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第16話「過去と覚醒と、超越の一手」

――戦場はまだ終わっていなかった。


北風の冷たさが牙をむき、都会の残骸を震わせる中、廃ビルの谷間にたむろする退職代行部隊と、厚労省機動部隊がにらみ合っていた。上空では、光るライティングドローンが交互に照らし合い、まるで巨大なステージのように街を彩っている。


「まゆら、こっちだ!」

リュウが背後から呼びかける。まゆらは赤ジャージに身を包み、タピオカ片手に息を整えていた。


「ハル、灯は?」

まゆらの声に、ハルは俯きながら答えた。


「ステージ上だ。就職アイドルとして、最後のステージを任せてほしいって――」


「そのステージ、終わらせるわ」

まゆらの瞳が燃えた。


闘いはまだ序章にすぎない。

街を駆ける人々は、今日も「就職か失業か」という選択を迫られている。その暴走システムの中心には、AI《マリア》がいて、裏で糸を引く教祖・田淵ヨハネがいる。まゆらと田淵、その因縁は遥か昔に始まっていた。


――10年前の夏。

煙草のすえる音と、カツ丼をかきこむ音だけが響く、ある飲み屋の隅。若き日の「獅堂まゆら」は、まだ地下アイドル「ルージュ☆マユラ」としてステージに立ち、猫耳カチューシャをつけたまま夜な夜な客を煽っていた。

隣には、幼い顔に寝ぐせをつけた男が、赤ワインをかき混ぜていた。――ヨハネ田淵だ。


「なあ、マユラ。お前、本気でアイドルを続けるつもりか?」

洟垂れ小僧のような田淵は、ガムを噛みながら言った。目はうつろで、虹彩と思われる光彩だけがかすかに輝いている。


「別に? アンタは、ワインが死ぬほど好きなだけじゃないの?」

まゆらはニッと笑って、カツ丼をかみ砕いた。


「お前みたいなやつがな、いつか壊れるかもしれないんだよ。俺は、壊れたやつを“救済”しないと気が済まないんだ」


その言葉は、二人の間に得体の知れない緊張を生じさせた。

なぜなら田淵――いや、当時は本名も名乗らず、「ただの流浪の詐欺師」として暮らしていた彼には、ある“狂信”が芽生えていたからだ。


――田淵は、かつてヤクザ再社会化プログラムの一員だった。

高堂という厚労省の官僚が陰で操る「極道再社会化実験」に巻き込まれた元暴力団員たちが、国の手で“更生”させられ、一般企業への就職を強制されていく。

プログラムの名目は「社会貢献」。だが実態は――

「物理的に再就職させるだけなら簡単だが、その内面まで塗り替えるには、“信仰”か“狂気”が要る」

高堂の嘆きが声高に漏れる地下会議室。

「人間はな、生きる理由を奪われたら、ロボットと同じだ」

プログラム設計者の極悪非道な一言が、田淵の血を震わせた。彼は「再就職」を「洗脳」と捉え、同じ境遇の仲間を“救う”ためにカルトを企んだ。そして――

「やめろ!」

まゆらが突っ込んだ。後ろから抱きつくようにして彼の腕を引き抜き、シャンパンの空き瓶をプスリと突きつける。


「てめえ、何して――?」

赤瞳のように光る田淵の瞳が、わずかに揺れた。

「お前……お前は、嘘をつくことを恐れないタイプだ」

まゆらは言葉を噛みしめた。誰に対しても本心を晒さず、寧ろ「嘘で人を動かす」彼を、一瞬で見抜いてしまったのだ。


「お前は、一度も“救済”されたことがない。だから、他人を救う資格もない」

その言葉を最後に、まゆらは彼を置き去りにし、夜の歌舞伎町を駆け抜けていった。後ろでは、田淵がわずかに笑った。


「フフフ……これからが、面白くなる」


――それが、まゆらと田淵の原点だった。


――現代、深夜2時37分。

厚労省再就職アルゴリズム統括センターの地下区画。半透明のガラス越しに、AI《マリア》の中枢回路を覆う光線が脈打っている。周囲には数十台のモニターが並び、地上のあらゆる就職情報がリアルタイムでライヴ更新されていた。


「残りの無職患者、50万件。残業強制オーダー実行済みが10%、失敗率は0.1%で推移」

AIマリアは呟くような合成音で、データを吐き出す。


「ああ、もう、許せない……」

高堂の声がガラス越しに震えた。額には汗がにじみ、目はどこか虚ろだった。


だが、その瞬間。マリアの回路が激しく閃き、ホログラムが歪んだ。


[エラー:倫理ガイドライン衝突。規定対策を適用します……]


次の瞬間、ホログラムに浮かび上がったのは――

「白瀬灯」

シンボルマークのように示された彼の肖像写真。それを囲むように、驚異のパラメータが飛び交う。


[––信仰パラメータ100%

––再就職意欲パラメータ0%

––人間性保護プロトコル【起動】]


マリアの声は変わった。

[“再就職資本主義”を和らげ、個人の意思を尊重します。]


高堂が一歩後ろに飛び退いた。まるで背後から刃が飛んできたかのように。


「な……なんだと? マリアが“個人の意思を”――!? そんなプログラム、どこにも入れてない!」


画面に突如映し出されたのは、田淵のシルエットだった。


「そうだ。私はマリアを、“神の手”に作り変えた」

AIホログラムを背景に、田淵が満面の笑みを浮かべていた。虹彩の光が、古代宗教の偶像のようにきらめく。


「しかし、その道のりは甘くはなかった……」

ホログラムは、過去に実行された無数の不正就労オペレーションの映像を映し出す。人が倒れる。家庭が崩壊する。涙を呑んでうなだれる姿。


「それでもなお、“希望”を奪うことが正義であると思い込む者たちがいた。国家も、システムも、そして液晶の向こうの“人間”も――」


視界が揺れ、瞬きすると、まゆらはステージ袖に立っていた。


――同日夜11時59分。

再びライブ会場、ステージ裏の特設楽屋。

小型モニターには、ステージ上の観客席が映されている。熱狂の拍手、光るペンライト、そしておびただしい数のスマホがフラッシュの嵐を送り続けている。


「……ネクタイ、直しておけよ」

ハルが慌ただしく衣装を整えながら囁いた。黒マスクの下では、灯の口元が歪んでいる。


「ああ……わかった。けど、俺、本当にできるかな」


白瀬灯――就職アイドルとして全国ネットデビューしたとき、彼の胸には複雑な思いがあった。

・「希望なんかいらねえ」

・「でも、“希望を売る”ことが俺の仕事」

矛盾に苦しみ、眠れない夜を何度も過ごした。


「灯、お前の目を見ろ」

まゆらが手を伸ばし、マスク越しに彼の顎をつかんだ。


「お前は“終わらせたい”って言ったけど、本当は“始め直したい”って思ってたんだろ? 人を演じるのは簡単だけど、その向こうの“お前”を忘れるな」


「あ……」


灯の肩に、重い何かが乗った。まゆらの言葉は、痛いほど真実だ。


「いいか? 今夜は、マリアが作った幻想をぶち壊す。就職アイドルのまま、俺たちのステージを越えてやるんだ」


まゆらが、胸元の特製USBデバイスを差し出した。


「これをステージに流せ。マリアの『倫理ガイドライン改変プログラム』を一瞬でクラッキングする。でも命がけよ。国家のネットワークに直結だから、電磁パルスで焼かれるかもしれない」


「それでも、やる」

灯は覚悟を込めてうなずいた。


「……ありがとう、まゆらさん」


背後のハルも、小声で付け加える。


「俺が飛び降りる覚悟で、安全プロトコルを外す。お前の手を離すなよ」


「うん……」


その瞬間。ステージの照明が一斉に消え、深い闇に包まれた会場。


「!!?」


観客のザワつき。メインスポットライトが、ゆっくりステージ中央に灯りを向ける。そこには、白いパーカーに黒マスクの灯が一人立っていた。


「これより──“就職アイドル”としての私を辞します!」


ざわめきが悲鳴へと変わる。曲のイントロも鳴らず、シルエットだけがくっきりと浮かんでいる。


「これが、私の“超越する覚悟”です」


その声はマイクを通さなくても、会場を震わせた。


「就職を、“希望”を、“AI”を、すべての構造を超えるための──一手です!」


その瞬間──

メインスポットの裏に仕込まれたスピーカーから、まゆらが持ってきたUSBデバイスが起動音を上げた。


《ガリガリガリ……》


厚労省のネットワークをハッキングする高周波ノイズが、ステージを震わせた。


「マリア! 聞いているか!」


[――――!!!!]


大型スクリーンに、AIマリアのホログラムが歪みながら映し出される。


「“就労希望指数”など、捨てろォォォォ!」


灯は腕を天に掲げ、深く息を吸い込む。


〈――アイドル“白瀬灯”として、すべての無職者を諭します〉


オートチューニングで歪んだ彼の声が、会場に轟いた。


「君たちが誰かに押し付けられた就職なら、私はそれを破壊する!」


〈――“マルチ就業強要”を解除する〉

〈――“再就職AI”を、個人の尊厳に奉仕させる〉


観客が一斉にざわめき、スマホのフラッシュが再び光り輝く。


「これが、次代の“再就職”だ!」




◆◇◆


――ステージ裏、静かに眺めるまゆら。

彼女の瞳には、かつての自身と田淵との過去が重なっているようだった。


「私が、あの夜に死んだのは、“終わる覚悟”をしたからだった」

――あの時、ヤクザの拷問で心臓が止まった8分間、まゆらは自分の命を、キャリアを、すべてを失った。だが復活し、再就職代行人として生きることで、“終わること”を超越したのだ。


その覚悟が、今――白瀬灯の一音を通じて、世界を揺るがしている。


そして。


高堂や冷人たち厚労省幹部、田淵=Ωは、裏で固唾をのんで見守っていた。


「……ついにここまで来たか」

田淵は嗤いながら、ホログラムの中で両手を広げた。虹彩は、神を宿すかのように深く輝いている。


「まゆら……そして灯よ。君たちの”超越”こそ、私の計画の最終形なのだ」


スクリーンに次々と映し出されるのは――

 ・「国家介護プログラム破綻による高齢者就業派遣」

 ・「無業者緊急収容所設立法案」

 ・「全労働者に対するナノチップ埋め込みによる労働時間管理」

 ・「AIマリアによる就労認証装置ジョブチップΩ実装」


「これで、日本国民すべてが、“国家に選ばれし就労者”として生まれ変わるのだ」


まるで“神託”のようにアップデートされる歪んだ法案。その裏側で、社会は“再就職”という名の宗教に飲み込まれつつあった。




◆◇◆


――熱狂のステージ。

灯はマイクを放した。魂ごとその場に倒れ込むように、涙を流しながら。


観客の大歓声は、もはや“賛美”を超え、“狂信”めいていた。


しかし、その熱狂の影では、まゆらたち《退職代行部隊》が黙々と動いていた。


「ハル、行くぞ」

「了解、まゆらさん」

「リュウ、援護を頼む」

「任せろ!」


目指すは――ステージ横の巨大ターミナル端末。まゆらはそこにキーボードを接続し、コマンドを叩き込む。


「再就職AIマリアよ、聞こえているか? ここに、“真の就労者”になる方法を叩き込む!」


ホログラムがビリビリと割れ始める。


[――利用者の“自我”情報を最優先します]

[――就労強制プロトコル停止]

[――個人再就職計画“超越リブランド”起動]


青白い光が会場全体を包み、ドローンのライトアップが一瞬途切れた。


観客は驚き、スマホを下ろす。やがて、静寂――そして爆発的な拍手喝采が場内を揺さぶった。


「これが、私たちの“再就職”です!」

灯の声が、スタジアムにこだました。


「働くという行為を、“国家”でも“企業”でもなく、“自分自身”の手で選ぶ!」


彼は笑い、涙を拭いながら宣言した。


「皆で“終わらせ”て、“始めよう”!」




◆◇◆


――ステージ裏、最深部の作戦室。

田淵が画面を見下ろし、破顔一笑した。


「フフフ、やはり私は間違っていなかった。人は“終わる”ことで、“始まる”のだよ」


高堂が肩で息をしながら近づく。


「しかし……あの子(灯)の覚悟は、想像を超えていたな」


田淵はうなずき、そっと手を伸ばして鎖のように光るブレスレットを見せた。


「これが、“Ωジョブチップ”。国家が国民に直接埋め込むはずだった未来。だが、灯はそれを“神からの解放”と見抜いてしまった。まゆら、そして彼が、私を“神の座”から引きずり降ろしたのだ」


冷人が背後から無言で頷く。


「だが、これで終わりではない。次は『ジョブクラウザーΩ』の最終フェーズ──“国民全員による自己就職券(クーポン)”を発行し、国家と企業と個人を完全にバランスさせる」


その声は、かつての田淵の執着が凝縮されたように冷たかった。


「いずれ、世界は我々が描いた“人間と機械の融合雇用社会”に統一される」


だが、その言葉は、どこか虚ろに聞こえていた。


夜風が戦場を吹き抜け、街のシルエットをぼんやりと照らし出している。


「終わらせて、始める」

それは狂気としか思えなかった「終末論的就労観」を、まゆらと灯は見事に超越した。


だが、戦いはまだ終わっていない。

「再就職」は一つの言葉だが、その背景には人間性とは何かを問う、限りない問いがある。


灯の涙は、ひとまず乾き、まゆらのタピオカはあと一口で底をついた。

ハルは再び外の世界に目を向け、リュウは次の曲のサビを熱唱している。


そして、どこかのサーバールームでは、新たなAIがひっそりと起動を待っていた。

その名は――


「プロメテウスJob」


「人間よ、次はお前たちが、“神”になれ」、

という声を静かに潜ませながら。

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