「……畑を耕したいって、マジの話だったんすね。」
リュウがスーツの裾を整えながら、にやけ顔で健ちゃんを見た。
「俺、最初、メルヘン系の比喩かと思ったっすよ。“畑”=“再起の土壌”とかそういう感じかと」
健ちゃん――もとい刺青ダルマの健ちゃんは、胡坐をかいたまま、涙目でうなずいた。
「マジなんだ……もう、血を見るのも、ケジメつけるのも嫌だ……。トマト育ててえんだよ……!」
「なら、やるしかないっすね」
リュウが笑う。
「でも、こっからが本番っす。畑は平和だけど、そこに辿り着くまでの道は地獄すよ」
夜。
組の事務所の近くに停められたワゴン車の中には、パソコン数台とカップラーメンの匂い。
その中心に、完全に椅子と融合しているような男――ハルがいた。
「……ファイアウォール、紙かよ。侵入5秒」
彼の白い指が滑らかにキーボードを叩く。ヤクザ組織の内情、資金フロー、組長の愛人情報に至るまで、次々とモニターに表示されていく。
「ハルくん、さすがね。今日もお肌青白くて最高よ」
後部座席からまゆらがタピオカを吸いながら顔を出した。
「やめろ……そのテンション、CPU温度上がる……」
「でも、どう? 健ちゃんの退職、いけそう?」
「理論上は可能。ただし、組長は“抜けた奴は、顔写真を燃やした後に手配する”主義。あいつ、未だにファックス使ってるけど、やる時はガチだよ」
「ファックスか……レトロな殺意ね」
まゆらはくるりとサングラスを外し、ワゴン車の中で宣言した。
「健ちゃんを、明日の朝日と一緒に農地に立たせる。そのために、今夜が勝負よ」
23時。組事務所、裏口。
「おい、誰だテメエ!」
組員2人が飛び出してくる。
「ども〜! ヤクザの再就職をサポートする、“ヤ退くん”です♪」
まゆらが赤ジャージの裾をなびかせながら登場。
「テメエふざけてんのか!」
「ふざけてませんよぉ。ほら、これ。雇用契約の解除届、社労士印もバッチリ。もちろん、弁護士ドットコム監修♡」
そこに、リュウがスッと現れた。
「オッス。水嶋リュウです。元ナンバーワン、今は言葉のスペシャリストっす。で、今日は交渉に来ました。まずこの動画、ご覧ください」
タブレットを差し出すと、そこには組長の不倫旅行中の密会映像が。
「これ、奥さんに渡したくないでしょ? だったら健ちゃんの退職、快く受け入れてくれると嬉しいっす」
「てめえら、どこまで知ってやが――」
「あと、これもあります」
さらにタブレットを差し出す。そこには資金洗浄のルートが赤裸々に。
「続けます?」
「……ちっ、わかったよ……!」
早朝5時。
健ちゃんは、レンタル農地の前に立っていた。
「……俺、抜けられたのか……?」
「おめでとう、健ちゃん。これからは、トマトの世話だけすればいいんだよ」
まゆらがそっと手を握った。
「俺……ほんとに畑、耕していいんだな……?」
「うん、耕しな」
健ちゃんは泣いた。
派手な刺青の入った腕で、スコップを握りしめながら。
その背中を、赤ジャージのまゆらと、スーツ姿のリュウ、そして車内からひょっこり顔だけ出したハルが、静かに見送っていた。
「次は、どんな地獄の依頼が来るかなぁ♪」
その瞬間、スマホが鳴る。
「……新しい依頼よ。“この世界から退職したい”って」
「また面倒なやつ来たな」
まゆらがにやりと笑う。
「でも大好きよ、そういうの♡」