旅館を出たバスは、午後の陽光のなかを静かに走っていた。
修学旅行、最終日。
車内には、朝から遊び疲れた空気が漂っている。
あちこちでうたた寝する声。スマホをいじる音。窓の外を見つめる静かな横顔。
俺はひとり、バスの最後尾でうつむいていた。
(……あの夜)
つかさの言葉。
彼女の目。
そして、何も返せなかった自分。
(“ありがとう”だけじゃ、足りなかった)
心のどこかに引っかかったまま、ずっと残っている。
たった一晩の出来事だったはずなのに、俺の心の奥に、その記憶だけが焼きついていた。
◆◆◆
神代学園に戻った翌日。
久々の教室は、騒がしくもどこか“けじめ”のような空気をまとっていた。
「修学旅行楽しかったねー!」
「次は文化祭だよな!」
「うち、まだ現実戻れない……」
その中で、彼女たちの空気だけは、違っていた。
◆黒羽ことの
→今までと同じように笑ってる。でも、視線が少しだけ揺れてる。
◆氷室しずく
→本を読むふりをして、ページをめくる指がずっと止まったまま。
◆鏡ヶ原つかさ
→朝の挨拶も変わらない。でも、笑顔に少しだけ力が入っていた。
彼女たちは“待ってる”。
それぞれの形で、俺が何かに気づくのを、黙って待っている。
……だけど、俺にはまだ、答えが出せなかった。
昼休み。
屋上のベンチに座っていた俺の隣に、しずくがやってきた。
「……ユウトくん」
「ん?」
「……ちょっとだけ、触れていい?」
「……えっ?」
言葉の意味を理解する間もなく、
しずくはそっと俺の肩に、頭を預けてきた。
「……こうすると、心が静かになるんだ」
「うるさいの、苦手で……でも、ユウトくんは、うるさくないから……」
その声は、小さくて、かすれていて。
けれど、しっかりとした想いが宿っていた。
「……しずく」
「ねぇ、知ってる? 修学旅行のとき、ユウトくんが誰かと楽しそうにしてるの、見てたの」
「胸が苦しくて、ちょっとだけ泣いた」
「でも、それでも、嫌いになれなくて……」
肩に触れる重みが、やけにリアルだった。
「だから、もう一度、勇気出して言うね。
好きだよ、ユウトくん。ちゃんと、“恋”として、好き」
そして、彼女は何も言わずに立ち上がり、去っていった。
俺はその背中を、言葉もなく見送るしかなかった。
放課後。
帰り道の角で、ことのが待っていた。
「ユウト先輩、やっぱり私、我慢できませんでした」
彼女はぎゅっと両手を握りしめて、泣きそうな顔で、でも、まっすぐに立っていた。
「先輩のこと、大好きです。ずっと……ずっと、誰にも負けないって思ってた」
「でも、私が何もしなかったら、誰かに取られちゃう気がして。それが怖くて、今日も、明日も、きっと不安で……」
彼女は一歩、俺に近づいてきた。
「だから、約束して。私のこと、忘れないって」
ことのの手が、そっと俺のシャツの裾を握る。
「それだけでも、今はいいから」
……胸が、締めつけられた。
誰かを選ぶことは、誰かを傷つけるってことなんだ。
そう思った瞬間、自分の心が一歩も進んでいないことに、初めて気づいた。
◆◆◆
その夜。
机にノートを開いていた俺は、ふと顔を上げる。
ふすまの向こうに、人の気配。
音もなく、ドアがノックされた。
「……ユウト様。よろしいですか?」
ドアの向こうから聞こえてきたのは、春日井メイの声だった。
「ご主人様に、今夜、お伝えすべきことがございます」