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第10話 「ホストの本音と公務員の嘘──リュウと冷人、運命の再会」

──地下スナック『クレオパトラ』の非常階段裏、東京の闇が静かに震えた。


「来たか」


タバコに火をつけるリュウの手元を、寒風がかすめる。ライターの火がかすかに揺れた。

向こうから現れたのは、スーツに金縁メガネの男――霞ヶ関冷人。その足取りは、驚くほど静かだった。


「こんなところに呼び出すとは、君も相当アンダーグラウンドになったものだ、リュウくん」


「元ホストだからな。裏に生きてナンボだろ?」


リュウは煙を吐きながら薄く笑う。その目の奥にあるのは、夜の繁華街で何万人と相手してきた男の“人を見る目”だった。


「それで? 国家のお偉いさんが、なんの用だ? まゆらを止めに来たのか、それとも俺を買収か?」


「君に交渉に来た。いや、“確認”だ。君の再就職支援という名の活動が、国家の“雇用安定政策”にどう影響しているか、直接話を聞いておきたくてね」


冷人は表情を変えない。無表情すぎて、もはや人形に近い。


「“雇用安定”ねぇ。相変わらず笑える言葉を使うな、お前らは」


「笑えない現実だ。退職代行が氾濫し、若年層の“職業定着率”が下がっている。統計もそれを示している」


「へぇ、それで“生きてる奴”は何人なんだ? あんたらの統計で?」


その言葉に、冷人の眉がわずかに動いた。リュウの言葉は、彼の芯をかすかに揺らす。

リュウ、生き様はチャラく見えて、その実、顧客の心を読む鋭さを持つ男。

ホストクラブでは「客が望む夢」を与え続けてきた。

だが、本当は“誰にも救えなかった過去”を抱えている。


昔、彼には一人の常連客がいた。疲れたOL、週末にだけ現れる30代の女性。

ある日、「会社、辞めるかも」と彼女がぽつりと呟いた。リュウは冗談交じりに「じゃあ俺のとこ来れば?」と返した。


数日後、その女性は自殺した。

遺書にあったのは、「ホストの言葉だけが、現実だった」。


「俺は……夢だけ見せて、現実を何も支えられなかった」

それ以来、リュウは「本当に辞めたい人間の背中を、現実ごと押す」ことに拘るようになった。


「国家が人間を数字で見てどうする。俺たちは、汗と涙と…時々クソみたいな感情で生きてるんだよ」


リュウの声が、階段のコンクリートに響く。冷人は一拍の沈黙のあと、静かに言い放つ。


「だが、数字を捨てた国は、滅ぶ。感情では経済は回らない。失業率が5%を超えると、政権は持たない。君たちの“自由”が、国家を蝕むのだ」


「なら、クソみたいな国家ごと滅びてくれ」


リュウの言葉に、空気が一瞬止まったように思えた。


冷人はわずかに目を伏せる。

そして――ふと、口元を歪めた。微笑のような、皮肉のような、かつて見せたことのない顔。


「君は、かつての私に似ているのかもしれない」


「は?」


「……私も、物語を書いていた。ずっと昔。だが捨てた。国家のために」


リュウは思わず目を見開く。


冷人、表向きは完璧なエリート官僚。だが、彼は「人間を“システムとして管理”しようとする冷酷な国家の歯車」に徹している。


感情を捨て、統計と法に従い、人を数字で判断する男。

しかし、心の奥底ではかつて夢を見た「小説家になる」という願いを殺している。


幼い頃、図書室で黙々と物語を書く少年だった冷人。

だが、官僚の父にノートを破かれ、「この国に必要なのは感情じゃない、政策だ」と叩き込まれた。

以来、彼は心を凍らせた。


「おい、まさか“霞ヶ関冷人”が、かつてラノベ書いてたってオチじゃねぇだろうな」


「小説ではない。政治評論の形を借りた寓話だ。“失われた働く理由”という短編だ」


「タイトル重いな……」


冷人は軽く眼鏡を押し上げた。

「君と話すと、思い出すよ。私が捨てた“弱さ”を」


その目は、かすかに揺れていた。人形のようだった冷人に、ようやく“人間の温度”が戻ってきた瞬間だった。


その瞬間、遠くの屋上からスコープ越しにふたりを見つめる影があった。


「冷人が揺れている……これは計画を早めるしかないな」


白瀬 灯。マスク越しに笑みを浮かべ、スマホの画面を操作する。


「じゃあ、次は“本物の退職”をプレゼントしに行くとするか」


そしてその背後、ひっそりと佇む小柄な影。しのぶちゃんが白瀬の行動を見守っていた。


物語は再び動き出す。

極道も官僚も、ホストも引きこもりも。

みんな“働く理由”と“働けない事情”を抱えている。

社会は“制度”でできているが、人間は“矛盾”でできている。


──それでも、誰かが叫ばなければならない。

「働かない自由も、生きてる証なんだ」と。



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