってよろしいですか?」

「よろしいわけないだろう」


 ライナさんくらい強いなら、俺のことなんて気にせず一人で冒険者になった方がフットワークは軽いし、実入りだって確実にいいはずだ。

 俺も運動神経が悪いわけではないけど、戦闘においては素人ですらない。

 それなのに誘ってくれたのは、俺を心配して見捨てられないからだろう。

 ライナさんと夫婦めおと冒険者になるというのも、それはそれで夢のようではあるが。


「すみません。俺は騎士になるって決めていますから」

「意地を張るな」

「張りますよ。ついでに体だっていくらでも張ります」

「なぜそこまで」


 ライナさんならわかるはずだ。

 大切な人の助けになりたい。隣に並び立ちたいという、譲れない想いを。


「ライナさんが、俺のヒロインだからです」


 ヒロインに相応しい存在。

 そんなもの、ひとつしかないだろう。


「俺は、ライナさんのヒーローになりたいんです」


 なりたいって言うか、なりますけどね。

 ライナさんは続けて何か言おうとしたけど、言っても無駄。俺が折れないことを察したのか、代わりに大きなため息を吐いた。


「騎士の採用試験は半年に一度。年に二回行われる」

「1年は12カ月ですか?」

「…………そうだ」

「1カ月は何日です?」

「30日に決まっているだろう」

「28日や31日の月は?」

「ない」

「つまり、一年は360日ですか。まあ、誤差かな」

「…………」


 思ったとおりだ。ヘルムなしだと、破壊力がまた格別ですね。

 そんな冷えっ冷えな眼差しを向けられたら、好きが臨界点突破しそうです。


「次の採用試験はいつなんですか?」

「確か、カ月後だ」

「先月終わったばかりですか。タイミングが悪いな」

「あのな。騎士になるには、算術などの基礎学力に加えて、戦闘能力の有無だって測られるんだ。試験に備える時間が必要だとは思わないのか?」

「多少は思いますよ。学力に関しては、これでも国立の有名大学を出ていますし、記憶力にも自信がありますから問題ないだろうと楽観していますけど、戦闘面では不安が無いと言えば嘘になりますね」

「こくりつ……何?」


 レンゲスたちのようなクズでも騎士をやれているんだ。

 5カ月もかけて準備をすれば、普通に合格できると踏んでいる。

 しかし、それまでの間、ライナさんのヒモを続けるのか? 冗談じゃない。

 試験までの間だけ冒険者業をするという選択肢もあるけれど、俺は一日でも早く騎士になって功績を上げ、叙爵してライナさんに再度プロポーズしたいのだ。

 5カ月は長すぎる。

 なので、やはり正攻法は諦めよう。


「ライナさん、言っていましたよね。貴族の推薦で入団する方法もあるって」

「いや、まあ、言ったが。正規ではない方法で入団しても、他の騎士から後ろ指を指されるとも言っただろう?」

「俺は気にしません。有象無象にどう思われようと、痛くも痒くもないので」

「変なところで強いな……」

「それに重要なのは、どうやって騎士になったかじゃない。騎士になってから何を為すかだと思います。ならば、この国を、大切な人々を守るという確固たる信念を貫くことこそが、騎士であるために必要な唯一の資格ではないでしょうか」


 とか言ってみたりして。

 さすがにゴリ押しが過ぎるだろうか。


「言われてみれば……。確かにそのとおりだ。すまない、私が間違っていた」


 ああもう、ライナさん、愛しています。


「というわけで、コネが欲しいですね。このテドンの町に貴族っていますか?」

「領主が子爵位を持っているが、何をするつもりだ?」

「要は、貴族に恩を売ればいいわけですよ」

「簡単に言うな」

「ご安心を。元手と手間がさほどかからず作れて爆発的に人気が出そうな嗜好品をいくつかリストアップしています。この中で市場に出回っていない物がひとつでもあれば、こっちのものです」


 今度、試験的に作ってみるので、ライナさんにご馳走させていただきます。

 スマホみたいなオーバーテクノロジーはさすがに無理だが、アイスクリームとかポテトチップスとか、調味料ならマヨネーズとかな。一般家庭でも作れるレベルでいいなら俺でも充分に再現可能だ。


「他にも、一晩宿に泊まってみて、需要がありそうな日用品を多数考えています。これらの利権を適当に領主に譲れば、余裕でお釣りがくると思いますよ」


 騎士になった後は、どうするかな。

 国に生コンクリートの技術でも売りつけてみようか。

 それだけでもあっさり叙爵できそうな気はするけど、戦争に使われそうな技術に責任は持ちたくないんだよな。

 あとはまあ、急に経済を動かすことになるだろうから、職を失ってしまう人間が出てこないとも限らない。もれなく妬み嫉み、最悪恨みを買うことになる。

 とはいえ、恨みを買っていようがいまいが、刺される時は刺されるけどな。

 俺が言うと、説得力があると思う。


「ま、やり過ぎてしまわないよう、匙加減だけは難しそうですね」

「よくわからないが、やれるものならやってみろとしか言えないな」


 このまったく期待されていない感じ……。

 いいね。むしろ逆に。

 ここからどう変わっていってくれるのか、今から楽しみだ。


「ただまあ、これらで利益を得るのは、正直不本意という気持ちもありますね」

「不本意? どうしてだ?」

「どれも俺自身が考案したものじゃないからです」

「……盗作ということか?」

「とは少し違いますし、発明者たちに迷惑がかかることも絶対にないんですけど、ライナさんの夫となる男なら、自分の力ひとつで道を切り開くべきではないのか。そんな葛藤があるわけです」

「どうでもいいな」


 ブレない貴女が好きです。

 でも……待てよ。

 無関心を装いつつも、本当は詳しく話を聞いてみたい。

 でも最初に興味ない振りをしてしまったから、今さら照れくさくて言えない。

 とか。


 そう考えると……。

 ヤバい。ライナさんが可愛く見えて仕方がない。実際可愛いけど。

 どうしよう。この可愛さにお礼を言いたい。


「とりあえず、適当な塩梅のモノを考えておきます。上手くいったら大金が入ってくるでしょうし、そしたら一戸建てでも買いましょう」

「大言壮語。……という感じでもないな。本気で言っている目だ」

「本気ですし」

「お前はいったい何者なんだ?」

「言ったでしょう。近い将来、ライナさんの夫になる男ですよ。乞うご期待」

「極めてどうでもいいな」

「ありがとうございます!」

「なぜ今、礼を言われたんだ?」

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