目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第13話「ハルはもう死んでいた、という仮説について」

──現場は静まり返っていた。


港の倉庫街、午後9時23分。人気のないドラム缶の影で、俺は「過去」と鉢合わせていた。


「……よお。ハル坊」


薄笑いを浮かべて立っていたのは、スーツ姿の男。七三分け、銀縁メガネ、手には国章入りのバッジ。


元・厚労省キャリア官僚。


そして俺の元・上司。


高堂たかどう……」


俺はその名を、呪いのように口にした。




◆◇◆


俺の名前は春日ハル。


かつて、厚生労働省『再就職誘導推進課』に所属していた。


通称、「ナナメ上課」。


――文字通り、世の中の失業者をナナメ上から見下ろし、無理やり職に“ねじ込む”役所だった。


「老人介護? 足りてませんねぇ。ハルくん、この60代のおっちゃん、ちょっと“介護職”に突っ込んでおいて」


「この人、腰悪いって書いてますけど……」


「気の持ちようだよ気の持ちよう。厚労省が“就業可能”と判断したら、それが正解なんだよ、わかる?」


俺は何度も何度も、失業者を、人格ごと“押し込んだ”。


だが――


ある時、俺の押し込んだ中年男性が、配属初日に過労で倒れて、そのまま死んだ。


そして。


彼の家族は、首を吊った。


「ハルくん。辛いだろうけど、これも“社会的合理性”だ」


高堂のその言葉に、俺は全てを捨てた。


ネクタイも、公務員証も、国家という名の保険も。


自分の名前すら。




◆◇◆


「……まさか、あんたが“再就職代行事務所”の連中を見張ってるとはな」


「そりゃそうさ。元部下の“失態”を回収するのも、上司の務めだ。お前が再就職代行屋なんかに関わってると知ってな、上から“掃除しろ”って通達が来た」


「“上”……まさか、厚労省の――」


「上層部なんて飾りだよ。動かしてるのは“再就職市場管理委員会(JREMC)”だ。お前も知ってるだろ? 再就職率99%を誇る国家プロジェクト。その裏にある、本当の意味を」


「……“職がない者に、生存権はない”。あのスローガンは……冗談じゃなかったんだな」


「もちろんだ。働かざる者、食うべからず――ってな」


高堂はポケットから一枚の写真を取り出した。


「こいつを見ろ」


そこには、見慣れた顔。


ヨハネ田淵。


アロハシャツの上から教祖ローブを羽織り、熱く語っている。


「こいつな。実は昔、厚労省の“特別就労プログラム”にいた。元・極道を社会復帰させるって触れ込みだったが……」


「まさか、まゆらと?」


「そう。“同期”だった。だが途中でプログラムは破綻した。理由は――“感情が生まれたから”さ」




◆◇◆


その昔、まゆらと田淵は『極道再社会化プログラム』という実験的な事業の第1号被験者だった。


目的は、暴力団関係者を一般社会に“溶かし込む”。


書類上の身元保証、履歴書の改ざん、心理ケア、就業訓練、果ては脳内ホルモン調整による「従順化処理」まで。


しかし――田淵は拒絶した。


「俺は俺のままで生きたい。社会に“飼い慣らされたペット”にはならん!」


一方、まゆらは――すべてを飲み込んだ。


怒りも、恨みも、自己否定も。


ただ一つ、「誰かのためにもう一度、働く」という意思だけを握って。


二人は決裂した。


田淵は信仰に逃げ、まゆらは実践に残った。


それが今に続く因縁だった。




◆◇◆


「で? その話を、今さら俺にして何がしたい」


俺は睨む。


高堂は笑って煙草をくわえた。


「再就職代行屋は、いまや“厚労省にとっての脅威”だ。自立した職業マッチングが“国の管理”を超え始めている。……だから潰す」


「だったら、まゆらを……!」


「殺しはしないよ。あくまで“制度的排除”だ。契約停止、失業保険対象外、社会信用スコア低下。詰め将棋みたいに、じわじわ追い詰める。そう、“法”の力でな」


「……外道が」


「“外道”とは“制度の外”にある者を言う。だがな、ハル。お前も、もう“内側”の人間だ」


高堂が差し出してきたのは、再就職官特別任用通知書。


俺の名前が記されていた。


「お前に選択肢は二つ。まゆらを裏切って、“制度側”に戻るか。それとも――」


「…………」


「“また、死ぬ”かだ」




◆◇◆


その夜、事務所のキッチンで、まゆらが湯豆腐をつついていた。


「おでん……じゃなかった、灯。あんたこれ食べられる?」


「うん。大根、うまい……ていうか、事務所ってこんなに“家庭感”あったんですね」


「そりゃそうよ。“再就職”ってのは、結局、“家庭”の代わりでもあるんだから」


その言葉を聞きながら、ハルは黙ってドアの前に立っていた。


あの日失ったはずの、“職場”でも“家庭”でもない場所。


だが今は、ここが唯一の“居場所”になっている。


まゆらがこっちを見て、にやっと笑った。


「どした? また厚労省の犬にでも会ったかしら?」


「……いや」


ハルは嘘をついた。


「ただの、昔の知り合いさ」


自分の過去が、すでに“戦場”になっていることを、誰にも言えなかった。


ただ、まゆらの後ろ姿を見つめながら、心の中で誓った。


――今度こそ、この人を“押し込ませたり”しない。


俺は、制度の歯車には戻らない。


そのために、再就職したんだから。




◆◇◆


そして。


その夜、田淵は教団の地下室で、密かに“神託”を受けていた。


「次に再就職するのは――“まゆら”だ」


その声を聞いて、田淵は静かに笑った。


「やっと、お前を迎えにいけるな。俺たちの、最後の就職先に」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?