目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第25話 使用人マヤとの会話


 リシアは優しいから。

 宣言通り、結婚の話題をしないでおいてくれた。彼女とするのは他愛無いおしゃべりだ。

 お互いの年齢や家族構成、好きな食べ物などを話す。時折、体調確認や記憶のことが混ざるが、彼女の話し方が上手いからなのか、聞き取りされても嫌な気持ちにはならなかった。


 記憶がなくなっていないことに彼女は「良かったですね」と言う。

 しかしすぐに「あっ、」という声を出した。

 記憶の有無が良いことなのか否かは梓の価値観によるものだと気がついたからだ。

 異世界に来たことを、聖女であることを梓は否定しているから特に。



「うん。今回は覚えていて良かったです」



 申し訳なさそうな顔をしていたリシア。

 謝るのもいかがなものなのか、と悩んだのだろう。梓がリシアの紫色の丸い瞳を見て返事をすれば、彼女はホッと息をつく。


 他にも昨日、どうやって部屋を出たのか、という話にもなった。

 正直に樹をつたって降りたことを言えば、リシアは失神しそうなほど驚く。

 一応、怪我はしなかったし、木登りも得意だから、と言ったのだけど、彼女は顔を青ざめさせたまま。



「危ないことはおやめください……!」



 そう言って涙目で懇願する彼女は、やはり兄に似ず、優しい心の持ち主だ。



  ◇



「私に敬語は使わなくていいですから!」

「ワタシは使用人でス」

「でも、見た感じ年齢近そうだし……ちなみに、マヤさんは何歳なんですか?」

「十七です」

「! 同い年! じゃあ、なおさら敬語なしで……」

「できませン」



 リシアとの会話を終えていくらか時間が経つ。今、室内にいるのは梓と使用人のマヤのみ。

 チェアに座る梓と側に控えるマヤ、という立ち位置で二人はずっと似た会話を何度も繰り返していた。


 事のきっかけは梓がマヤに“もっとフランクに話して”という主旨の話題を振ったことだ。



「あのぅ」



 テーブルに置かれていた食器をマヤが順番に木製ワゴンへと片づけているのを見ながら、梓は彼女に声をかけてみた。遠慮がちな声はかなり小さい。


 マヤは梓に小さな声で話しかけられたことに気が付くと、作業を中断してそばまでやってくる。その移動は素早い。だが足音もスカートをはためかせる音がなかった。

 同じスカート丈を履いていて、歩くたびに裾を足にまとわりつかせてしまう梓とは全然違う身のこなしだ。

 その動きは隙がない、と言い換えることが出来る。

 口を挟むのを躊躇ちゅうちょしてしまうレベルだ。


 リシアが退出してからずっと声をかけてみたいと思っていた梓。しかし、仕事に没頭している彼女に話しかけるのは迷惑では?、と悩んでいたのだ。

 そばにやって来たマヤが梓の方を見る。

 灰色の瞳が真っすぐと梓を向き、次の言葉を待っていた。



「ご飯、美味しかったです」

「ありがとうございまス。料理長に言っておきまス」



 随分と表情の固い子、というのがマヤに対する第一印象だ。

 マヤは表情を変えることなく梓に返答すると、またもじっと梓を見つめた。



(仕事中に話しかけたから怒ったかな)



 話しかけてみたいと思ったものの、適切な話題を持ち合わせていなかった梓。

 彼女に見つめられ、しどろもどろになる。

 マヤは見た目から判断するに梓とそう年齢が変わらなさそうだった。ならば普段通りに友達と話すように会話すれば良いはずなのだが……いかんせんここは異世界。


 この世界での常識も流行も知らない状態では、会話を弾ませるための手段などほぼないに等しい。

 梓は視線を彷徨わせて話題を探す。そして目に入ったワゴンに乗った食器を見て、



「あ、明日も同じ食事がいいです」



 と、言ってみた。

 マヤはそれを聞き終えると、



「わかりましタ。料理長に言っておきまス」



 と、返事した。

 会話が続かない。しかも後半は同じ文言を返されてしまった。


 さて、どうしたものか。

 梓は「仕事に戻りまス」と言ったマヤに「あ、はい」と答えるしか出来ず、彼女がテキパキと仕事をこなす姿をただ見つめる。


 ちなみにマヤが用意してくれたご飯は、久しぶりの食事にふさわしくミルク粥だった。少し甘めのミルクにパンを浸して煮込んだ料理。

 ミルクもパンも食べ慣れた味に近く、美味しく食べられた。途中で、ミルクが牛乳なのかヤギ乳なのか、はたまた違う動物の乳なのか気になったが、あえて聞かないでおいた。



「マヤさんは、」

「マヤと呼んでくださイ」



 梓はまたもマヤに声をかける。

 膝の上に置いた両手を意味もなくさすったり、揉んだり、と自分の行動に自信がないのが見て取れた。


 彼女の名前を口にすると、間髪入れずに訂正を受ける。あまりの速さに一瞬面食らうが、梓はこれ幸いと話題を広げる。



「じゃあ、私のことも梓って呼んで、」

「できませン」



 一寸の期待が見えてパッと明るくなった梓の顔が、直滑降にどんよりと沈む。マヤの否定は予想以上の速さだ。

 ワゴンに乗った食器やカトラリー類は綺麗に整頓されている。タオルで拭き上げられたテーブルは鏡面のごとく輝く。


 真面目な性格なのが仕事ぶりからよくわかった。そして、彼女は表情が固いだけでなく、性格も頑固だということも。

 マヤは無表情のままワゴンに乗っていたポットを持つと、カップに中身を注ぐ。茶色い液体は湯気をたてていた。



「敬語無しってことは、」

「無理でス」



 尚も淡い期待を持って質問してみても、やはりしっかりはっきりとお断りされる。

 訛りがあるゆえに、否定の言葉が強く聞こえてきてしまう。

 それに“敬語”と言ったが、彼女が話す言葉の中には敬語はほぼなく、それも語調を強める要因だ。


 普通の言葉使いにデス・マスを付けたようなものはセンテンスが短い。ゆえに拒否の形で言い切られると勢いが増し、とてつもなく鋭くなるのだ。



(あきらかに同い年っぽいのに)



 梓は凛々しく立つマヤの姿を見た。

 マヤは黒髪にこげ茶色と、この世界にしては親近感の覚える見た目をしている。肌の色は健康的で小麦色。ベリーショートに整えられた髪がよく似合っていた。


 この数日で出会った人たちが金色や白金の髪、青や紫、緑の瞳の持ち主だったから、彼女の風体に日本を、家族を、友達を思い出してしまう。


 だからこそ。

 梓は食い下がる。勝手だとは自分でも理解してはいるが、彼女と仲良くなりたいと強く思っていた。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?