「……俺ァ、信じてたんだぜ。働くことこそが、己の救いだってな」
教会の裏手で、田淵ヨハネ(旧名:田淵次郎)が祈っていた。
手には数珠、首には十字架、そして胸元には「就労感謝」のお守りがぶら下がっている。
その姿を見たまゆらは、深いため息をついた。
「……田淵、マジで信仰と再就職がごっちゃになってるな……」
「信仰じゃねェ。“感謝”だよ。
俺ァ、血と涙で築いたこの国のセーフティネットに……心から感謝してんだよ。
再就職して、学んだ。人は“働くことで、人間に戻れる”ってな」
「田淵、それ、しのぶちゃんの“真逆”の思想なんだけど……」
「うるせぇ!!」
教会の窓ガラスがビリビリと震えるほどの声だった。
「“働かなくても生きていける社会”?ふざけんな……そんなの、人間をナメてる!!
俺の親父は、働きすぎて過労死した!
じいちゃんは、労災で片足吹っ飛ばして年金2万だ!!
それでも、みんな“働いてるから偉い”って、そう言って死んでいったんだよ!!!」
その目には、泣きたいのか怒りたいのかわからない、複雑な光が揺れていた。
まゆらは、言葉を失った。
──“再就職”という活動は、人によっては救いだった。だが同時に、“再就職こそが神”になる人間も生み出してしまう。
そして今、田淵はその極端な信者(アカウント名:職神(しょくしん)ヨハネ)として、社会的存在になりつつあった。
「俺ァ、しのぶってガキを、許さねェ。
働かねェで生きる社会? その社会に、死んだ親父の居場所はあんのかよ!!?」
まゆらは、ようやく口を開いた。
「田淵……あんた、いつから“過労死の復讐者”になったの?」
「昨日」
「思いつきかよ!!」
その頃、灯は、しのぶに呼び出されていた。
場所は、どこかの小学校の屋上。なぜか、ランドセルを背負わされている。
「……あの、これ、なんですか……?」
「ランドセル就労支援制度。あなた、該当者。年齢と就労履歴から算出して、児童枠で再雇用可能と判定された」
「児童枠……?」
しのぶはランドセルのポケットから資料を取り出す。
白地に赤い文字で、こう書かれていた。
【ランドセル就労支援制度】
対象:社会的役割の喪失した成人男女
方法:ランドセルを背負うことで児童として再雇用
賃金:児童給+扶養控除的な何か
備考:教育庁より派遣あり、勤務校は希望可
灯は、口を開いたまま数秒固まった。
「いや、意味が分からないです。え、俺、今日から小学生なんですか?」
「違う。“小学生扱いの社会人”になる。ランドセルは支給、給食あり、遠足は自己負担」
「完全にバグった社会保険制度でしょ、それ!!!」
「でも、メリットある。社会的プレッシャー減るし、責任も少ない。精神的安全性、抜群」
灯は額を押さえる。
「……つまり、“子どもとして働けば大人として壊れない”って理論……?」
「そう。あと、これは私の実験でもある。“児童制度の再定義”が目的。
今後、“ランドセル付き社会人”が増えれば、出生率も上がる」
「意味不明だけど……なんかすごい理屈ついててムカつく!!」
「灯。あなた、感情でしか喋らないけど、意外と社会適応力、高い。
でも、今は黙ってランドセル背負って。あとで教育庁の人が来る」
「教育庁!? ちょ、ちょっと待って!」
その日の午後、ハルがファミレスでぼーっとしていた。
「俺、もう限界かもしれん……」
目の前には、教育庁からの“オファーシート”が置かれていた。
件名:【重要】あなたの“こども的資質”を活かしませんか?
勤務先:文部科学省 教育庁 こども化戦略室
職種:こどもアナリスト(特定非就労型)
内容:教育現場における“年齢逆転構造”のフィールドリサーチ
備考:しのぶちゃんの推薦あり
「こども化戦略室って何……なんで俺、“こども的資質”とか言われてるの……」
隣にいた舞子が、アイスティーを飲みながら言った。
「まぁ、ハルってどこか“社会未経験”っぽいしね」
「いや、それ社会人経験の話じゃなくて人格の話じゃね!?」
ハルはオファーシートをくしゃっと丸めた。
「俺は子どもじゃねぇ!!」
「でもランドセル似合いそう」
「やめろおおお!!」
その日の夜。再就職代行事務所には、重苦しい空気が流れていた。
田淵が、完全にビラ配り教祖モードで帰ってきたからだ。
「みんな聞けぇぇぇ!!!
我々は、“働かない自由”に屈してはならん!!
再就職は、魂の行! 経典は職安にあり!!
ランドセル制度は“就労堕落”の第一歩だァァァ!!!」
「田淵、ビラ、3枚目で“労働は神”って書いてあるけど……それ普通に労基法違反だよ……」
「黙れ!! 労基法は俺の敵!!!」
そこへ、ランドセルを背負った灯が帰ってきた。
「ただいま……今日から“小4派遣枠”にされました……給食あるけど……配膳係って地味に辛い……」
「おかえり、灯……って何そのランドセル。マジで労働児童なの?」
「うん……社会的に9歳と認定されたから、来週は運動会もあるって……」
「もうこの事務所、地獄なんだが……」
まゆらが頭を抱えた瞬間、ドアが開く。
入ってきたのは、しのぶちゃん。ツインテール、無表情、そしてランドセルからは……湯気の立ったちくわぶが。
「おでん、できた」
「おでん作ってから来るなよ!!!!」