「ロミオ様……どうか、ここから逃げて……」
文化祭当日、午後1時。
講堂の舞台では今、現代アレンジ版“ロミオとジュリエット”が上演されていた。
ユウト(俺)は、ロミオ役。
ジュリエット役は、ヒロインのひとり、黒羽ことの。
脚本の元ネタは有名な悲恋だが、台本の中にはどう見ても“ことのが書き加えた”と思しき改変セリフが満載だった。
◆◆◆
「だって、あなたが傷つくのが怖いの。一緒にいられるなら、名前なんて、身分なんて……何もいらない」
ことののセリフが響くたびに、会場がざわめく。
「……ちょ、これガチじゃない?」「演技に見えないんだけど」「うわ、ユウト顔赤いww」
観客席から聞こえる囁き。
俺のほうが台本とにらめっこしてないと、本気で混乱しそうだった。
◆◆◆
遡ること、3日前。
ことのは、演劇の配役が決まった直後、俺の手を取って言った。
「絶対、本番で“伝える”って決めたんです」
「セリフのフリして言えば、先輩、逃げないで聞いてくれると思ったから……」
その時の真剣な瞳が、今でも焼きついていた。
◆◆◆
舞台上、運命の告白シーン。
ロミオ(俺)は、敵家との争いに巻き込まれ、ジュリエットに別れを告げる。
「君のことは、好きだった。でも、俺がそばにいることで君が傷つくなら……」
「違うの!」
ことのが割り込んで叫ぶ。
本来の台詞とは違う。
台本にはない、ことのの“素”の声だった。
「好きって言うのに理由なんていらない!怖くても、傷ついても、先輩の隣にいたいの!」
ことのの目には、涙が浮かんでいた。
「誰よりも、先輩が好き。誰よりも、ずっと、ずっと……先輩だけを見てる」
台詞なのか。
演技なのか。
それとも、ことの自身の“本当の気持ち”なのか。
観客にはわからない。
でも、俺には、わかってしまった。
舞台袖。
しずくは、じっとモニター越しに舞台を見ていた。
「……うらやましい」
かすれた声が、小さくこぼれた。
隣にいたメイも、手に持った台本をぎゅっと握りしめていた。
「あれでは……まるで、観客の目を使って、ご主人様を奪いに来ているようです」
一方、生徒会長のつかさは、静かに笑っていた。
「それでも……可愛いじゃない、ことのちゃん。一生懸命で、正面からぶつかってて」
そう言った彼女の瞳は、ほんの少しだけ、寂しげだった。
終演後。
拍手と歓声が講堂に響く中、ことのはカーテンコールで、もう一度俺の手をぎゅっと握ってきた。
その手は、冷たくも温かくもなかった。
ただ、震えていた。
「先輩……演技でも、本当でも……私が言ったこと、ひとつも嘘じゃないですから」
ことのはそう言って、袖に走って消えた。
俺は、しばらくその場から動けなかった。
胸の奥で何かが、音もなく、ゆっくりと沈んでいった。
それが何なのかは、まだ、わからなかった。