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第十三話 家庭教師とリビィ

「リビィ、よく戻りましたわね!」

 日も落ちかけたころ、リビィたち一行がヴァルター城の城門に舞い降りるとエラが一目散に走り寄ってきて、リビィを抱き締めた。

「ただいま」

「お帰りなさいですわ、幽光の森で大変な目に遭ったと伺いましたわ。大丈夫ですの?」

「うん、ちょっと騒動があったけど、でもヴァーンたちが助けてくれたよ」

 エラと会話をしていると、リビィたちの元にヴォートとエレスも側にやって来るが、二人とも心配そうな顔をしながらリビィの顔を覗き込む。

「無事に戻って何よりだ」

「本当に怪我もないようで安心しましたよ」

「心配かけてごめんなさい」

 そこは素直に謝るべきところだと思うので、リビィは二人に向かって頭を下げた。

「いや、こちらの不手際だ。詫びるのはこちらだよ、リビィ」

「ええ、地の国のものがこんなに早く動くとは思わなくて。ごめんなさいね」

 するとヴァーンがリビィや家族の前に跪いて、詫びを述べ出す。

「すみませんでした、父上、母上、エランシア。俺が甘かったです。地の国の使者が来る時点で考えるべきでした」

「ヴァーンは悪くないよ。あたしに森の国を見せようとしてくれただけだし」

 リビィは慌ててヴァーンを立たせようとする。だって彼が悪いなんて思ってもいないのだから。

「悪いのは地の国の王子たちでしょ? 勝手に入ってきて、あたしにひどいことしようとしたんだもの」

 そう、それは少女にとっての真実だ。彼らの目的が何であろうと知りたくもないが、ヴァーンから引き離して邪魔をしたのは間違いない。

「優しい子ね、リビィは」

「ヴァーンも立ちなさい。お前の気持ちは分かったし、行動も正しかった」

 そう言ってヴォートは息子を立たせ、その頭を優しく撫でてやった。実際問題、予想外の事態にヴァーンたちはよくやったのだ。

 緊急事態にできるだけ冷静に判断し、リビィを救い出した。これは彼が王子としても森の国の民としても間違いのない行動である。

「もうこんなことのないようにあちらの国には話を付けておくから安心して過ごすといい」

 ここからは王であるヴォートの仕事だ。元よりリビィという存在が特殊なのだから彼も相手の動きを読み切れなかった。今後のことを考えても地の国との話し合いは必須となっり、今回のことで森の国の方に有利に持って行けるだろう。

 今後のためにも必要だとヴォートは考える。

「そうですよ、地の国には王様がきちんと怒って下さいますからね。もう安心していいのよ、リビィ」

 かなり恐い思いをしただろう少女の頭を撫でてやりながらエレスはそう微笑んだ。

「心配してくれて有り難うございます、王様、王妃様。大丈夫です!」

「怪我はないですか? リビィ」

「うん、本当に怪我もしてないよ。エラも有り難う」

 それは嘘であり、本当だった。挫いた足は女神のところから戻ったら治っていたので、恐らく神様のサービスなのだろうとリビィは思った。

「幽光の森もいいところですから恐いと思わないでくださいませね?」

「うん、大丈夫! すっごく楽しかったもん。とても綺麗だったし」

「さあさ、ヴァーンもリビィも疲れたでしょうから先ずは体を休めなさい。ウルラ、リビィを湯浴みさせてあげてちょうだい」

 エレスはメイドの一人を呼び寄せ、そう命じた。ウルラと呼ばれた女性はエラのメイドであるアルラの双子の姉妹であり、二人はとてもよく似ていた。彼女がリビィが滞在中、面倒を見てくれるということになっている。

「畏まりました。エリザベス様、どうぞこちらに」

「ウルラさん、ただいまです」

「お帰りなさいまし。それからウルラで構いません。姉もそう言ってませんでしたか?」

「言ってたけど……」

 そうは言われても年上の女性相手に呼び捨てはいいのだろうかと悩む。

「ウルラ、あまりリビィを困らせてはいけませんことよ? 好きにさせてあげて」

 エラが助け船を出し、そう言った。

「畏まりました、エランシア様」

「さあ、お兄様も夕餉までに体をお休めくださいな」

「うん、そうするよ、エラ」

 ふーっとため息を吐いてから、ヴァーンはアゼルバインたちの方を見た。

「アゼルバインたちもゆっくり休んでね。今日はお疲れ様だ」

「いいえ、我々の不手際、お許しくださいませ」

「次は不覚を取りません故」

「ええ、そうです、俺たちがヴァーン様もリビィ様もお守りしますから!」

 結果的には無事とはなったが、護衛としてはあまりにも後手に回りすぎたと誰もが思っていた。だからこその決意表明だった。

「いや、みんな、よくやってくれたよ。有り難う。よく休んで」

「有り難きお言葉です。ヴァーン様、リビィ様」

 アゼルバインが深く一礼すると騎士団のものたちもそれに倣う。彼らにとっても想定外の出来事だったのだ。それなのにあんなに頑張ってくれた。それが嬉しい。

「お疲れ様でした! みんな、有り難う」

 だから感謝を込めてリビィもそう笑顔で応えた。

「リビィ様も有り難うございます。では我々は失礼致します」

 アゼルバインたちは再度軽く礼をし、その場を後にしていった。

 それを見送ると、ヴァーンはリビィの方に振り向いた。

「リビィ、次は必ず守るからね」

「あたしも捕まらないからね!」

 そう言い合い、笑い合うのだった。

 城は夕闇に沈み、夜へと移り行く。

「さあ、夜も来る。月が踊り出す前に城に入るといい」

 ヴォートがそう言い、その場にいるものたちに呼びかける。

「この世界の月が踊るの?」

「うん、星たちと踊るのが好きなんだよ。リビィを見付けたら張り切っちゃうからね、多分。昼間の太陽とのおいかけっこ、あっただろ? あれも月がはじめたんだよ」

「そっかー、この世界の太陽と月って面白いねえ」

「リビィのところは違うんだね」

「こっちみたいに分裂もしないし、おいかけっこもしない……あ、でも太陽と月が重なることはあるよ。日食とか月食とかいうんだ」

「そうなんだ。それも綺麗そうだね」

「そう、昼間なのに暗くなってね。詳しい理屈はやっぱり分からないけどさ」

「ふうん、それも面白そうだなあ」

 リビィの世界、どんななのだろうとヴァーンは思う。とても興味があり、話もいっぱい聞きたい。

「ヴァーン、リビィ、さあ、話は後だ。ひとまず休みなさい」

「はーい」

 ヴォートが再度、声をかけてきたので二人は異口同音で返事をして、城へと戻っていった。

 そうして森の国の夜は更けていく――その日、昼間に張り切りすぎた月は寝坊して現れたそうだ。そんな話を翌日にリビィは聞いて大笑いすることになるのだった。


‡     ‡      ‡


「なるほど、神様と邂逅ですか。それはなかなかに興味深い話です」

 城に戻った翌日、ヴァーンの家庭教師であるラウレントを紹介され、当然のことながら昨日についての話になった。

 勿論、昨日の夕餉でも事件のこと、女神との出会いについては王室一家に話してはある。その際にヴォートに是非ともラウレントにも話して欲しいと言われたのだ。

 だからリビィが今回の事件を話せるだけ話すとラウレントは感心したようにそう言い、二人を眺めた。

「うん、そうなんです。地の国から逃げて、ヴァーンに助けて貰って、その後。女神様といっぱい話して。すっごく白くて綺麗な世界で!」

 興奮して話す少女を眺めながら、少し間を空けた後で言葉を紡ぐ。

「実に貴重な体験ですね。それにしてもエリザベス様は実に気さくでいらっしゃる。それ自体はとてもよいことではあるのですが」

「?」

 ラウレントが何を言いたいのか分からないリビィは不思議そうに小首を傾げた。

「ああ、ラウレントは口煩いんだ。気にしないでいいよ。リビィはうちのお城のお客さんだし」

「うーん、でもなんか悪いことしてたかな?」

 自分が話した内容に問題があったのかと思い、これまで話した出来事を思い返してみるが、心当たりはない。

「エリザベス様はおうちのお名前はウォルスングと仰有いましたね」

「え、はい。名字はウォルスングで、エリザベス=ウォルスングがあたしの名前です」

 急に何だろうと思いつつも、リビィは素直に質問に答えた。

「そうですか」

 ラウレントは眼鏡を直すと、驚くべき一言を告げた。

「それでは、あなたの母君宛てにお手紙を書いておきましょう」

「へ? 手紙? ママに?」

「ええ、この先あなた様が困らないように頼んでおきませんと」

「? よく分からないけど、有り難う? でも、ママは向こうの人だから読めないと思うんだけどな」

 実際問題、リビィは今こうして会話は出来いても、まだこの世界の文字を読むことは難しい。それでも読めるようになればいいなとは思っているからこうしてヴァーンの勉強時間に一緒にいさせてもらっているのだ。

「そうですね、今はそれでいいでしょう」

「先生は不思議なことを言うのね」

 リビィはラウレントが何を言っているのかやっぱり分からなくて困り果てて首を傾げると、ヴァーンが少し困ったように笑った。

「変わってるんだよ、ラウレントは。あんまりリビィを困らせないでよ」

 ヴァーンがそう言うと困らせてるわけではありませんよと微笑い、そのままヴァーンの勉強に入っていく。勿論、内容はリビィにはとても難しかったが、それでも聞いていて楽しかったので勉強というものはやはり悪いものではないらしいということが分かった。

「あたし、帰ったらいっぱい勉強する!」

「俺もだ」

 授業が終わった後、リビィが言い切ると、ヴァーンもそれに追随する。その様子にラウレントは満足したように頷き、二人に言葉をかけた。

「さて、本日の授業は終わりましたから、お二方ともお祭りに行ってよろしいですよ」

「お、今日は物わかりいいじゃないか」

「今日のヴァーン様はよい教え子でしたからね」

「まるでいつも駄目みたいじゃないか」

「よく授業をサボられますから」

 痛いところを突かれたとヴァーンは思い、苦笑いをする。これまでの自分の態度がそれを否定出来なかったのだ。

「ヴァーンも勉強苦手って言ってたもんね」

「でもこれからは逃げない。今回のことでも思ったけど、勉強は必要だ」

「うん、あたしもそう思うよ。算数嫌いだけど、頑張る!」

「俺も逃げないようにしないとな。リビィに負けたくないから」

「ヴァーンはでもあんなに難しい勉強してるじゃない? 凄いと思ったよ」

「そう見えたならよかったよ。いつもなら怒られてるかもな」

 ヴァーンはこれからはどんなに難しくても乗り越えていこうと決めていた。目前の少女を守るために必須だと理解したから。

「だからもうサボらないよ、ラウレント」

「それはとてもよい決意ですよ。ヴァーン様がそう仰有るなら尚のこと、私も頑張りましょう。けれど、今日は祭りを楽しむ日ですから行ってらっしゃい」

「さっきから先生の言ってる祭りって?」

「あ、リビィには言ってなかったな、今日は森の国の夜祭りなんだ」

「森の国の夜祭り?」

「うん、昨日行った広場あるだろ? あの噴水に月一度トラネンフルスの枝を捧げるんだ。森の精霊神スピリタス・ヴァルターへの感謝を伝える行事なんだけどさ、そのついでに街でお祭りもあるんだ。本当はヴァルター祭のが派手なんだけど、それはまだ先だから」

「神様への感謝をあの噴水に捧げるんだね。それにお祭り! 楽しそう!」

「後、出店もあってさ。昨日、リビィが食べた『トラネンフルスの悪戯』もあるけど、他にもいろいろお店に出るから楽しみにしてなよ」

「『トラネンフルスの悪戯』、美味しかったからまた食べたいな」

「ふふふ、お祭り仕立てもあるから」

「お祭り仕立て? なんかわくわくする!」

 いったい何が待っているのだろうと思うと心が躍る。

「あ、でも夜祭りってことは夜だけ?」

「儀式は夜だけど、祭りは朝からやってるよ」

「市場、昨日も賑やかだったけど、それ以上?」

「うん、あそこは年中賑やかではあるけど、今日は一段と賑やかになる」

「お祭りってだけで楽しそうだね」

「毎月、いけるわけじゃないけど、実際楽しいよ」


「祭りは勉強にもなりますからね。お二方とも今日はそうですね、星空に一番近い場所を探してご覧なさい」

「宿題ですか?」

「星空に近い場所?」

「ええ、そうです、宿題です。そこで何が見えたかを教えてください」

「なんか難しそう」

「分かった、星に近い場所だな。探してみる。見付からなくてもいいのか?」

「ええ。ただ、あなた方が星空に近いと思えばそれで正解ですよ。だから、ありのまま私に伝えてください」

 そこが大事ですとラウレントは言った。リビィは宿題の意味が今ひとつ分からないが、星に近い場所を探すということは楽しそうだと思った。

 ヴァーンの方は自分の家庭教師が何を望んでいるのか分かったのか、少し神妙な面持ちをしている。

「ヴァーン?」

「ん、何でもない。ラウレントの許しも出たし、祭りに行こう!」

「うん!」

 ごく自然に手を繋ぎ、リビィはヴァーンと勉強部屋を後にすべく二人で扉を開けた。本来ならメイドたちの仕事なのだろうが、

「ミラ、君の娘は実に君の娘らしいね」

 ふいにリビィの耳に届いたラウレントの声は先ほどまでとは違い、懐かしさを持っているように感じ、思わず振り返ったが、そこにいた家庭教師は先ほどとはまるで替わっていない。

「行ってらっしゃいませ」

 そうラウレントは言い、彼女を優しく見送るだけだ。先ほど聞こえたミラという名前は母の愛称と同じだと思い、はたしてそれは偶然だろうかと考え倦ねるものの、ヴァーンが早く行こうと彼女の手を引っ張って連れ出してしまったのでそれ以上は聞けなかった。

 ただ何処か不思議な気がする――そんな気持ちだけが残ったのだった。

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