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第8話 無理を言わないで


 つまり。梓は呪われた王子との結婚のためにばれたのだと、ユーリは言い放った。

 国のため、結婚相手がいない王子のために。




「この国には女神信仰がありましてねぇ。女神の加護が聖女様の力の源じゃないかと思うんですよぉ」



 緩い、くだけた言い方に戻ったユーリがテーブルの端に置かれていたデカンタを手に取る。

 片手でグラスに注ぐと、少し眺めたあとに水を飲んだ。

 そんなユーリを叱責するリシアの声が、雑音として耳に届く。



「女神はこの国に魔術を与えて、不可能も可能にした存在でして〜。聖女様の枯れた花を咲かせるなんてぇ、呪いを打ち消すなんてぇ、奇跡のごとしぃ。まさしく女神の加護でしょう?」



 もちろんユーリの声もだ。彼が問いかけているのはわかっていても、話している内容がノイズ混じりになっていて上手く聞き取れない。


 梓の頭は完全に考えることを停止していた。いや、放棄、と例える方が近いかもしれない。

 瞳もうつろげで、誰がどう見てもおかしな状態なのがわかった。



「でも聖女様が元の世界に戻りたいのもわかりますしぃ。うん、一年。一年でどうですかぁ~?」



 だがユーリは梓が無反応であることに一切気にかけない。

 独壇場とでも言わんばかりに、一人話し続ける。身振り手振りを使って話すユーリは楽しげだ。



「一年間だけ王子の結婚相手として頑張っていただければ、私たち神官総出で聖女様を元の世界に戻せるよう頑張りまぁーす」



 ユーリは「一年だけなら頑張れますよねぇ~? いい暮らしも保証しますよぉ~」と続けるが、一年どころか今日明日にでも帰りたいに決まっている。


 ユーリは未だに黙ったままの梓を見て、困ったなぁ、とでも言う風に両肩をすくめる。

 そして、



「ま、お返事は明日でもいいですよぉ~」



 と言って梓の背中に手を添えていたリシアに声をかけた。次の仕事があるから、と帰り支度をするように彼はリシアに言う。

 それに対しリシアは首を振って拒否した。梓を放っておけない、と。


 やはりこの会話も梓の耳にはしっかりと届いておらず、とても不明瞭だ。だが、ユーリが話したいことは話したゆえに帰りたがっている、というの態度でわかったから。

 梓は彼らと視線を交わすことなく、重く閉ざしていた口を気合で動かした。



「あの……」



 消えてしまいそうな声。リシアが梓の発言を聞き漏らすまいと顔を近づけてくる。

 やや間が空いて。彼女が「どうされましたか?」と言いかけた時。



「一人に、してください」



 という梓の悲痛な願いがぽつりと、部屋に落ちた。リシアの手が梓の背中から離れる。

 そしてまた彼女も小さな声で「……かしこまりました」と言うと、素早く片づけをしてユーリと共に部屋から出ていった。


 二人が出ていく時、開けたドアから廊下の冷気が入ってきて寒い。

 梓はチェアの座面に自身の足裏を乗せ、腕で足を抱えるようにして丸くなった。



「ここはどこ、なの」



 今もなおユーリがいれば、「クライツ王国ですよぉ~」と呑気に答えてきそうな梓の独り言。

 返答されるのも鬱陶しいが、誰にも拾われないのもまた梓の心をきしませる。



 ◇



「身体、バッキバキだ」



 気が付けば寝落ちていた梓。

 肘掛けにもたれていた頭が落ちて、ガクンッとなった際に目を覚ます。


 だが目が覚めたと言っても、瞳は微睡まどろんだまま。

 かすむ目をこする為に身体を動かすと、首や関筋にピキッとした痛みが走る。筋が強張こわばっているようだ。


 というのも、梓が座っていたのは二人掛けのチェア。ベッドではないところで寝たせいで、身体が悲鳴をあげていた。

 特に痛む腰に手を当てながら上体を起こす。

 すると、一枚の布が身体を滑り床へと落ちた。



「毛布……?」



 布は薄手で四隅にフリンジがついていて可愛らしい。床から拾い上げて両手で持てばまだ温かく、ついさっきまで自分にかけられていたことわかった。


 梓はあたりを見渡す。誰もいない。

 でも誰かが梓が眠りについている頃に訪ねてきたのは間違いない。テーブルの上に寝る前まではなかった小皿が置いてあった。


 小皿には折りたたまれた紙が乗っており、恐る恐る開けば中に茶色い粉末が入っていた。



「変なにおい」



 美味しそうとは思えない匂いだ。例えるなら、漢方だろうか。父親が自宅で飲んでいたソレに近い匂いがする。

 小皿の横には手の平サイズの透け感のある紙もあり、そちらは折りたたまれることなく置かれていた。


 何か字が書いてある。平仮名でもカタカナでも漢字でもない。アルファベットでもない。

 それはユーリ達に見せてもらった地図と同じ、記号に似た字だった。



「……読めないな」



 そういえば医師を後でつかわす、とリシアが言っていた。

 粉末の物はもしかしたら頭痛薬なのかもしれない。記号が羅列してある紙は置手紙で、頭痛薬だから飲んでくれ、とか書いてあるのかも。


 と、想像を働かすが記号らしき文字を読み解くことは出来ないし、部屋に誰もいないので答えはわからないままだった。

 梓は粉末が入った紙を小皿に戻すと、薄掛けを肩に羽織って窓の方へ歩いていくと、おもむろに目の前の窓を開ける。



「相変わらず綺麗な景色」



 窓の向こうに広がる広大な庭園と深い森と青い空。素晴らしい光景は時の流れに伴い、また違った表情をする。


 青空の奥にはひっそりとオレンジ色、夕暮れが近づいていて。

 それが余計に情緒をあふれさせる。きっと旅行か何かで見たのであれば、心から楽しむことが出来ただろう。



(朝あった頭痛はもうない。気分もそこまで悪くない)



 梓は自身の頭に触れた。そこは頭痛を感じ取った場所だ。米神をさすっても、痛みの名残はない。倦怠感も多少はあるが、横になっていたいほどでもなかった。



「こういうところは異世界に来てもかわらないんだなぁ」



 裏山が遊び場であった梓。野山を駆け回ることでついた体力は、ウィルスに負けることも滅多になく、風邪もインフルエンザも数えるほどしか経験したことがない。

 多少の不調も寝ればすぐ回復する身体で、羨ましいと友達に言われたこともあるくらいだ。



「もしかして、これって聖女の力?」



 自然と湧き出た疑問を口にし、慌てて首を横に振る。



(そんなことない……! あんな、枯れた花を復活させるような力はなかったよ!)



 この頑強な身体は育つ過程で培ってきたものだし、生まれる際に親からもらったものだ。

 梓の家族はみんな、程度の差はあるものの元気が取り柄の一家。だから聖女の力なんて最初から持ち合わせていなくて。


 梓の心に父、母、友達の顔が浮かんで消えていく。口元をぎゅっと引き結んだ梓は、自身の首元に触れた。そこには頸動脈に沿って、ケロイド状の跡がまだあった。



「……よし」



 梓は肩にかけていた毛布を取り、軽く畳んで床に置く。そして決意するように声を出すと、勢いよく窓枠に足をかけた。

 いわゆる腰高窓と呼ばれるサイズの窓。その窓枠に両足を乗せ、上の窓枠を両手で掴むと窓を開けた時よりも風が全身に当たった。


 梓は努めて深呼吸をすると、



「せいっ!」



 と、部屋の外へと大きく飛んだ。


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