知り合いの衛兵に挨拶をしてお屋敷に入り、勝手知ったる室内を進む。
奥さまの部屋に向かうと、夫であるファウスト辺境伯が扉横の椅子に座っているのが見えた。
ファウスト辺境伯は、貴族ではあるが辺境領を治める男らしく逞しい体をしている。
事務仕事に追われる権力者でもある彼の肌色は白いが、身長は高く筋肉にも恵まれた体は辺境の荒くれものにも一目置かれていた。
少し長めの赤い髪を後ろで1つにくくっていて、整っている精悍で男らしい顔がはっきりと見える。
オレに気付いたファウスト辺境伯は、嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
切れ長の目にはまっている瞳の色は赤だ。
その瞳は少し潤んでいる。
「おー、ジャービット。来たな」
「はい。今日からお世話になります」
オレはキッチリと礼をとった。
「ははは。なかなか様になっているじゃないか。赤ん坊の頃から知っている、あのジャービットが、今日からは執事か」
ファウスト辺境伯は、楽しそうに笑った。
小さな頃からのオレを知っている相手に仕えるのは、ちょっぴり恥ずかしいし、くすぐったい。
「まだ見習いです、旦那さま」
「そうか。ふふふ。私の娘も生まれたぞ」
「はい、来る途中で聞きました。おめでとうございます」
オレは、改めて礼をとる。
ファウスト辺境伯は、少し眩しそうに笑った。
「ありがとう、ジャービット。お前には、娘をしっかり支えて欲しい。私を支えてくれている、お前の父のようにね」
「はい。お嬢さまのお力になれるよう、精進いたします」
元気に答えている間に、オレの父さんが姿を見せた。
「旦那さま、ご準備ができました」
「ああ。ありがとう」
ファウスト辺境伯がソワソワした様子で奥さまの部屋へと入っていった。
大きな体が室内に入ったところで、父さんはオレに気付いた。
「おや、ジャービット。来たんだね」
オレは頷いた。
今日から上司になるのは分かっているが、どう話しかけていいのか分からない。
父さんは細身だが、ファウスト辺境伯よりも背が高い。
白髪のメッシュが入った黒髪は短く切られていて、キチンと後ろに流して整えたオールバックな髪型だ。
銀縁眼鏡の奥から鋭く全てを見抜くような黒い瞳に、優しい笑みを浮かべてオレを見ている。
「お前もお嬢さまに会っていくかい?」
「いいの?」
オレが目を輝かせて聞けば、部屋の奥から「いいぞー」とファウスト辺境伯の声がした。
はしゃいで部屋に入ろうとしたオレだが、胸元から「ニャウ」という声が響き、慌てて足を止めた。
「父さん、庭で拾ったんだけど……」
オレは上着の前を開けて、そこに大人しく収まっている子猫を見せた。
「おや、白猫かい?」
「うん、子猫」
部屋の奥から、再びウキウキとした野太い声が響いた。
「猫⁉ それはいいっ。後で見せてくれ」
「承知しました、旦那さま」
父さんはそう言うと、オレの胸元から子猫を取り出した。
「この子は私が預かろう。さぁ、お嬢さまに顔を見せておいで」
「はいっ」
オレは嬉々として部屋の中へと入っていった。
ベッドにはファウスト辺境伯の妻であるイリーナさまが、寝そべって微笑んでいた。
ファウスト辺境伯はだらしなく顔を緩めて、白いおくるみに包まれた小さな体を抱いている。
オレはイリーナさまに礼をとった。
「おめでとうございます、イリーナさま」
「ふふ。ありがとう、ジャービット。今日からよろしくね」
「はい。ご期待に沿えるよう頑張りますっ」
オレは張り切り過ぎて荒くなる自分の鼻息を感じながら元気に言った。
イリーナさまは楽しそうに笑っている。
「ふふふ。娘を見てあげて、ジャービット」
「はい」
ファウスト辺境伯の太い腕の中でスヤスヤと眠るお嬢さまを、オレは覗き込んだ。
「うわぁ……ちっさくて可愛い……」
「ふふふ。ジャービットは、可愛いと言ってくれるのね。生まれたばかりの子どもは真っ赤で、クシャクシャで、おサルさんみたいな顔をしているのに」
「そんなことないです。可愛いです」
本当に可愛い。
髪はピンク色だ。
魔力量が多いと、髪は赤系になる。
ファウスト辺境伯が赤毛で、その夫人であるイリーナさまは金髪だ。
ちょうど中間の程よい魔力量なのだろう。
「ふふ。おめめをキラキラさせて、可愛い執事さんね。ふふ。ねぇ、ジャービット。うちの子を抱っこしてみる?」
「いいんですか⁉」
興奮して勢いよく聞いたオレを見て、イリーナさまは花のように笑った。
「ふふ。いいわよ。ジャービットは、この子の執事になってくれるのだもの」
「ん? 抱っこできるかい?」
ファウスト辺境伯が腕に抱いていたお嬢さまをそのままオレへと渡しそうになって、横に控えていた乳母のオリアが慌てて言う。
「あ、その前に手を綺麗にしてくださいね、ジャービット」
オリアはイリーナさまの乳母も務めた人物で、髪の毛は白髪で小柄、優しそうな茶色の瞳をしたふくよかな人だ。
ちょっとうるさいけど、長年乳母を務めてきた人には従うほうが正しい。
「はい」
オレは慌てて自分に
青色の髪をしたオレの魔力量は、多くはない。
だが長年の訓練で、生活魔法くらいは無理なく使える。
「ほら、抱いてごらん」
「はい。ふふ、可愛い」
オレはファウスト辺境伯から、おくるみに包まった温かくて小さな体を受け取った。
ふにゃふにゃしていて、ミルクの匂いがする体。
小さいけれど、全身を委ねてくる存在は重たい。
「うわっ、爪が小っちゃい。手も、指も、小っちゃい」
全てが小さい。
そして愛おしい。
胸の奥から温かな感情が湧いてくる。
守る。守りたい。この温かく愛しい存在を守りたい。いや、絶対に守るんだ。
オレが自分に誓った時、ちょうどお嬢さまの目が開いた。
お嬢さまの瞳は、ガーネット色だ。
本当に可愛い。
これは美人さんになるぞ。
悪い虫は近付けないように守らなきゃ。
オレの責任は重大だ。
幸せになれるよう全力でお守りしますし、お支えしますよ、お嬢さま!