「あっはっはっはっは! ほぉら、やっぱり無駄でしたねぇ。んー、3分くらいは頑張れましたか? よくできましたと言ってさしあげたいところですが、これではせっかく逃がした彼女に、すぐ追いついてしまいますねぇ」
俺、ラゴス、レンゲスの三人が、仲良く地べたに倒れている。
二人は、もう意識がない。
俺も気を失っていないだけで、ディーボの高笑いに反論する力も残っていない。
「ライナ、という名でしたか。彼女は、わたくしを散々刻んでくれましたからね。どんな仕置きをしてやろうか、くふふ、想像するだけで興奮してしまいますよ。《妖精の鱗粉》の元は、彼女で取らせてもらいましょう」
行かせない。
「もしかして、貴方たちのうちの誰かが彼女の恋人だったりするんでしょうか? そうだったら、なおのこと嬉しいですね。他の男から女を奪う。これに勝る悦びはありませんから」
そう思っているのに、体がぴくりとも動いてくれない。
「完全に息の根を止めてやろうかとも思いましたが、やめておきましょう。余計な力は使いたくありませんし、放っておいても、どのみち黒竜に殺されるでしょう。食われるのか、踏みつぶされるのか、楽しみですねぇ」
傷が粗方癒えたのか、黒竜が旋回を小さくし始めた。
「さて、名残惜しいですが、そろそろ行かなければ、わたくしも巻き添えを食ってしまいます。では皆様、ごきげんよう。あと数秒の命をご堪能くださいませ」
ディーボの気配があっという間に遠ざかっていった。
ライナさんを追いかけたんだろう。
「……ちく、しょう」
俺は……無力だ……。
何が、絶対に後悔はさせないだ。
何が、必ず幸せにしてみせるだ。
偉そうなことを言っておいて、愛する女性一人守れない。
女神からもらった力だって、結局、肝心なところで何の役にも立たない。
黒竜が羽ばたきをやめて降りてくる。
怒りは収まっていないのか、遠くなった耳でも唸り声を拾うことができた。
そんなに怒るなよ。誤解なんだ。
悪いのはアダル帝国で、俺たちは何もしていない。
それどころか、お前とは仲良くしたいと思っているんだよ。
ちゃんと話をすれば、わかり合えるはずなんだ。
なあ、黒竜……。
いや……。
「……アグニール・メラ・ド・キュラスオブガルム」
◇◆◇
そういえば。
アリベルさんが言っていた。
竜は精霊や妖精の近縁種だと。
ディーボも、こんなことを言っていた。
精霊から真名を教えてもらい、対話が可能になると。
じゃあ、もしかして、俺が今、なんとなしに言った名前って……。
『……貴様、どうして我が
声が、直接頭に響いてくる。
ラゴスの声でも、レンゲスの声でもない。
「…………黒竜か?」
『そうだ。答えよ。なぜ我が真名を知っている?』
「……女神にもらった力のおかげだ」
『貴様、異界から来た者か?』
「そうなる」
『最初に言っておくが、我が真名を、いたずらに他の者に明かせばどうなるか』
「そんな、ことは……どうでもいいッ!!」
『な、何だと……?』
「会話ができるなら、そこに座って俺の話を聞け!」
俺は要点だけ搔い摘み、アダル帝国の謀略が今の状況を作ったのだということを説明する。黒竜は言われたとおり、大人しく話を聞いていた。
『それを信じるに足る証拠はあるのか?』
「毎年、祭事に顔を出しているハゲと、変な仮面をつけた女がいるだろ?」
『ハゲはそこに転がっているな。仮面の女も覚えているぞ。我を見て、いつも童のようにハシャいでいたからな。元より、この二人は捨て置くつもりだった』
「仮面をつけた女の方。あれがこの国の女王だ」
『………………………………は?』
竜が目を丸くする。
あり得ないことに対しての驚きを意味する最上級として、格言にできそうだな。
「そういう反応をしてしまう気持ちはよくわかる。だが、事実だ」
『我が言うのもなんだが、この国、大丈夫なのか?』
「いい国だよ。女王もいい人だ。当然だろう。俺が愛している女性が、人生かけて守りたいと思うくらいなんだからな」
『……何か怒っているのか?』
「保留中だ。お前は、まだこの国に何かしようと考えているのか?」
『貴様の話が本当なら、怒りの矛先は変わる』
「事実確認は後でもできる。今は、やらなきゃいけないことがある」
黒竜との会話で、ほんのわずかだが、回復の時間に当てられた。
俺は悲鳴を上げる全身を気合いで黙らせ、無理矢理立ち上がらせる。
「黒竜、いや、アグニール・メラ・ド・キュラスオブガルム、俺に力を貸せ!」
フルネームは長い。ここからは、アグニ―ルとだけ呼ばせてもらおう。
俺が切羽詰まりながら頼んでいるというのに、アグニ―ルは「はぁ」と超巨大なため息を吐いた。何気ない吐息だけで体が浮き上がりそうになる。
『貴様、自分が何をしでかしているのか、まるでわかっておらんな』
「竜に頼み事なんて、そりゃあとんでもないことだろうさ」
『それどころの話ではない。我と貴様の間では、既に契約が成立している』
「契約?」
印鑑を押した覚えはないぞ?
『本来であれば、我が見合った対価をもらい、命令の鍵となる真名を教えることで成り立つ契約だ。だが、人間ごときが竜の力に見合う対価など払えるはずもない。それを貴様は、対価を支払うことなく、真名だけ持っていきよったのだ』
それって、例えばだけど、店で金を払わず商品だけ持ち去ったにもかかわらず、咎められることなくまかり通っちゃう、みたいな?
ヤバいな、無敵じゃないか。
「じゃあ、俺はアグニ―ルに、一方的に命令できる立場になったわけか」
『不本意だが、そういうことになる』
竜を使役する。大変魅力的なフレーズではあるが。
たとえ主従関係であったとしても、普通は仕事に対して報酬が発生する。
それを一方的に命令し、何も支払わないなんて、まるで奴隷だ。
この国は奴隷制を認めていないと、ライナさんは言っていた。
「郷に入っては、郷に従うべきだよな」
『何をぶつぶつ言っている?』
「俺の名前は黒井竜司だ」
『?? 貴様の名を聞いたところで、命令の強制力など働かんぞ?』
「一応な。言葉の上だけでも、俺は対等な関係を望む」
『対等? それは、我と友になることを望むと言っているのか?』
「いいね。この世界では、まだ友人が少ないし、カッコイイ竜なら大歓迎だ」
『…………変わった奴だ』
ライナさんからは、狂気の沙汰との評価をいただいたことがあります。
それに比べたら、アグニ―ルからの感想は、だいぶマイルドだ。
『竜である我が、人間を友に持つか。長い竜生……それも一興やもしれん』
「そうだぞ。友人は大事にしろ」
『クロイ・リュージ。貴様は、己が名に黒竜を持っているのだな』
「それは完全に偶然だ」
『縁があったのだろうよ。我はそう思う』
やっぱりな。話し合うって大事だ。
こうして言葉を交わすまで、黒竜は好戦的で我がまま放題、みたいなイメージが先走っていたけど、全然そんなことはない。理性的で、話のわかる奴じゃないか。
『
「ああ。それじゃ、改めて」
人間と竜。
サイズが違いすぎて、握手できないのが残念だ。代わりと言ってはなんだけど、俺はアグニ―ルの前脚の爪に手を添え、高らかに言い放つ。
「我が友アグニ―ル、俺に力を貸してくれ!」
『我が友クロイよ、その願い承った』