シュバルツから見て、クロエとリルの関係はとても奇妙だった。
クロエは何くれとなくリルの世話を焼く。
それをまるで至福の喜びに感じている様だった。
「リル、可愛いね〜♪」
「くぅちゃんもかっこいいよ〜」
こんな頭の悪そうな会話を本気でしている大悪魔がどこにいると言うのだろうか。
そしてクロエはたまにどこかに出て行く。
リルには仕事と説明して、シュバルツにはリルの世話をするように様々な申し送りを付け加えて出て行く。
初日には怯えてクロエの後ろに隠れていたリルだったが、次の日には何故かシュバルツに懐いた。
「しゅうちゃん!」
リルはシュバルツの袖をぎゅっと握ってその瞳を真っ直ぐに向けて来た。
「あのね、リルね、こうえんにいきたいのぉ」
「…行ってくりゃいいだろ」
目も合わせずにリルを突き放す。
「でもね、くぅちゃんがひとりでいっちゃダメだって、いってたの」
「…はぁ…わかったよ」
呪咀が解けない限り、シュバルツはこの二人から離れる事が出来ない。
どんな茶番であっても我慢するしかないので耐える。
リルに付き合って公園に行くと先ず黒猫がやってくる。
そしてリルは猫に唄を唄ってやる。
シュバルツはその光景をぼんやりと眺めていた。
その唄を聴いていると、なんとなく、気持ちにチクリと刺す何かが湧いた。
昼過ぎになると、『ゆうちゃん』と呼ぶ人間のガキが現れる。
そのガキは学校とやらであった出来事をリルに嬉々として話して聞かせた。
リルは話を半分もわかっていなかった様だったが、
それでもニコニコ笑ってその学校の話を聞いてやっていた。
そして、『ゆうちゃん』にも唄ってやる。
『ゆうちゃん』はぽすりとリルにもたれかかり、リルに肩を抱かれ、その唄を聴いている。
そして何か満ち足りた顔をして帰って行く。
「ふたりともリルのおともだちなの」
シュバルツを振り返ってリルは満面の笑みで告げた。
その笑顔に、少しドキリとした自分がいたが、シュバルツはそれを敢えて無視した。
「帰るぞ」
シュバルツが背を向けると、リルはその後を大人しくついていった。早足に歩くシュバルツの横に駆け足でつけて、キュッと服の袖を掴む。
「まって、しゅうちゃん」
頬を紅潮させ、シュバルツの瞳を茜色の瞳でじっと見つめる。
「しゅうちゃん、リル、まいごになっちゃうよ」
仕方なく、手を繋ぐ。
ニコニコ笑うリルをなんとなく見ている事が出来ないシュバルツは渋面でリルの手を引く。
背を向けたまま手を繋ぎ、マンションの部屋に辿り着き、ドアを開ける。
リビングにリルを放置して与えられた自分の部屋に篭る。
そうしてる内にクロエ帰ってくるのだろうと思っていたが、いつまで経っても帰ってくる気配がない。
仕方がないので、リビングの引き出しに入っているスマホを見る。
メッセージが来ている。
[1週間は戻らない]
シュバルツはふざけんなと心の中で絶叫した。
あんな頭の弱い女と二人きりにされてどうしろと言うんだ。
あいつがしてる様に幼児の世話をするレベルで世話しろという事か!
…恐らく世話しろという事なのだろう。
「…間違いがあったらどうするんだよ…」
頭の中で考えたつもりだったが口に出ていた様で自分で自分の声に気がついてなんとなくバツが悪くなる。
「しゅうちゃん?」
後ろから声がかかる。
振り返るとニコニコ笑っているリルが立っていた。
「あのね、リル、おなかすいたぁ」
この女は本当に何も出来ない。
日がな一日、日当たりの良いリビングで日向ぼっこをし、たまに気が向いた様に唄う。
クロエに性を提供して唄う、これしか出来ない。
何故こんな何も出来ない女にクロエは肩入れするのだろう…。
冷蔵庫を漁り、すぐに食べられそうなものを出してやると、嬉しそうにダイニングテーブルのいつもの決まった席に座り、礼など言ってくる。
「あのね、しゅうちゃん。ありがとう」
クロエは料理も出来るらしく、色々と作ってある。
リルはキョトンと訊ねる。
「しゅうちゃんのは?たべないの?」
「俺はいい」
「リル、ひとりぽっちでたべるのヤダ…」
しょんぼりと肩を落とし、シュバルツを見つめる。
「…わかったよ」
やはり仕方なく、自分の分も用意して、席に着く。
「うふふふ、いただきます」
「…」
食べるのも下手くそでよく口の周りを汚すので拭ってやる。
その度に嬉しそうに自分を見つめてくるのもシュバルツにとっては何か不快だった。
居心地の悪さ、何か認めたくない感情が湧き上がってそれが不快で仕方ない。
認めたくない感情を無理矢理無視して、不快な感情が込み上げる、この振り幅を繰り返していれば苛立ちもしてくる。
食器を食洗機にかけながら、苛立ちを抑える為深呼吸などしてみる。
シュバルツにとってはリルと離れる一瞬だけが平穏を取り戻すチャンスだった。
リルといるととにかく心が乱れた。
風呂まで一緒に入って入れてやらねばならない事がシュバルツにとっては一番辛い苦行だった。
何せリルの肉体は豊満だ。
何とも言えない妖艶な体をしている。
そういう種族の悪魔なので仕方ないのだが、これはやはり堪える。
そこまでは耐えられた。
でもそこまでが限界だった。
クロエとリルはいつもクロエが使う部屋で眠っているので、そこにリルを寝かせて、寝ろと一言だけ言ってさっさと扉を閉めて、自分の部屋に戻る。
感情の振り幅に振り回された1日を終えて、シュバルツは安堵の息を着く。
明日も恐らくこの苛立ちは続く。
束の間の平穏を得る為に今日はさっさと寝てしまおうと自分のベッドに潜り込む。
ふと、夜中に目が覚める。
自分が胸元に抱く、柔らかく、温かい気配に気がつく。
「…?」
「ん…んぅん…」
自分の抱くその柔らかく温かいものは、目をこすりながらシュバルツを見た。
「…しゅうちゃん?」
無防備に自分を仰ぎ見るリルがいた。
シュバルツはぞわりと背中を怒りが走って行くのを感じる。
気がついたらもう、怒鳴り上げていた。
「ふざけんな‼︎何で入って来るんだよ‼︎俺に構うな‼︎近寄るんじゃねえよ‼︎出てけよ‼︎この、バカ女‼︎」
リルは驚きの表情でシュバルツを見つめる。
そしてしばらくして、しょんぼりと肩を落とした。
ノロノロとベッドを這い出て、チラリとシュバルツを見て、言われた通りに部屋を出た。
怒鳴り上げてスッキリするどころか、不快な感情はますます色濃く、自分の全身を支配していた。