「なぁにが嫌なんですかねぇ。王族との結婚なんて、よほどの血筋がなければ、奇跡でも起きなければ不可能なんですよぉ? あ、女神の加護があるから奇跡起きてましたねぇ、はっはっは!」
ユーリが高笑いをするが全く持って面白くない。
妹のリシアも同じ気持ちらしく、兄に対して引いた顔つきをする。
リシアと梓、そのどちらからも厳つい顔を向けられたユーリはすっとぼけた顔をした。
「でもぉ、ほんと。強情になる必要なんてないんですよぉ? 結婚することによって権力者になる、住むところにも食事にも困ることもない……こんな暮らし、喉から手が出るほど欲しがる人が大多数なのにぃ」
顎に手を当てて解せぬ、という顔をされる。
梓の着ている服を指差し、「そういう服だっていつでも沢山着れますよぉ」と言う。
「あ、もしや服がご趣味ではないとか? 違う系統の服もありますよぉ、あれなら仕立て屋を呼びますから自分でお好きな服を作っても、」
「そういう問題じゃありません」
もしかしたら、ユーリは梓の
強引な結婚はさせたくない、と思っているのかもしれない。
いや、違う。優しい人ってのは他人に無理強いなんてことをそもそもしないはず。
なら責任を取りたくないがためにしつこくするのか。
などなど色々と考えるが、ユーリが梓の同意を無理にでも言わせたい理由は数多く浮かべども、腑に落ちる物は全く出てこなかった。
「ま、いいですけどぉ。貴方の気持ちを他所に事を進めるだけなんでぇ。成婚の儀は約一ヶ月後。ゆっくりしてる暇はないですからねぇ」
最後は結婚を渋る梓に対して、意思を問うのを止めた。
あれやこれや考えたのが無駄だった。
(考えたって無駄だってわかってるのに。私って馬鹿だわ)
ユーリとの会話は心底疲れる。
彼の笑顔の真意や発言の真相などわからない、と知っているのに思考を巡らせてしまうからだ。
「や〜、もぅ、王族の結婚は経済が回って回って、てんてこ舞いですよぉ」
「……もう、結婚の準備が始まってるって言いたいんですか?」
じゃあ素直に聞いてみてはどうか、とそれを実行したところで、彼は梓が知りたいことを素直に返してくれるわけでもない。
ユーリは意味深に梓の問いかけに笑みを濃くするだけ。
「さてさてー。では、私は仕事があるので、この辺でお
閉口した梓に、うんうんと頷くユーリ。何に納得したのか、わからない。
彼は花を花瓶に生けていたマヤを呼ぶ。
マヤは手に持っていた花を置くと、静かな足取りでユーリの側に立った。
「聖女様に何か食事を。久しぶりの食事だからお腹に優しいのでねぇ」
マヤは縦に首を振ると、ロイドの時と同じく綺麗な四十五度のお辞儀をし、部屋から出て行く。
「んじゃ、リシア、後はよろしくねぇー」
語尾に音符でもつきそうなご機嫌具合。
彼がテンションを上げるような会話はどこにもなかったはずなのに。
梓は頭を振って、考えてしまいそうになるのを制止する。
(ついさっき考えたって意味ないって思ったじゃない)
でも梓はきっとすぐにまた色々と考えてしまうのだろう。
それは梓の覚えが悪いということではなく、この状況に抵抗したいという意思の表れだからだ。
ユーリはずっと抱いたままであったリシアの肩から腕を離すと、両腕をあげて伸びの動作をした。ついでに隠すこともなく大きなあくびもする。
そして長い足で、少ない歩数でドアの前まで向かう。
「では聖女様。私はこの辺でぇ。とりあえずお元気そうなところを見れて安心しましたぁ」
と言って、お辞儀をする事もせずにユーリはドアを雑に開け放って部屋から出ていった。反動でドアが大きな音を立てて閉まる。
残されたのは梓とリシアのみ。
リシアは梓がドアの方を見ている間に軽く身だしなみを整える。ユーリが頭を撫でたせいで、髪の毛が乱れていたためだ。
沈黙を破るようにリシアが口を開く。
「兄が申し訳ありません」
そう言って深々と頭を下げるリシア。
梓はリシアを見る事なく、「気にしないでください」とだけ言った。
この空気を作ったのはリシアではない。梓もわかっている。
なのに彼女に八つ当たりめいた行動を取った自分が嫌だ。
「窓、閉めてもいいですか?」
リシアは今、どんな顔をしているのだろう。気になったが、見たくなかった。見ることが出来なかった。
梓は聞いておきながら、彼女の返答を待つ事なく窓を閉める。
起きた時に吹いていた優しい風は止んでおり、窓に近づいても肌に何も感じない。
梓は窓を静かに閉めると足早にベッドへと歩き、無作法に腰を下ろす。
マットレスの綿が悲鳴のごとく押しつぶされる音を出した。
「お水、飲まれますか?」
今度はリシアが梓に尋ねた。
梓は首を縦に動かすだけで返事をする。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
昨日と同じ。綺麗なグラスに注がれた水を受け取る。
リシアは梓の様子をしばし見ていた。
梓は受け取った水を飲まない。それを見てリシアは少し悲しげにする。
「聖女様がご無事でよかったです」
だが、声は普段通りで。
水に向けていた視線を彼女に移す。目が合えば彼女の顔から悲しみは消え、たおやかに笑っていた。心から安堵した顔だ。
「頭痛があると仰っていましたし、医師に用意させた薬をお飲みになられてなかったので、どこかでお倒れになってないかと不安に思っていて」
「聖女ですよ? 倒れたところでなんともないですよ」
なのに。彼女の優しさにまたも八つ当たりの言葉が出てしまう。
想像よりも吐き捨てるような声が出て、ハッとする。しまった、と思っても、出た言葉は引っ込められない。
小さく「ごめんなさい、嫌な言い方しました」と言えば、リシアは首を横に数回動かした。
「お痛みはありますでしょう?」
「え、」
「確かに聖女様の力は素晴らしいお力です。でも、頭痛があったり、倦怠感があったり……何かあっても生き返れるとしても、身体の不調があるならお辛いと思いますから」
ベッドに座る梓の元にリシアが近づき、彼女は床に両膝をついた。この部屋は土足。
白い服で床に膝をつけば汚れるだろうに、彼女はそれを
「あんな兄を持つ私を信用なさっていただくのは難しいことでしょう。でも、私は聖女様のお力になりたいと考えております」
梓に向けられる紫色の瞳はまっすぐだ。
「なんなりとお申し付けください。困った事、辛い事、お役に立てることを精一杯勤めさせていただきます。結婚の話をなかったことにすることは出来ないのですけど」
「その点は本当に申し訳ありません」と、謝るリシアの声は真心がこもっていた。
言葉の裏などを読む必要がないほどに。
「あの」
「はい」
「薬、飲まなくてごめんなさい。あと、勝手に部屋から出て、心配かけてごめんなさい」
梓は空いている手をリシアの手に重ねた。
彼女が嬉しそうにはにかむ。
「アズサ様がご無事であるなら、大丈夫ですよ」
そう言うリシアは純真無垢だ。
根が優しい彼女は「結婚の話を詰めるように兄には言われておりますが……。今日はその話はやめて、私とおしゃべりでもしませんか?」と語り掛けるように梓に提案する。
その姿はまさしく聖女のようで。
(ほんと、似てない兄妹だ)
梓がゆっくりと頷けば、優しい笑顔で返事をしてくれる。
触れ合った手が温かい。リシアの笑顔と同じだ。