午後4時12分。
さびれたアーケード街の角にある、おでん屋『ふくふく』。
提灯はどこか哀しげに揺れ、厨房からはダシの匂いが漂ってくる。
誰が見てもただの場末の店──なのだが、店のカウンター奥には、絶対にこの国の未来を握ってはいけない存在が、ちょこんと座っていた。
「……いらっしゃいませ。いま、ちくわぶ、煮えたとこ」
冷たい声。
氷より冷たい目線。
その中心には、ピンクのワンピースにランドセルを背負った、ツインテールの少女。
だがランドセルには、常に拳銃が2丁。
──しのぶちゃん、9歳。おでん屋の看板娘にして、再就職代行事務所の影の出資者。
そして、反社再生プログラム『プロメテウスJob』の“真の黒幕”。
「……まゆらさん、来たの。ちくわぶ、1本サービス」
まゆらは、苦笑しながらカウンターに座った。
背後には灯(ともしび)。再就職代行事務所の最年少だが、最近ではすっかり“おでん屋詣で”が習慣になっていた。
「今日もごちそうさま。あ、でもサービスはいいよ。……ていうか、ちくわぶ、好きすぎじゃない? 毎日煮てない?」
「ちくわぶは、利権構造の象徴だから。小麦と水と団子の精神性。安い原料でも価値を創れる、それが経済再生の基本」
しのぶは、まゆらの目を見て一言。
「まゆらさん。あなた、そろそろ“再就職”を卒業すべき。労働という枠組みじゃ、社会は変えられない」
「……は?」
まゆらは思わず箸を止めた。
だがしのぶの目は、まるで国家予算編成会議でも見ているかのように、動かない。
「プロメテウスJob Ver.2を起動する。テーマは、“完全自立社会の構築”。」
「自立社会……って、それって……?」
「働く、という前提をやめる。住む場所、食料、生きる意味、それらすべてを“就労”以外のロジックで成立させる社会。それが“プロメテウスVer.2”。」
灯が口を開く。
「つまり……再就職じゃなくて、“非就職社会”ってことですか?」
「正解。再就職は“既存社会への適応”。だが、Ver.2は“社会そのものの再設計”。言うなれば、再起動じゃなくて、OSの書き換え」
その目は、絶対に小3とは思えない何かを宿していた。
まゆらは、思わず背筋を正した。
「……あんた、それをどうやって? 現実問題、行政も法律も――」
「そのために、JREMC(再就職市場管理委員会)と厚労省の**“資源ライン”**を今、買収中。あと3ヵ月で、“職業”という制度そのものを切り崩せる」
「えぐ……」
まゆらはつぶやいた。
「……あんた、何者?」
しのぶは微笑まない。ただ、淡々と答える。
「子どもは、社会の鏡。大人たちが“働け、稼げ、消費しろ”と言い続けた結果の、最終進化系。
私のランドセルには、銃とキャッシュフロー、あとプロメテウスJobの構想書が入ってる。それが私の“道徳の教科書”」
しのぶがランドセルのチャックを開く。
A4書類にして分厚く30冊分ほどの資料。表紙にはこう書かれていた。
【プロメテウスJob Ver.2計画書】
サブタイトル:「社会的機能としての“就職”の廃止と再構築」
監修:ふくふくおでん屋 代表取締役CEO 志野歩(しのぶ)
「……ねえ、これ本気で言ってるの? どう見ても、おでん屋の小学三年生なんだけど……」
「まゆらさん。あなたの“再就職代行”は素晴らしい。でもそれは、“壊れたルールの中での修理屋”でしかない」
まゆらは、言葉に詰まる。
「働かないで、生きていける社会なんて……そんなの理想論だよ」
「ううん、逆。
“働かないと生きられない社会”こそ、最大の狂気。
だって、生きることに資格が要るっておかしいじゃない?」
しのぶは、ちくわぶを口に運びながら、言い放った。
「私は、国家を“ちくわぶ”にしたいの」
「……何その、サイコみたいな比喩」
「中空構造。外側はしっかり、内側は柔らかくて何もない。
それが、効率的で、噛みやすくて、社会を回すの」
灯がぽつりと呟いた。
「つまり、“就職”ってのは、社会という鍋に詰められる具材のようなもんか……それなら、プロメテウスJob Ver.2は、“鍋そのもの”を作り直そうって話だ」
「鋭い。灯、好き」
「ひぇっ……(好かれたくない……)」
◆◇◆
その夜、裏社会の一角で会議が開かれた。
出席者は、元・暴力団幹部、NPO代表、起業家、そして数名のベンチャー投資家。
円卓の中央に、ランドセルを背負った9歳児が座っている。
「今回、プロメテウスVer.2に資金を追加。1兆円。内訳は、暗号通貨で7割、残りは不動産と“有価人材証券”」
ある投資家が言った。
「……小学生の言うことかよ。こんな社会ぶっ壊すような計画、誰が信用するってんだ」
「あなた。ランドセル、バカにしました?」
「いや、そんなつもりじゃ──」
「灯。撃って」
会議室の隅にいた灯が、即座にBB弾を放つ。
「痛ッ! ちょ、なんだBB弾かよ!」
「リアル弾なら、信用された頃に使う。それが、交渉の基本」
しのぶはにこりともしなかった。
◆◇◆
帰り道。まゆらと灯は、アーケード街を歩きながら黙っていた。
あまりにも……スケールが、狂っている。
「……まゆらさん。どうします?」
「わからん。けど、一つだけ確かに思ったことがある」
まゆらは、空を見上げる。
「たぶん、再就職も、完全自立も……“生きる”ってことの、言い方の違いなんだよ。
だからこそ、あの子みたいなのに任せっぱなしにしちゃダメだ。止めるんじゃない。共に創るんだよ、新しい鍋を」
「……またちくわぶの比喩に感化されてる……」
「うるさい」
まゆらは笑った。
それは久しぶりに、心の底から出た笑顔だった。