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第9話 100の言葉より1の行動

「これが冒険者カードだ」


 発行された冒険者カードを、ライナさんがどこか複雑な面持ちで見せてくれた。

 顔写真は無いが、大きさや硬さは運転免許証にそっくりだ。

 一ツ星冒険者だとわかるよう、名前の下に☆マークが一個付いている。

 このカードに「受注クエスト」「達成クエスト」「失敗クエスト」等、冒険者の活動記録が印字されていくそうだ。

 礼を言って、冒険者カードをライナさんに返す。


「こうして形にすると、自分が本当に騎士から冒険者になったんだと実感するな。再出発を切る決心が、やっとついた気がする」


 そう言いながらも、表情にはわずかな影が差している。

 騎士への未練を完全に断ち切るには、もう少し時間がかかるだろう。

 でも心配しないでください。俺がいる限り、貴女の夢は終わらせませんから。


「これで依頼を受注できるようになったが、一ツ星では生活を支えるほどの稼ぎを期待できない。待っていろ。すぐに星を増やしてやるからな」


 俺にではなく、冒険者カードに向かってそう言い、まだひとつだけで寂しそうな☆マークに「ちゅ」とキスをした。


「ライナさん」

「なんだ? 神妙な顔をして」

「もっとよく見たいので、もう一度冒険者カードをお借りしても?」

「何か良からぬことを考えていないか?」

「ライナさんと同じことですよ。俺たち二人の幸せな未来に思いを馳せています」

「微塵も同じではないし、冒険者カードは身分証を兼ねている。おいそれと他人に触れさせていいものではない。一度見せてやったんだから、諦めろ」


 間接キス失敗。


「ライナさんは、このままクエストの受注を?」

「そのつもりだ。一ツ星は、雑用でもなんでも、とにかく足を使って数をこなし、信用を得ることを第一としなければならないと聞くからな」

「なるほど。討伐クエストだったら俺に出番はないかなと思っていたんですけど、それであれば、一人より二人ですね」

「当たり前のようについてくる気だな」

「夫が妻を支えるのは常識ですから」

「会ったばかりの男が許可した覚えもないのに夫を名乗り出すのは、常識以前に、常軌を逸していると思うが」

「それはつまり、真実の愛の前では呼称など些細な問題ということですね」

「会話をしてくれないか」


 二ツ星にランクアップするには、最低でも三十のクエストを完遂し、仕事ぶりに対する高評価を集めなければならないという。

 なかなかに面倒な条件だが、ライナさんなら心配無用。

 俺が全力でお力添えさせていただきますので。


 改めて意志を固め、二人してクエスト掲示板の前へ移動した。

 掲示板のスペースだけでは足りず、依頼書が壁にまではみ出している。

 冒険者が足りていないのか、それ以上にクエストの供給が多いのか。


 すべての依頼書には星が一~七個付いており、難易度の指標になっている。

 とはいえ、星が六個以上の超高難度クエストともなると、国家存亡にさえ関わる大事件なので、掲示板に張り出されること自体、数年に一度くらいだそうだが。


「例えば、この依頼書でしたら星がふたつ付いていますけど、これは二ツ星以上の冒険者でないと受けられないってことですか?」

「そのとおりだ。ただし、他にもクエスト遂行に必要な技能を別途要求するなど、追加条件が書かれている場合もある。その分、報酬が良かったりもするが」


 それはそうか。弓の腕前が欲しいところに、星の数を満たしているというだけで拳頼りの武道家が来ても話にならない。


「あとは、個人としては星の数が足りずとも、満たしている冒険者とパーティーを組んでいれば問題なかったり、複数のパーティーで事に当たることで星が一個多いクエストを受けたりもできる」

「冒険者になったばかりなのに、ライナさんは博識ですね」

「別に、このくらい」


 ぷい、とライナさんがそっぽを向いてしまう。

 その耳が、ほのかに赤くなっている。


 SNSに投稿されたイラストや漫画に対して「尊みがヤバい。ヤバさしかない。尊死する」など、語彙がバグったとしか思えないコメントがつけられているのを、俺はよく冷めた目で見ていたものだが、今ならその気持ちが痛いほどわかる。


 ライナさんは、当面パーティーを組むつもりはないという。

 私には、クロイがいるから……。

 なんて艶っぽい理由などではなく、聞けば、まずは一人でどこまでやれるのかを試してみたいからという、なんともストイックな動機だった。


「領主の覚えを良くするようなクエストってないですかね」

「貴族がわざわざ依頼を出すとなると、少なくとも三ツ星以上の案件だろうな」

「あわよくば、気に入られて『君に爵位を譲ろう!』なんて展開になってくれれば騎士になる手間も省けるんですけど、そう都合良くはいきませんね」

「無礼討ちにされてもおかしくない発言だぞ……」

「領主に子供はいるんですか?」

「息子が二人いる。現領主が高齢だから、間もなく長男に爵位を継がせるはずだ。家督争いやらもあったらしいが、それも最近になって落ち着いたと聞いている」

「それだと養子狙いも難しそうですね」

「お家簒奪を真剣に考えるな……」


 やはり、コツコツと地道に活動するしかないんだろうか。

 これが漫画や小説なら、主人公が冒険者登録しにくるのを見計らっていたとしか思えないタイミングでギルドに重傷者が運び込まれてきたり、町が壊滅しかねない大事件の報が入ってきたりするんだが。


「——大変だッ!!」


 そうそう、こんな風に——……って……あら、ほんとに来た?

 けたたましい剣幕でギルドに転がり込んできた男は、全力で走ってきたらしく、肩で息をしていて呼吸もままならない状態だ。

 ギルド内がざわざわとした喧騒に包まれる中、ラゴスが男に駆け寄った。


「どうした、カルロ! 何があった!?」

「シェ……シェイプシフターが……人間の姿で町に入り込んでいやがる!」

「なん、だと……!?」


 声をわななかせながら、男は聞き慣れない単語を発した。

 それを聞いたラゴスの顔が、みるみる蒼白になっていく。


「お前は見たのか!? なぜシェイプシフターだとわかった!?」

「歓楽区の裏路地で、たまたま見たんだ。女の姿をしていたシェイプシフターが、他の娘を飲み込むところを……。なのに、逃げられて見失っちまった。すまねぇ」


 ラゴスと、カルロと呼ばれた男の会話を皮切りに、ギルドが騒然となっていく。

 誰もが世界の終わりみたいな顔をしているが、俺には何が何やらさっぱりだ。


「ライナさん、質問いいですか?」

「シェイプシフターについてか?」

「まさに」


 言葉にするまでもなく、俺の考えを汲み取ってくれる。

 もはや相思相愛の仲だと言えるのではないだろうか。


「シェイプシフターとは、スライムのような不定形の魔物だ。これの原型を——」

「あ、その前に。魔物と、そうじゃない動物の違いって何なんですか?」

「…………」


 あぁ……ゾクゾクします。


「魔力を糧にしている生物が魔物だ。故に生者を襲う。往々にして本能に忠実で、凶暴凶悪な種が多い。とりあえず、それだけ覚えていればいい」

「話の腰を折ってすみません。続きをお願いします」

「シェイプシフターの原型を拝める機会は滅多にない。なぜなら、普段は何らかの生物に擬態しているからだ」

「擬態、ですか」

「シェイプシフターは、液状の体内に獲物を獲り込んで消化・吸収する。そして、吸収した生き物の外見、知能、身体能力、すべてを模倣してしまう。体内魔力まで写すから魔紋認証も意味を成さない」

「でも、違和感くらいは」

「肉親ですら判別できないと言われている。性格までそっくりらしいが、あくまで効率よく獲物を襲うための模倣だ。魔物としての本能はそのまま残っている」


 ホラーだな……。


「シェイプシフターが原型を見せるのは、捕食の瞬間と、気を失うほど強い衝撃を与えた時だけだ」

「さすがに、怪しい奴を端から殴り倒していくわけにもいきませんよね」

「野兎だと思って狩ったら実はシェイプシフターだった、といったことはままある笑い話だが、これが人間の姿を得て、しかも町の中に入ったとなると……」


 人間の知能を獲得した魔物が、凶悪な本能を残したまま町の中に潜んでいる。

 しかも、誰が魔物なのかわからず、為す術なく食われていく。

 まるで人狼ゲームだな。

 何より恐ろしいのは、町にシェイプシフターが入り込んでいると知った民衆が、互いに疑心暗鬼になり、最悪、魔女狩りが行われてしまうことだろう。


 だが、これは逆にチャンスだ。

 俺はまだ無職だけど、ここで名を売っておいて損になることはない。


「あの、ひとついいですか?」


 誰にともなく断りを入れる。

 そうして、ギルドに飛び込んで来た時からずっと気になっていた男を指差した。

 俺がこの日、この時間、この場所に居合わせたこと。

 どう見ても、主人公補正がかかっているとしか思えないな。


「そのカルロって男、偽物ですよ。人間の姿をしている何かです」


 俺には、目視した他者の名前を知ることができる加護がある。

 なのに、カルロと呼ばれた男の頭上には、何も表示されていない。

 つまり、名前が無い。


 オークの時と同じだ。

 シェイプシフターとは、種族名であって、固有名ではない。

 人間以外であっても、名前をつけられているペットなら頭上にネームプレートが浮かんで視えるのは、この町に着いてすぐ確認済みだ。

 産まれたばかりの赤子でもない限り、名前が無い人間なんていないだろう。


 とりあえず拘束してから、魔物かどうかをじっくり調べればいい。

 俺はこの後浴びることになるであろう賞賛に、何と答えようかと気の早いことを考え始めた。


 しかし、この判断は誤りだった。


「オイ、てめぇ!!」


 ラゴスが、その巨漢に物を言わせ、俺を床に押さえつけた。

 後で聞いた話だが。

 魔女狩りに至る可能性なんて、シェイプシフターという魔物の脅威を知る者なら誰しもが想像していることだ。

 だから証拠も無く疑いをかけることは、絶対の禁忌タブーとされていた。

 それこそ、無駄に恐怖と混乱を助長させた罪として、その場で斬り捨てられても文句は言えないのだとか。


「滅多なことを言うんじゃねぇ! 証拠はあんのか!?」


 根拠はあるが、すぐには証明できない。

 即座に俺の指摘が正しいとわかるのは、俺自身と、指摘された本人だけだ。

 周りの冒険者たちも次々に殺気立ち、中にはナイフを抜いている奴もいる。


 迂闊だった。

 俺が拘束されている隙に、シェイプシフターは姿をくらませてしまうだろう。

 人間の知能があるなら、自分の正体を見破れる俺の存在を許すはずがない。

 これから先、俺は常に命を狙われることになる。

 あるいは、この場で殺しにくるか?

 組み伏せられたまま、俺は自分の失態を嘆いた。


 だからこそ、それは奇跡みたいな光景だった。


 俺を咎めるでもなく。

 俺を助けるでもなく。


 は動いていた。


 迷いなく、一直線にカルロ(偽)の懐へと間合いを詰める。

 フルプレートを装備していた時でさえ軽やかな動きを披露してくれていたが。

 重りを外したライナさんは、とんでもなく速かった。


 最初の一歩でトップスピード。

 二歩目で完全に距離を殺し、三歩目は攻撃のための踏み込みだった。


 斬るでも殴るでもなく。

 放たれたのは、肘。

 勢いのまま、抉り込むような肘打ちをカルロ(偽)の鳩尾に突き入れた。

 傍目にも、衝撃が背を突き抜けていったのを感じ取れる。


「PI……PIGYUUuuu……」


 浮き輪の空気が漏れるみたいな高い声を発したカルロ(偽)は、呆気なく意識を刈り取られ、膝から崩れ落ちていった。


 しん、とギルド内が静まり返る。

 俺を含め、誰もが啞然となった。


「オ、オイ……嬢ちゃん……」


 ラゴスが何か言おうとした直後。

 カルロ(偽)の全身が装備もろとも、どろりと溶け始めた。

 見るのは初めてだが、間違いない。シェイプシフターの原型だ。


「ラゴスどの、クロイを放してやってくれないか」

「……え……あ……お、おお」


 急展開にまだ理解が追いついていなさそうだが、ラゴスが緩慢に俺の上から身をどかしてくれた。俺も同様に、呆けたような気持ちでいる。


「ライナさん……どうして」

「どうして、とは?」

「俺の言ったことを信じてくれたんですか」

「?? クロイの力のことは、信じると言ったはずだが?」


 確かに言っていた。

 でも今は、周りの非難が俺に集中していた。

 もし、俺の指摘が間違いだったら、敵意はライナさんにまで向いていたはずだ。


 それなのに、当たり前のように。

 そんな質問が来る意味がわからない、とでも言うように。

 百度「信じる」と言われようと、このたった一度の行動には及ばないだろう。

 本当に、この人は……。


「ライナさん、いい加減にしてくれませんか」

「な、何がだ? え、怒っているのか?」


 やっぱり、俺の判断は間違っていなかった。


「貴女は俺に、何回惚れ直させれば気が済むんですか?」

「知ったことか」


 この人を好きになって、本当によかった。

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