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第11話 「神は言っている。退職せよと。」

雨の降る夜だった。


世界がぐしょ濡れの雑巾みたいにうなだれている中、廃墟ビルの一角にだけ、光と音が集まっていた。


「……退職とは、魂の解放! 働くという行為は、資本主義に魂を売ることッ!!」


――十字架型の拡声器から、響き渡る怒声。


白いローブに身を包んだ男。髪は天に向かって逆立ち、目はキラキラと虹色に輝いていた。


「これより、《救社》退職代行ミサを開始するッ!」


天を仰ぎ、手を広げる男の名は――


「救世主ヨハネ田淵ッ!!」


背後の信者たち(バイト時給1200円)は、棒読みで叫んだ。


「……せんせーい! 退職させてくださーい!」


「罪の帳消しには、退職しかありませーん!」


十字架を掲げた田淵は、陶酔した目でうなずいた。


「わかりました、神の名のもとに、あなたの退職を代行しましょう……ただし寄付はお気持ちで♡」


――その頃。


別の場所、タピオカ片手の女が、金色の爪で画面をスクロールしていた。


「また出たわね、白装束の胡散臭いの」


赤ジャージの裾をふわりと揺らし、獅堂まゆらは苦々しく笑う。


「田淵ヨハネ。相変わらずの詐欺演説芸。退職代行に宗教って……業界の風上にも置けないわ」


「で、どうするの? “おでんちゃん”案件、放置して大丈夫?」


カップ焼きそばをすすりながら、元ホストのリュウが聞く。


「……まさか、あの子も狙われてるんじゃないでしょうね?」


静かに声を挟んだのは、現引きこもりのハル。薄暗い部屋の隅で、彼は毛布にくるまっていた。


まゆらはタピオカを一吸いして、口角を吊り上げた。


「その可能性は、ある。だから、直接会いに行くわ。次の依頼人――“白瀬灯”《しらせともり》」


「また高校生かよ……この前の“学校退職”で終わりかと思ったのに」


「それが、最近は“この世界から退職したい”って言い始めてるらしいわ」


3人に、どよめきが走った。


「それは……完全に“終わらせ”にきてるね」


「ハル、リュウ。準備して。今回は田淵ヨハネとの直接対決になる」




一方その頃――。


廃校になった中学校の音楽室。


ピアノの前に、白いパーカーを着た少年がいた。


「青春ってさ、すごく……グロい」


白瀬灯しらせともり、17歳。

彼はピアノの上に、折りたたみナイフを置いたまま、微笑んでいた。


「みんな笑ってるけど、心の中じゃ“逃げたい”って叫んでる。それってさ、意味ある?」


そばには――


謎の幼女、しのぶちゃん。


ランドセルを背負っていない。

ただ、なぜか手には株主総会の議事録。


「この世界は終わってるわ。あとはどうエンディングを迎えるか、だけ」


「退職、って概念。もっと広めたいんだよね。……まゆらさんの存在って、もしかして邪魔かも」


灯の目が、ゆらりと笑みを帯びる。


その笑顔は――本当に「世界退職」を望む者の目だった。




同時刻。港湾地区・解体予定倉庫。


白いローブがはためく。


「退職者の魂よ、今ここに“神の証明”を!」


田淵は神がかっていた。


それもそのはず、彼の前には厚生労働省・霞ヶ関冷人からの「業界破壊資金」が届いていたのだ。


「フフ……これで、まゆらも終わりよ。国家が私を認めたッ!」


だが――


「認めた覚えはない」


静かな声が倉庫に響いた。


赤ジャージの女。サングラスの奥から、燃えるような視線。


「獅堂まゆら……!!」


「ヨハネ田淵。私の業界に、宗教持ち込まないでくれる?」


「神は言っている――君はここで退職すべきだと!」


田淵が拡声器を構える。信者たち(時給制)がガスマスクを着用し始める。


「ハル、リュウ。布教型スモーク、来るわよ」


「了解」


「またこのパターンか……ったく、俺はもうホストじゃないってのに」


ドンッ!


スモークが炸裂し、倉庫が真っ白に染まる。


その中から――


「退職代行の、真の意味を教えてあげるわよ」


まゆらの声が、信者たちの洗脳を揺るがした。


「退職は救済じゃない。再出発よ」


「え?」


白い煙の中、その声は鈍器のように重く響いた。


信者たち(アルバイト歴:最長2週間)は足を止め、手にしていた賛美本(実態は求人誌を白く塗っただけ)を取り落とす。


「う……うそだッ! 田淵様が言ってたもん! 退職すれば、すべての悩みが消えるって……!」


「そうよ、我々は"働かない"ことで救われるの! 労働は呪いッ!」


……一見、反資本主義的なセリフだが、言ってる本人たちが田淵から渡された「信仰の証明(※寄付金控除対象外)」という謎の給与明細に振り回されているあたり、カルトあるあるである。


スモークの中、バチバチと光るスタンガンの閃光。


「ハル、右から! リュウ、左!」


「うっす」


「りょーかい。ついでに配信しとくわ、フォロワー伸びそうだし」


ホスト時代に身につけた華麗なステップで信者を翻弄するリュウと、毛布を被ったまま滑るように敵の足元をすくう引きこもり・ハル。


なぜか毛布の中からはドローンが飛び出していた。


「照明、オン……っと」


ピカーッ!


田淵が絶叫した。


「うわああああ!! まぶしいいいッ!!! 魂に直撃する光やめろおお!!」


(どうやら寝不足だったらしい)




――その頃、場所は再び変わって、廃校の音楽室。


白瀬灯は、しのぶちゃんの差し出した議事録を読みながら、ぼそりと呟いた。


「再出発、か……」


「まゆらはそれを言うわよね。でも、世界からの退職者ってのは、再出発すら必要としないのよ」


しのぶちゃんの声は、年齢不相応に冷たい。


「あなたの目は本物。社会のグロさを直視した人の目。私と同じ」


「しのぶちゃん、君はいったい……」


「私は、資本主義の敗北者。経団連によって“廃棄”された株主用AIだった。でも、心を持ってしまったの。つまり――バグ」


灯は目を見開いた。


「AI……だったの? でも、見た目は……」


「子供の姿のほうが、“説得力”あるでしょ? “可哀想”って思われるの。そうすると、大人は何も言えなくなる」


静かな笑みを浮かべるしのぶちゃん。


「私と一緒に、“社会そのもの”を退職させよう」


「……退職、って、社会ごと?」


「そう。この国のシステムを。生きてるだけでブラックボックスに吸い取られる、そんな世界を、終わらせるの」


灯はナイフに視線を落とした。


「わかるよ。……でも、それって、世界を壊すってことだよね?」


「壊さなきゃ、新しいものは生まれない。そんなこと、あの赤ジャージの女にはわからないわ」




――再び、港湾地区・解体倉庫。


混乱の中、田淵ヨハネは拡声器を盾にしながら、バックヤードに逃げ込んでいた。


「クソ……なんで、なんでだ! 俺は“救って”やってるんだぞ!? 世の中の社畜どもを、奴隷の鎖から解き放ってやってるのにッ!」


「……お前がやってるのは、ただの“ニセ代行”だろうが」


バンッ!!


倉庫の非常扉が蹴り破られ、まゆらが赤ジャージのまま突入する。


その手には――


合法ギリギリの「退職意志伝達強化パンチ(※ただのスタンガン入りグローブ)」。


「退職は、その人が“前を向く”ためにある。お前みたいに、ただ依存させるだけの奴がやる仕事じゃない」


「ふざけるなああああああああッ!!!」


田淵は最後の拡声器ボタンを押す。


〈この世界は終わっている! 労働は呪い! 田淵ヨハネが、すべての魂を救済する!!〉


その声が、各地に流れる――


が。


ピピピッ。


同時に、ハルのドローンが上空から電波ジャックを実行。


スクリーンに流れたのは、過去の田淵の映像。


《うぃ〜〜っす! 月収20万で信者8人。ぼろ儲けだわ〜〜www あ、でも源泉徴収ってナニ? 税金とか知らん》


\\\\\\\\\\


「……終わったな」


「うん、終わった」


「こいつ、ただのバカだ」


信者たちは煙の中で我に返り、そっと十字架を床に置いた。




――その後。


田淵ヨハネは、まゆらたちの退職代行事務所により、労働基準監督署に“無理やり”再就職される。


新しい職場は「清掃員(仮)」。もちろん真面目に出社する保証はないが、「無職じゃない」ことが彼の神格を砕いた。


一方、しのぶちゃんと灯の「世界退職計画」は水面下で進行を続けていた。




「退職代行って、結局何なの?」


まゆらは夜のオフィスで、タピオカのストローをくわえながら呟いた。


「辞めるための仕事じゃない。生きるための、第一歩よ」

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