目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第22話 かかってきなさい

「GA……GURRRR……」


 黒竜はよろめきながらも踏みとどまった。

 だが、大ダメージであることは明らかだ。

 そして、今の爆発は、何者かによる攻撃を受けたと考えたのだろう。

 その場で一回転。

 鋼のように硬質で、大樹のように巨大な尾で周囲を薙ぎ払った。

 石柱が小枝みたいにへし折られていく。


「ぐ……うああッ!」


 俺たちが隠れていた柱も例外ではなく、もろとも粉砕された。

 降ってくる石塊から頭を庇い、転げ回ってその場を離脱しようとする。

 しかし、上空に退避するため、黒竜が畳まれていた両翼を展開。

 風の大津波を巻き起こして空へ飛び上がったことにより、俺たちは紙袋のように錐揉みしながら吹き飛ばされてしまう。


 黒竜の一挙手一投足が災害だ。

 俺だけじゃなく、巨漢のラゴスですら宙を待っている。

 上下の感覚さえわからない状態で体を地面に打ちつけられ、瓦礫と砂に埋もれてようやく停止した。

 骨に響く痛みに耐えながら這い出し、仲間の無事を確認する。


「ラゴス……アリベルさん……生きているか?」

「……お、おおよ」

「こ、こっちも、なんとかですじゃわ……」


 いったい何があった。

 いや、それよりも、この状況はまずい。国家存亡に関わるレベルでまず過ぎる。

 黒竜は誤解してしまったはずだ。

 コーリン王国が奉納したミスリルに何か仕掛けられていた。

 すなわち、コーリン王国が敵意を示してきたのだと。


 このままでは、アダル帝国に対する防壁の役目を放棄。

、怒り狂ってコーリン王国を滅ぼしにかかるかもしれない。


 黒竜が、上空でまた旋回を始めた。

 だが、どこかへ飛び去ってしまうでもなく、その意識は直下に向けられている。

 敵が……俺たちがここにいるからだろう。


「ラゴス、黒竜が降りてこないのは、どうしてだと思う?」

「回復を待っているんだろうよ。竜の回復力は、人間の比じゃねーからな」

「あああ、カンカンにお冠でありまするよ……」


 万が一の場合だったが。

 もし、何らかの要因で黒竜が暴走した場合、何を置いても自身の生命を優先し、即時撤退すべしと事前に指示してある。連れてきた100人は、今頃黒竜の暴走を察知して遁走を開始しているだろう。


 こういう時、責任者はツラいな。


「ラゴス、アリベルさん、二人は今すぐ逃げてくれ」

「は? お前は?」

「残って黒竜の注意を少しでも長く引きつける」


 この場に誰もいなくなったら、黒竜はすぐにも逃げる者たちの背を追うだろう。

 俺が残ったところで焼け石に水、雀の涙ほどの時間稼ぎかもしれないが。


「ライナさんには、俺が勇敢に戦い、散っていったと伝えてほしい。そして最後の瞬間まで、貴女を愛していたと」 


 ライナさんは、ちゃんと指示どおりに逃げてくれただろうか。

 本当に申し訳ない。若くして未亡人にしてしまうことを許してほしい。

 短い間だったけど、貴女と過ごした日々は俺の宝物です。

 二人の思い出を抱いて、強く生きてください。


「さあ、行ってくれ!」

「行ってくれ! じゃねーわ! アホか! お前一人が残ってどうするんだよ! だいたい引きつけるったって、何をどうやって引きつけるつもりだ!? 裸踊りでもする気か!? ド新人のくせに、酔ってんじゃねーぞ!」

「そうでありまするよ! それならば、わたくし様とラゴス殿の方が何度も黒竜に会いに来ておりますじゃし、もしかしたら我々を覚えていて、攻撃を思い止まってくれる気はあんまりしませんじゃがクロイ殿よりは百倍マシですぞな!」

「ごめんなさい……」


 ボロクソに言われた。


「というかよ、この状況が、あのディーボって野郎の仕業なら、あいつをこの場にふん縛ったまま連れてきて、黒竜に説明すんのが最善なんじゃねーのか?」

「……そうだな。でも、黒竜が話を聞いてくれるのか?」

「わかりませぬが、わたくし様も、それしかなかろーと思いまする。じゃがし……人間がミスリルに、あんな細工ができるとは思えませんのやが……」


 考えることは多いが、時間が無い。

 黒竜が次に動きを見せる前に手を打たなければ。

 他の誰かが、ディーボを乗せた馬車ごと山を下りていたらアウトか。


「とにかく、男一人引っ張ってくるなら、俺やアリベルさんより、ここはラゴスに任せた方がいいだろう」

「でありまするな。ラゴス殿、可及的速やかに! お頼み申し上げるぞなもし!」

「わかった。すぐに戻ってくるから、お前らもヤバそうなら逃げろよ」


「——それには及びませんよ」


 不意に、後方からぬるりと絡みつくような声がした。

 1秒を争う緊急時にもかかわらず、平時と錯覚させるような落ち着いたトーンが不気味さに拍車をかける。

 三人揃って振り返ると、そこにいたのは——。


「ディーボ!」

「てめえ、どうやって抜け出しやがった!?」

「ま、待つであります! 二人とも、あれを見やがりませ!」


 アリベルさんが指差したのは、ディーボの斜め上。


「ラ……ライナさん!!」


 気を失っているのか、俯き、全身がだらりと脱力している。

 だが、異様なのは、空中に両手両足を縫い留めたように浮かんでいることだ。

 手品でも見せられているのか?


「へえ、この娘はライナという名前なんですか。やっと知ることができましたよ。可愛らしい名前ですねぇ」

「お前、ライナさんに何をした!?」

「眠ってもらっているだけですよ。状態異常への耐性は、あまりないようですね」

「眠っているだけ……。それは嘘じゃないだろうな?」

「もちろんですよ。この娘は、わたくしのですから」


 頭の中で、ガソリンに火をつけたみたいにカッとなった。

 今すぐ掴みかかって、首を絞めてやりたい。


 ダメだ……キレるな……。

 相手の手札がわからないのに、闇雲に特攻しては返り討ちに遭うかもしれない。

 もっと手の内を探るんだ。


「……アダル帝国の男爵様が、こんな所まで出向かなきゃならないほど、そっちの陣営は人手不足なのか?」

「んんん~? わたくしがアダル帝国の人間というだけでなく、男爵であることも把握しているんですか? それにしては、わたくしがを使うことは知らないようですし、どうにも情報が中途半端ですね」


 俺は視線を動かさずに、小声で「精霊術って?」と二人に尋ねた。


「コーリン王国には無い技術故、詳しくは伝わっておりませんです。精霊と真名しんめいの契約を結び、その力を借りる術……ということくらいしか」

「嬢ちゃんをあんな風に捕らえていることから察するに、風の精霊だろうな」


 要するに、精霊のテイマーか。

 目を凝らせば確かに、ディーボの周囲や、ライナさんの手足に不自然な風の渦が出来ている気がする。拘束していた縄を解いたのか、切ったのかはわからないが、それも精霊の力か。

 俺の発言に首を傾げていたディーボが、「ふむ」と頷いた。


「ひとつ思い違いをされているようなので、訂正しておきます」

「思い違い?」

「貴族に対する考え方ですが、アダル帝国とコーリン王国では、大きく異なる点があります。アダル帝国において、貴族とは、特権階級を指すだけにあらず。個人の純然たるいくさ能力を示すものでもあるのです」

「……男爵より子爵、子爵より伯爵が強いっていうのか?」

「いかにもです。もっとも、わたくしは既に伯爵級と言われたりもしていますが」


 吸血鬼の世界観かよ。


「この制度が広まったのは、現皇帝に代わってからですけどね。我がフェルト家は元々男爵の家系ではありましたが、おかげで戦の才能が無かった父は早々と引退。逆に、若くして才気溢れるわたくしが当主となったのです」


 アダル帝国での貴族称号は、つまり、軍将校を示す階級みたいなものか。


「ミスリルに仕掛けをして、黒竜を怒らせたのもお前だな?」

「ええ、そのとおりです。本当なら、もっと前に細工しておきたかったんですが、思ったよりミスリルの警備が厳重で、外に出る当日まで手を出せなくて。まさか、ミスリルを運んでいる馬車に乗せていただけるとは思いませんでしたよ。くく」

「……どんな細工だ?」

「ミスリルに発火性のある精霊の魔力を塗布しました。黒竜の体内でミスリルからわずかでも魔力が溶け出した瞬間、ふたつの魔力が混ぜ合わさって、ボンッ! となるわけです。面白い技術でしょう?」


 また精霊か……。知らないことが多すぎるな。


「予想どおり、黒竜を殺すには至りませんでしたが、死なれても困りますしね」

「困る? アダル帝国からしたら、黒竜は邪魔な存在なんじゃないのか?」

「邪魔は邪魔ですが、アダル帝国とコーリン王国が正面からぶつかれば、今現在は若干分が悪いんです。だから黒竜には、本隊が攻め入る前にコーリン王国の兵力を削いでもらいたいわけですよ。黒竜の様子からして、上手くいきそうですねぇ」


 自身の仕事がよほど誇らしいのか、質問したらしただけ答えが返ってくる。

 もしくは、冥途の土産のつもりなのか。


「こうしてわざわざ姿を見せたのは、ちょっと野暮用がありましてね。そっちの、頭に竜の刺青をした貴方。わたくしから《妖精の鱗粉》を持っていったでしょう。今すぐ返しなさい。あの薬は、下民には過ぎた代物です」


 ラゴスが懐に手を入れ、ディーボから奪った《妖精の鱗粉》を取り出した。

 しかし、それを渡そうとはしない。小瓶をチラつかせ、悪い顔を作る。


「返してほしけりゃ、先に嬢ちゃんを解放しな」

「交渉を持ちかける気ですか? 立場がわかっていませんね」


 不敵にニヤついたディーボが、右手をすっと上げた。

 その手には、薄緑色の霧みたいなモノがまとわりついている。

 一点に注目を集めたかと思えば、おもむろに指をパチンと鳴らした。

 すると、霧はパチュン、と弾けるようにして消え、それと同時に、ライナさんが身に着けていた胸当てがズタズタに切り裂かれて地面に落ちた。


「ライナさんッ!!」

「んっふっふ、ビックリしましたかぁ? 肌を傷つけるようなヘマはしませんよ。今のはただの脅しです。少々もったいなくはありますが、《妖精の鱗粉》は代えが利かないわけではありません。ですが人の命は、そうはいきませんよねぇ?」


 心臓が止まるかと思った。

 衣服に血は付いていない。正確に胸当てだけを攻撃したのか。

 縄も、今の要領で切ったのだろう。


「おや。はっは、これは嬉しい誤算です。後の楽しみが増えましたねぇ」


 胸当てが外れたことによって露わになった大きさを、ディーボは舐めるみたいにイヤらしい顔つきと声で評価した。


「まあ、双方に手札がある以上、交渉には多少なりとも時間がかかるでしょうね。その間に黒竜が動き出すのは、わたくしにとっても嬉しくないので、ひとつ提案をさせていただきます」


 構えは取っていない。必要ないとでも言うつもりなのか。

 ディーボは直立したまま、カンフー映画で敵を挑発する時のように、くいくいと俺たちに向けて手招きをした。


「かかってきなさい、全員で」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?