「この部屋、あの頃と……同じ匂いがするでしょ?」
文化祭の特別展示棟、その一室。
中に入った瞬間、懐かしい匂いと音が全身を包んだ。
ほんのり木の香りがする空間には、昔の遊具、写真、手紙、そして手作りのベンチが置かれていた。
「ようこそ、“記憶の部屋”へ」
そう言ったのは、雪村アオイだった。
壁には、色あせた写真が並んでいる。
小さな公園の遊具。
花壇に並んで立つ小学生の二人。
泥だらけの服。
泣きながら笑ってる顔。
「これ……」
「全部、うちの引っ越しのときに持っていったやつ。……勝手に持ってったまま、返せなかったから。今日、この形で返そうと思って」
アオイは、少し恥ずかしそうに笑った。
「覚えてる? このとき」
指差した写真の中で、俺は転んで膝をすりむいていた。
アオイはその横で、俺の顔を拭いていた。
「泣くなって言いながら、自分も泣いてたんだよね。あんた」
展示室の奥には、小さな机と椅子。
その上に、封のされた“手紙”が置かれていた。
「これ、ユウトへの手紙。転校する前日に書いたやつ。……でも、結局、渡せなかった」
封筒には、小さな“ひまわり”のシール。
「今さらだけど……今日、読んでくれる?」
差し出された手紙は、震えていた。
──ユウトへ
あなたがどこにいても、私の初恋はきっと、あなたのままです。
もしもいつか、また会えたら、そのときは、友達じゃなく、ちゃんと“好きな人”として名前を呼ばせてください。
雪村アオイより──
読んでいるうちに、心が掴まれるような感覚がした。
懐かしくて、温かくて、でも、どこか今の自分が遠ざかっていくような感覚。
読み終えたあと、手紙を見つめる俺に、アオイが声をかけてくる。
「……今、あのときと同じ気持ちじゃないって、分かってる」
「えっ?」
「この部屋に、誰よりも先に来てほしかった。でも、どこかで分かってたの。ユウトの目が、もう“過去”を見てないって」
アオイの目は、まっすぐだった。
泣いていない。
でも、それが余計に痛かった。
「それでも、言いたかったの。ちゃんと伝えて、置いていきたかった。私の“初恋”は、ここで終わらせるから」
アオイは、そっと手紙を俺の胸に押し当てた。
「ありがとう、ユウト。好きでいさせてくれて、ありがとう」
そして、彼女は歩き出した。
振り返らず、静かに、でも確かに。
◆◆◆
夕暮れの展示室で、ひとり。
封筒をもう一度胸に当てて、目を閉じた。
(……過去は、終わった)
懐かしさじゃなく、
今、隣にいてくれた誰かに、心が動いていたことに気づいた。
そして、そっと呟いた。
「アオイ……ありがとう。俺も、あの頃のままでいてくれて、嬉しかった」