「うぅ……」
背筋がゾクゾクする。
頭がガンガンして痛い。
痛いのは頭だけでなく全身だ。
熱が出たようでポッポッと全身熱いが、それと同じくらい悪寒もする。
熱いのか、寒いのか、それすら自分で分からない。
全身から汗がダラダラと流れていて、べたついて気持ち悪かった。
セルジュは体を動かそうとして全身を走る痛みに襲われて唸った。
重くだるい瞼を必死で開けると、ぼやけた視界の先に見慣れた天蓋と壁紙が見える。
どうやらセルジュは自室にいるようだ。
「お坊ちゃま。気が付かれましたか?」
聞きなれた声がする。
少しホッとしてセルジュは声の主に呼び掛けた。
「テバス……テバス・タン……」
「はい、お坊ちゃま。あなたの執事テバスは、ここにおりますよ」
長い指をした白くて大きな手が、セルジュの小さな手を包み込む。
温かな感触に、セルジュはホッと息を吐いた。
テバス・タンは執事だ。
短い黒髪をオールバックに固めて、銀縁眼鏡をかけている。
釣り上がった細い目には黒い瞳がはまっていて、肌色は白い。
知性派の執事でもあるが、細身の体にはしっかり筋肉がついていて頼り甲斐があるのをセルジュは知っている。
公爵家の跡取りとして狙われやすいセルジュを補佐するための執事、それがテバス・タンだからだ。
(テバス・タンがいれば安心だ)
ホッと安堵したセルジュは、両親のことを思い出した。
(ボク、お熱が出て悪い夢でもみたんだな)
そう思ったセルジュはキョロキョロとベッドサイドを見たが、両親の姿はない。
「ねぇテバス。お父さまと、お母さまは?」
無邪気に聞いたセルジュに、忠実な執事は沈痛な面持ちでためらいがちに告げる。
「旦那さまと、奥さまは……亡くなりました」
「えっ?……ぁ……ぁあっ……あー⁉」
セルジュはその後、自分でも聞いたことない自分自身の絶叫を聞いた。
「坊ちゃま⁉」
「ああ、お坊ちゃま。おいたわしい……」
獣の咆哮にも似た喚き声が何処から聞こえてくるのかを、セルジュ自身が不思議に思いながら聞いていた。
「坊ちゃま、しっかりしてください。あなたの執事テバスは、ここにいます! お坊ちゃま⁉ お坊ちゃま⁉……」
テバスにしっかりと抱きしめられながら、セルジュは意識を失った。
(暗い……ここは暗い。そして寒い……お父さま……お母さま……)
気を失ったセルジュは、気付けば1人、真っ暗な場所に座り込んでいた。
前も、後ろも。
右も、左も。
上下も全て真っ暗で真っ黒だ。
「怖いよぉ……お父さまぁ! お母さまぁ! テバスゥ!」
叫んでみたが誰もいない。
「何なのココ……ボクは夢を見てるの?」
(夢なら夢でいいよ。覚めて欲しい……ここは寒くて怖い)
その時だ。
セルジュの頭の中に、ガ――――ッと記憶が流れ込んできた。
「何これ……」
頭が痛い。
「これ何? ボクの記憶じゃないよ……ボクは4歳の、公爵家の息子だよ……勇者なんかじゃ……」
ない、と言いかけてハッとする。
「これは……ボクの……前世の、記憶?」
セルジュはガンガンする頭を抱えて青ざめた。
「前世のボクは勇者でスキル持ち? ボクは4歳だから、まだ何もできないよ……えっ? ココは小説の世界?」
セルジュに流れ込んできた記憶が前世のものだとしたら、今生きているこの世界は小説の世界だ。
「偶然だとしても、状況が似すぎている」
前世でこの小説が好きだった勇者は、何度も繰り返し同じ小説を読んでいた。
だから内容はよく覚えている。
主人公は勇者だ。
ボッセオ公爵家は冒頭に出てきて、政争により一家は暗殺されていまう。
「え? ボクは早々に殺されちゃうの?」
小説のなかでのセルジュは運よく生き残ったものの、早々に暗殺されてしまう令息だ。
セルジュは思わず叫んだ。
「ダメだ、ダメだ、ダメだ! オレは死にたくないっ!」
小説のなかの勇者に憧れた前世のセルジュは、望み通り勇者になった。
だがその人生は、想像していたものとは違ったのだ。
鍛錬に次ぐ鍛錬で幼少期から自らを鍛え上げ、競争を勝ち抜いて勇者の座を手に入れた前世のセルジュは魔王討伐へ向かった。
戦いは激しく、味方の何人かは命を落とし、前世のセルジュ自身も傷を負った。
「サーシャ……」
命を落としたなかには、前世のセルジュの恋人もいた。
彼女の仇を取るためにも、王国の平和を守るためにも、討伐を諦めるという選択肢はない。
厳しい戦いを潜り抜け、魔王と対峙した前世のセルジュは、見事に目的を果たした。
「魔王の命は奪ったが、オレもその時に……」
前世のセルジュは、いかなるハッピーエンドも見届けてはいない。
愛する人は守れず、戦いの中で命を落とした。
その後の世界がどうなったかなんて知る術はない。
「そんなの、オレが望んだ人生じゃないっ」
魔王を打倒して平和になった王国を自分の目で見てから死んでいれば話は違ってくるだろうが、彼のなかでは恋人すら守れずに死んだ勇者でしかない。
「あの世界はどうなったんだ……ここが違う世界なら、オレには確認する術すらない……」
セルジュは唇を噛んだ。
「勇者といっても、まだ10代だったんだ……サーシャだって……」
どんな功績を上げたとしても、心残りがなかったと言えば嘘になる。
「前世では死んだ英雄で……現世でも早々に死ぬのか、オレは」
(勇者としても、セルジュとしても、幸せは手に入らないのか?)
そう考えた瞬間、セルジュは叫んだ。
「ダメだ! そんなの、ダメだ!」
セルジュは自分の右手に力を込めた。
するとボウッと青白い光が右手に浮かび上がる。
「魔力はあるようだな。スキルが使えるかも。体は……」
セルジュは青白い光を幾つか出して自分の周囲に浮かべると、その場に立ち上がった。
そして体を軽く動かしてみる。
「いいぞ。体は前世の鍛錬を覚えているようだ。これなら暗殺者が来ても対応できる。敵を倒せるぞ」
両手をグッと握りしめ、セルジュは希望に顔を輝かせた。
が、すぐにシュンとなる。
「いや、ダメだ。年齢を考えたら体術にせよ、スキルにせよ、目立ちすぎる。前世で得た力を使えたとしても、セルジュはまだ4歳。しかも公爵令息だ。強すぎたら不審に思われる。陰謀渦巻く貴族社会を泳ぎ切る知恵は……平民だったオレにはない」
たった4歳。
このちっぽけな体を持つ弱々しい存在を、どう生き延びさせればいい?
考えても答えはでないまま、セルジュの意識は再び暗い闇のなかにスゥと消えた。
「……お坊ちゃま? お坊ちゃま! あぁ、よかった。目が覚めましたか?」
気付けばセルジュは、テバスの腕のなかにいた。
しっかりと自分を抱きしめてくれているこの男は信用できそうだ。
(盾にするのにちょうどいいのがココにいるじゃん)
セルジュは自分を抱きしめている忠実な執事テバス・タンを、その腕の中から見上げた。