目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第10話 『恋と芝居と舞台の上で』

「ロミオ様……どうか、ここから逃げて……」


 文化祭当日、午後1時。

 講堂の舞台では今、現代アレンジ版“ロミオとジュリエット”が上演されていた。


 ユウト(俺)は、ロミオ役。

 ジュリエット役は、ヒロインのひとり、黒羽ことの。


 脚本の元ネタは有名な悲恋だが、台本の中にはどう見ても“ことのが書き加えた”と思しき改変セリフが満載だった。


 ◆◆◆


「だって、あなたが傷つくのが怖いの。一緒にいられるなら、名前なんて、身分なんて……何もいらない」


 ことののセリフが響くたびに、会場がざわめく。


「……ちょ、これガチじゃない?」「演技に見えないんだけど」「うわ、ユウト顔赤いww」


 観客席から聞こえる囁き。

 俺のほうが台本とにらめっこしてないと、本気で混乱しそうだった。


 ◆◆◆


 遡ること、3日前。

 ことのは、演劇の配役が決まった直後、俺の手を取って言った。


「絶対、本番で“伝える”って決めたんです」

「セリフのフリして言えば、先輩、逃げないで聞いてくれると思ったから……」


 その時の真剣な瞳が、今でも焼きついていた。


 ◆◆◆


 舞台上、運命の告白シーン。

 ロミオ(俺)は、敵家との争いに巻き込まれ、ジュリエットに別れを告げる。


「君のことは、好きだった。でも、俺がそばにいることで君が傷つくなら……」

「違うの!」

 ことのが割り込んで叫ぶ。


 本来の台詞とは違う。

 台本にはない、ことのの“素”の声だった。


「好きって言うのに理由なんていらない!怖くても、傷ついても、先輩の隣にいたいの!」


 ことのの目には、涙が浮かんでいた。


「誰よりも、先輩が好き。誰よりも、ずっと、ずっと……先輩だけを見てる」


 台詞なのか。

 演技なのか。

 それとも、ことの自身の“本当の気持ち”なのか。


 観客にはわからない。

 でも、俺には、わかってしまった。


 舞台袖。

 しずくは、じっとモニター越しに舞台を見ていた。


「……うらやましい」

 かすれた声が、小さくこぼれた。


 隣にいたメイも、手に持った台本をぎゅっと握りしめていた。


「あれでは……まるで、観客の目を使って、ご主人様を奪いに来ているようです」


 一方、生徒会長のつかさは、静かに笑っていた。


「それでも……可愛いじゃない、ことのちゃん。一生懸命で、正面からぶつかってて」


 そう言った彼女の瞳は、ほんの少しだけ、寂しげだった。


 終演後。

 拍手と歓声が講堂に響く中、ことのはカーテンコールで、もう一度俺の手をぎゅっと握ってきた。


 その手は、冷たくも温かくもなかった。

 ただ、震えていた。


「先輩……演技でも、本当でも……私が言ったこと、ひとつも嘘じゃないですから」


 ことのはそう言って、袖に走って消えた。


 俺は、しばらくその場から動けなかった。

 胸の奥で何かが、音もなく、ゆっくりと沈んでいった。


 それが何なのかは、まだ、わからなかった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?