退職代行から再就職代行へ──。
それは、ただ事務所の看板を裏返すだけで済む話ではなかった。いや、むしろ、「裏返した瞬間から地獄が始まった」と、まゆらは今でも振り返る。
きっかけは、一通のクレームメールだった。
件名:【再就職できなかったので訴訟を検討しています】
差出人は、先月退職代行を依頼してきた男、50代・元電気工事士。内容は簡潔だった。
「退職はできました。感謝してます。でも、再就職先の紹介が無いとはどういうことでしょうか?このままだと死にます。というか、近所の小学生が僕にランドセル就労証を見せびらかしてくるのが精神的に無理です。大人に人権はないんですか?」
このメールを受けた時、まゆらは思った。
──違う、これはクレームじゃない。社会の悲鳴だ。
退職代行業というのは、やること自体は単純だ。「本人に代わって退職の意思を伝える」だけ。しかし、再就職代行は違う。本人の能力、環境、希望、そして社会の歪みと真正面から向き合わなければならない。
「ハローワークが機能してない?じゃあ私たちがやるしかないじゃない!」
激情型のまゆらは、熱に浮かされたようにそう叫んだ。隣で灯は、カップラーメンの湯を入れながらそっと言った。
「でも、資格も許認可も…何もないですよ、うち」
ハルはハルで、コンビニのバイトをクビになったばかりで顔が死んでいた。
「俺に再就職のノウハウを聞かれても、就労経験がコンビニと中学の卒業文集しかねえんだよ……」
それでも始めたのだ、再就職代行業。
最初の頃は、依頼人を紹介するたびにブラック企業と取っ組み合いになった。ある企業では「求人票の内容が実際と違う」と詰め寄ると、人事部長が「AIが勝手に書いた」と平然と答えた。別の企業では、求人票の「アットホームな職場」の意味が、実は「昼休みに宗教勧誘がある」だった。
灯がその企業の社員食堂で“聖水”を飲まされて意識を失った時、さすがに全員が無言になった。
「再就職って、こんなに命がけなんだな……」
ハルがそう呟いた時、まゆらは初めて「退職代行に戻りたい」と心の底から思った。
だが、あの夜。
プロメテウスJobが社会に導入されたその瞬間、すべてが変わった。
表向きは「AIによる最適なマッチングシステム」。だがその実態は、「余剰人材を“使い捨て労働枠”に自動割当てする社会的除染プログラム」だった。
保育士→解体現場
文筆業→土木作業員
元外科医→ポスティング係(足で稼げる、という理由)
そして、灯のような子どもまでもが、「ランドセル就労枠」に登録され、強制的に労働へと狩り出される。
それに気づいた時、まゆらは宣言した。
「いい? もう“代行”なんて生ぬるいのはやめるわ。“就職のゲリラ部隊”になるのよ!」
「意味わからんけど燃えるわ!」
「いや、それは意味わかんないっす」
現在。事務所には、3台のパソコン、5台のスマホ、そして10人以上の相談者が毎日のように詰めかける。
今日やってきたのは、元薬剤師の40代女性。
「薬局をAIが無人化して、私、失業したんです。接客は苦手ですけど、AIには勝てると思ってたのに…」
彼女の履歴書を見ながら、まゆらは真剣な顔で答える。
「じゃあ、ロボットじゃできない仕事を探しましょう。たとえば…“人間の感情を読む仕事”。」
灯がフォローする。
「今、人間味のある接客が見直されてます。“怒られても泣かない店員”ってジャンルで注目されてて…」
「それ、需要あるんですか?」
「めっちゃあります。特に大手牛丼チェーンの深夜帯。」
もちろん、全てがうまくいくわけじゃない。
田淵は相変わらず、労基署にクレームFAXを送り続けているし(なぜか未だに紙)、ハルは教育庁からのスカウトにビビって今も夜中に“お絵かき自己分析”を描かされている。
灯はランドセル就労証をようやく再発行してもらったが、「ICチップ埋め込み式」に変わっており、いつでもGPSで監視されるようになってしまった。
まゆら自身も、未だに役所から「違法職業紹介業の疑い」で3回呼び出されている。
それでも、やるしかない。
「世の中の就職ってのは、な、人生の再設計だ。つまりこれは“建築”じゃなくて“再建築”なんだよ。ちゃんと地盤からやり直さなきゃ、また崩れる」
そう言ったのは、ある元ゼネコン作業員のおっさんだった。
その彼は今、まゆらたちの代行で「町の模型屋さん」への就職を果たし、プラモを愛する日々を送っている。
「再就職って、社会の矛盾を一気に引き受けることなんだよね…」
ある夜、灯がぽつりと漏らした言葉を、まゆらは一生忘れないだろう。
そう、これはただの“お仕事紹介”なんかじゃない。
──社会の歪みを、仕事という形で救っていく物語だ。
まゆらは、看板を見上げた。
「再就職代行・サードワークス」
ネオンがかすかに光る。それは、希望の明かりか、社会風刺のスポットライトか。
「どっちでもいい。やることは一つだ」
彼女はにやりと笑った。
「就職、させるわよ。血ィ吐いてでも!」