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第6話 『夜の枕投げと、甘い夢の途中で』

 午後9時。

 旅館の大広間に、女子班と男子班が集まりはじめていた。


「はーい、そろそろ布団に入りましょう〜!」


 引率の先生の呼びかけに、表向きは「はい」と返事しつつ、

 誰もが期待と企みを抱えていた。


 そう、修学旅行最大の裏イベント・枕投げタイムである。


「ねえ、男子部屋どこ? 突撃しようよ」

「こっちの枕、絶対羽根入ってるやつ! 破裂させようぜ〜!」


 わいわいと騒ぐ女子たちの中に、見覚えのある顔が三つ。


・満面の笑みで枕を掲げているのは、黒羽ことの。

・薄手のパーカーを羽織りながらも眠そうな目をしているのは、氷室しずく。

・やや緊張気味にお菓子の袋を抱えているのは、鏡ヶ原つかさ。


 この3人が同じ部屋に入ってくるとか、俺の部屋のセキュリティどうなってんだ……。


「せ〜のっ!」

 ふいにことのが枕を投げてきた。


「わっ!?」

 俺の顔面にクリーンヒット。


「先輩、油断大敵ですよぉ♡」


 そう言いながら、ことのは笑顔で枕をもう一発構える。

 その様子はまるで子犬のように可愛らしく、けれど、瞳は本気だった。


「ふふ、ことの……テンション上がってる」

 しずくも枕をそっと構える。

 無表情だが、唇の端がわずかに上がっていた。


「じゃあ、私も参加しちゃおっかなぁ」

 つかさが、躊躇いがちに枕を手に取る。


「……よーし、やるならやるぞ!」


 受けて立つ。

 この際、文化も常識も関係ない。これは青春の戦いだ!


 10分後。


「くっ……完敗……」


 布団の山に埋もれ、俺は敗北していた。


 見れば、三人とも無傷でほぼ無表情(もしくは満面の笑み)で立っている。


「ふふ……男の子って、力はあるのに、不器用なんだね」

 つかさが笑う。

 その笑顔はどこか、母性すら感じさせた。


「うぅ、なんか負けたのに、ちょっと嬉しいの悔しい……」


「じゃあ、そろそろ寝よっか」

 しずくが小さくあくびをして、隅の布団に入りかける。


「え、寝るのここで!?」

「もう布団敷いちゃったし……」


「さすがに男子の部屋でそのまま寝るのは……」

 と口にしたのは俺だったが、誰も帰ろうとしない。


 結局、そのまま「女子が男子部屋に泊まる」という、地雷踏み抜き状態が成立した。


 ◆◆◆


 深夜0時過ぎ。

 ことのとしずくはすでに寝息を立てていた。

 俺も横になっていたが、眠れずに天井を見つめていた。


 そんなときだった。


「ユウトくん、起きてる……?」


 つかさの声が、すぐ隣の布団から聞こえた。


「……うん。ちょっとだけ」


「だよね、私も。……なんか、緊張して眠れなくて」


 つかさは布団を出て、俺の隣にちょこんと座った。


「ごめんね。こんなふうに、押しかけて」


「……いや、俺も、嬉しかったよ」


 その言葉に、彼女の肩がわずかに震える。


「……ユウトくんって、ほんとに優しいよね」


 しばらくの沈黙のあと。

 つかさは、ぽつりと続けた。


「……ねぇ、キスってさ。したこと、ある?」


「……え?」


「私、ないんだ。けど、最近、時々思うの。いつか誰かと、そういうことをするんだって、ちゃんと意識するようになったら……相手が、ユウトくんだったらいいのに、って」


 空気が、急に甘く、重くなった。


「もちろん、今じゃないよ。今はまだ、“好き”って、どんな形かわからないし。でも、修学旅行に来て、こうしてみんなと騒いで、……ユウトくんのこと、もっと好きになったから」


 つかさの瞳が、すぐそばにあった。

 でも、俺は何も言えなかった。

 胸がいっぱいで、言葉が浮かばなかった。


「ごめんね。忘れていいよ。……じゃあ、そろそろ戻るね」


 つかさが立ち上がろうとした瞬間。


「……ありがとう」


 俺の口から出たのは、そのひと言だった。


 それだけで、つかさは少し微笑んで、布団に戻っていった。


 ◆◆◆


 翌朝。

 早朝から元気にドアを開けてきたのは、春日井メイだった。


「おはようございます、ご主人様。……まさか、女子を部屋に泊めたなどとは、してませんよね?」


「ぎゃあああ!? 朝から修羅場の予感しかしない!!」

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