梓自身もロイドの発言に大いに驚いていた。その証拠に、呆けた声で「え?」と言ったのは梓だ。興奮したリシアの声にかき消されてしまったが。
「良かったですね! 聖女様! キラ様は結婚に渋っておられたのに、まさかの承諾だなんて!! 兄さん、準備! 準備進めなきゃ! あれ、でも何からすれば……!」
「リシア、落ち着こうねぇ」
身振り手振り喜ぶリシア。彼女の頬は赤らんでおり、口調も興奮気味に走る。
ユーリが兄らしくリシアを制するがなんのその。彼女は自身の頬に手を添えると、ほぅ、という顔をした。
「キラ様の結婚式楽しみだなぁ」
そう言うリシアの目はとても真っすぐだ。
期待と尊敬と理想と憧れ……ありとあらゆる好意的な感情が込められた瞳は若き少女らしく輝いている。
「リシアさんって、もしかして」
「王子の信奉者みたいなものですねぇ。本人は隠しているみたいですけどぉ」
「信奉者、ですか」
なるほど。クライツ王国の王子ことキラになら、このような反応をする人がいてもおかしくはないのかもしれない。
金髪に碧い瞳。目鼻立ちが整っていて、背丈も十分。身体付きも申し分ない。
男性も女性も百人いれば百人全員が、彼を美しいと言うだろうと思うくらい、全てにおいて綺麗な男だ。
「……他人事のようですが貴方様のことなんですよぉ?」
だが梓にとってはキラという人間はあまりにも現実離れしていて、憧れめいたものは一切芽生えない存在。
彼は綺麗すぎて作り物に見えてしまうのだ。絵画でも鑑賞している気分になる。
ユーリが眼鏡のブリッジに触れて、下がっていた分だけ上に押し戻す。
窓から入る太陽光で眼鏡が反射し、目元が見えなくなった。
その状態で口は笑っているものだから、相変わらずユーリの笑顔には薄気味悪さが漂う。
「わかってはいますけど。てかあの、ユーリさん」
「はぁーい、なんですぅ?」
狐につままれる。そんな
細目のユーリが笑うと狐みたいだ。しかも人を化かすときの狐の顔。
ロイドとは別の意味で梓はユーリに苦手意識を持っている。
「王子様が、キラ様が結婚に乗り気じゃなかったって最初に言っておいて欲しかったんですが」
「あれぇ、言ってませんでしたっけぇ~?」
「言ってませんよ」
「でもまぁ、聖女様も結婚話、承諾してくれてませんしねぇ」
「それはそうですけど……。でもあんな風に言われたら王子は結婚相手を探していたって思うじゃないですか」
「お? なんですかぁ? キラ王子が結婚相手に聖女様を切望すれば結婚するってことですかね~?」
「違います」
「えぇぇえええ〜」
ロイドが態度に明確な敵意や警戒心を持っているのに対し、ユーリは梓にどんな感情を持っているのかよくわからなかった。
のらりくらり。会話の意図もわからないし、会話の終着点も不明。本音で言っているのか、遊んでいるのかもよくわからなかった。
ユーリは梓に近づくとベッド近くのチェアに腰掛けた。先ほどまでロイドが座っていたチェアだ。
この世界で出会った誰よりも背丈が高いユーリ。
簡素なチェアでは足の収まりが悪いらしく、彼は大股に開いてだらしなく座る。
「聖女様。結婚に王子の意思なんて関係ないんですよぉ」
そう言うユーリの顔を梓はジッと見た。
先ほども言ったように、彼の意味深な言い方が指し示すものがよくわからないからだ。
正しい返事もわからない。
ユーリは向けられた視線が疑問を含んだものだと気が付くと、口だけではなく目も月のようにして笑顔を作った。
「これは庶民の結婚じゃなくてぇ、王族の結婚ですよぉ。本人の意思を尊重してたら血が途絶えちゃいますってぇ」
いつもより更に間延びした声。
最後に「ねぇ?」と同意を求められるが、梓が住んでいた世界では一般的な考えではない。
ユーリは広げてた足を持ち上げると一気に床に押し付け、勢いで立ち上がる。
そのまま後ろで手を組み、興奮状態のリシアに向かって「お〜い」と間の抜けた呼びかけをした。
「ねぇねぇ、リシア~。すごいはしゃいでるけど、聖女様はまだ結婚するって言ってないよぉ~?」
気の抜ける彼の声にリシアの動きが止まる。
リシアは「あ、」と小さく声を漏らす。
ユーリと梓、二人分の視線を一気に受けたリシアは、あれほどまでに血色の良かった肌を瞬時に青白くした。
「……っ、……!」
リシアは口を動かすが、まったくもって声になっていない。
慌てふためくリシアにユーリは近づき、彼女の肩を優しく抱きしめた。
慰めるように「可愛い妹だねぇ」と言う。もちろん、そんなことを言えばリシアは不服そうに兄であるユーリを睨むし、ユーリはユーリで彼女の視線を気にかけることはない。
「さて、聖女様。改めてお聞きしますが、ご結婚の意思はいかがでしょうかぁ?」
「……お受け、できません」
嫌がるリシアを無視して、肩を抱いたままユーリが梓に問いかける。
梓は言い淀みつつ、返事をした。
塔の部屋でロイドに言われた、“立場”という言葉が脳内で
そう理解しているのに、梓は首を縦に振ることは出来なかった。
拳を強く握り、俯き様に言う梓を見て、リシアはショックを受けた顔をする。ユーリはリシアの頭を撫でると、「そうですかぁ」と言った。
「ねぇ聖女様」
ねっとり、とした含みのある呼ばれ方だ。はっきり言って気持ち悪い。
顔をあげろ、と言わんばかりのユーリの声に、せめてもの抵抗でゆっくりと顔をあげる。
「さっきも言ったようにぃ、王族の結婚なんですってぇ」
にっこりと笑う様は、写真であったら恰好良いと言えるのだろう。
一般的に見ればユーリの顔は整っている方だ。梓は彼の顔を青白いゆえに不健康そうと表現するが、逆にその青白さをアンニュイと捉えて持て囃す層は一定数いるはず。
日本人離れしたプラチナブランドと紫色の瞳が、余計に憂いさを際立たせる。
モデルに匹敵する男が自分に微笑みを向けるだなんて、こんな稀有なことはないだろう。
だが面と向かって会話をしたことがあるならば別の話。
彼の笑顔はいつだってどこか薄気味悪さを持ち合わせていて、あまり眺めていたいものではない。
ユーリはリシアの頭を撫でていた手で、今度は髪の毛を指に巻いたり、ほぐしたり、といたりする。ゆったりとした手つき同様、
「本人の意思は関係ないって言いましたでしょぉ?」
と、これまたゆっくりと諭すように言った。
つまり。それは。
(私にも決定権はないって言いたいのか)
ようやく彼が言いたいことがわかった。
王族であるキラが結婚に際して意思を尊重されないなら、そのキラの結婚相手である梓の気持ちだって尊重されるわけがない。
(やっぱり、この人苦手だ)
文句が出そうになるのを喉に力をいれ、ぐっと堪える。
決定権がないなら、なぜ気持ちを聞いてくるんだ。
彼の笑顔がおもちゃを前にした子供のように見えて、薄気味悪いを通り越し、得体が知れなかった。