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第3話 鑑定

 イリーナさまの部屋は和やかな雰囲気に包まれていた。

 大きく開けた窓からは気持ちのよい風が流れ込み、生まれたばかりの小さな体を取り囲む者たちは皆、笑顔だ。

 ひとしきりくつろいだところで、父さんがオリアに話しかけた。


「オリア。そろそろ一旦、お休みされたらいかがですか?」

「あら、いいのですか?」


 意外そうな表情を浮かべるオリアに、父さんはにっこりとした笑顔を向けた。


「ええ。いまなら人手も沢山ありますし。休むなら今ですよ。赤ちゃんのお世話は大変でからね。2、3時間ごとにミルクをあげなければいけませんし、おむつも換えなきゃいけません。今夜からは忙しくなりますからね」


 そうだ。赤ちゃんのお世話は大変なんだ。

 オレは兄弟がいないから知らないけど。

 赤ちゃんはすぐにお腹を減らすし、夜泣きとかもあるからお母さんは大変でフラフラになる。

 そこで乳母の出番だ。

 だが、お母さんと同じように働いていたら、当然のように乳母もフラフラになる。

 それでは、お屋敷の御子さまを安全に育てられない。

 だから、スケジュール調整をしっかりするのが執事の務めなんだ。

 執事向けの教科書に書いてあった。

 オレの予習はバッチリだ。


 オレが父さんの横で、ウンウンと頷いているとファウスト辺境伯も口を開いた。


「ああ、そうだな。オリア、休んでおいたほうがいい。今なら人手は沢山ある。オリアには、夜泣きでイリーナが疲れすぎないように、手伝ってもらわないと」


 ベッド横の椅子に座っているファウスト辺境伯は、両手を上げてひらひらさせて見せた。


「ふふふ。そうですわね。では遠慮なく下がらせていただきます」


 オリアは楽しそうに笑いながら部屋を出ていった。

 彼女が出ていったことを確認すると、父さんとファウスト辺境伯は顔を見合わせて互いに頷き合う。

 乳母を帰したのは、スケジュール調整のためだけではない。

 これから大切な作業があるのだ。

 お嬢さまの一生を左右する作業である。

 オレはゴクリと喉を動かして生唾を飲み込んだ。


「さて、と。ドアを閉めて、一仕事といくか」

「そうですね、旦那さま」


 父さんは白い子猫を足元のカゴのなかに入れると、部屋のドアを閉めた。

 室内には、オレと父さん、ファウスト辺境伯夫妻とお嬢さましかいない。

 護衛騎士もいるが、部屋の外だ。


 ファウスト辺境伯はサッと、室内に防音の魔法をかけた。

 これで外に声が漏れることはない。

 父さんに促されて、オレは腕の中にいたお嬢さまをベビーベッドへと移した。


「鑑定を楽しむ」

「はい」


 ファウスト辺境伯に指示されて、父さんは頷きながら自らに浄化魔法をかけた。

 この国で生まれた新生児は、鑑定を受けて魔力量やスキルを確認する。

 これは重要な個人情報だ。

 安易に他人に知られてはならない。

 膨大な魔力量があったり、特別なスキルを持っていたりすると狙われるからだ。


 これが平民であれば、魔力量にしてもスキルにしても、大したものは持っていないことが多いから割と緩い。

 しかし貴族となれば話は別である。

 特にファウスト辺境伯家のように、特別な血筋では要注意だ。


 父さんはお嬢さまの鑑定を始めた。


「お嬢さまのお名前は、どうしますか?」


 父さんが聞いた。

 イリーナさまが答える。


「リリアーナよ」

「そうだ、リリアーナだ。リリアーナと名付ける」


 イリーナさまの隣でファウスト辺境伯が名前を繰り返していうのを見て、父さんは柔らかく笑った。


「よいお名前ですね」


 オレも父さんに同感だ。


 リリアーナさまか。

 可愛い御子さまにピッタリだ。

 ピンク色の髪にガーネット色の瞳を持つファウスト辺境伯令嬢、リリアーナさま。

 素敵な女性に育つことだろう。

 どんな方になるのかな。

 楽しみだな。

 楽しみだな。

 オレはリリアーナさまのお役に立てるように、万能執事を目指すぞ。


 皆が見守る中、父さんはお嬢さまに向き直るとベビーベッドの上に手をかざした。

 青白い光からじわじわと染み出るように広がっていく。


「名前……【リリアーナ・ファウスト】……誕生日……」


 父さんが鑑定に必要な情報を入れていく。

 オレたちには見えないが、父さんにはリリアーナさまの情報が見えているのだ。

 情報を目で追っていた父さんの表情がサッと曇った。


「旦那さま。これは……大変です」

「どうした? トーマス?」


 ファウスト辺境伯が青い顔をして、父さんへ食いつくように聞く。


「何か悪いことでも……」


 イリーナさまの心配げな声は、外壁にドンッと何かがぶつかる音と、見張り台の鐘がガーンガーンと鳴らされる音にかき消された。

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