「ぬう……」
紫の艶やかで長い髪がゆっくりと沈む。
声はその髪の持ち主から発せられたものだ。
豊満な身体、しっとりと潤い感じる肌、吊り目気味の赤い瞳。
ここに誰かいれば、その色気あふれる姿に心臓が大きな鼓動を刻み続けただろう。
幸いにも、ここには彼女しかいない。
そして、彼女は誰かに気付くことが出来ない位に集中している。
彼女の名はシキ。
元は有名冒険者で【猛攻の魔女】の二つ名を持ち、現在は、レイルの街の冒険者ギルドのトップである女傑である。
様々な革新的な改革をギルドで行い、【改革の魔女】とも呼ばれ、さらに、ギルド内での職員、冒険者、レイルの街の人々に尊敬、そして、愛される、ミスレイルの名にふさわしい女性である。
彼女は何故そんなにも自分が愛されるような存在になれたのか分かっていない。
しかし、理由自体はあった。あったのである。
それは彼女の目の前にある組紐のブレスレットだ。
そこには黒髪でちょっとぼんやりとした印象の優しげな眼をした男性の顔が見事に糸で表現されていた。
「ちょやーーーーーーー!!!」
シキはその事実を再認識し、組紐のブレスレットを思い切り投げ、とはいえ、地面に落としたくはないので、風魔法で引き戻した。
「気持ち悪! 私、気持ち悪いぞ! いくらなんでもここまでの再現率とは!」
男性の名はカイン。
彼が今、組紐のブレスレットを身に付けていると聞いて、自分の作ったブレスレットも身につけて欲しい。自分の分身だと思って欲しい。いや、むしろ身に付けているのであればそれはもう一心同体。私は彼で彼は私ではないだろうか。
というわけのわからない思考の暴走を繰り返した結果生まれたのがこれである。
これまでの改革も全てカインの為に行ったことで、結果として街やギルドのみんなに感謝されたというだけのことであった。その溢れるシキの情熱が生み出したのが、もはや肖像画ではないかというレベルの精密な顔の模様であった。
(私からもらっても迷惑だろうに)
シキは未だに素の自分を隠したままでいることに少しばかり寂しさを覚えていた。
勿論、自分の心の中の暴走っぷりは痛々しいし、彼も目の当たりにすればただ困るだけだろう。
けれど、どこかでそんな自分を見て欲しい思いに駆られていた。
そして、もしかしてこんな自分でも彼ならば受け入れてくれるのではないかと言う期待もあった。
シキは幼いころから冒険者として、活動し、最初は師匠と、そして、後にソロ冒険者として活動していた為、男性と言うものを知らない。
いや、正確にいえばシキは『男性』が嫌いだ。粗野で横暴で、同業者の奴らには迷惑ばかりかけられた記憶があるし、冒険から帰れば身体目当て丸だしの男が群がる。
何を好きになればいいのか。そんな思いが常にシキにはあった。
カインは、そんな男性には当てはまらなかった。
シキが大好きな物語の中のやさしい主人公のような人だった。
「おつかれさまです」「いつもありがとうございます」
彼がくれた言葉を一言一句全く同じ音の高さで言える。
シキはそんなちょっと気持ち悪いくらいの思いを持てあましていた。
そんな持てあます思いを抱え、シキはレイルの街へ駆けだしていた。
動きやすい服装に着替え、
「行くぞ!」
街中を走り、
「だあああああああああ!」
滝行を行い、
「うああああああああああああ!」
森の中で瞑想、
「………………」
そして、思いっきり魔法を放ちまくる。
「あああああああああああああああああああああああ!」
そうして、己の内なるもやもやを発散させ、ギルドに戻ろうとした。
その時、とある老人の姿が目に留まる。
老人は誰かと待ち合わせをしているようだった。
(もしや、彼女が?)
カインが持っている組紐がおばあさんを助けた時にもらったと言っていた。
目の前の老人は腕にいくつかの組紐のブレスレットを付けていて、それを眺めては、周りを見渡し、ため息をついては、組紐、周りと交互に見ていた。
「あの……」
「はい、どうなされました? 美人のお姉さん」
老人のストレートな褒め言葉にちょっとシキは照れたが、どうしても聞きたいことがあったので、引くことはなかった。
「あ、あの……その腕の組紐見事ですね。貴方が作られたのですか?」
「ええ、そうよ」
「どうやったら、そんな素晴らしい組紐が作ることが出来るのでしょうか!?」
「あなたもうまく作れないの?」
「も? え、ええと、そうですね。ある人の為に作ってみたんですが、ちょっと、なんというか……押しつけがましいというか、気にいってくれるか分からない出来になりまして……」
「ううーん、ちょっと良く分からないけど、そうねえ、その人が身につけてくれた姿を想像してごらんなさいな。それでも、何か押しつけがましさとか違和感を感じたら、もっとその人に似合うものを目指してみたらどう?」
「なるほど! 身に付けた姿……」
黒髪のちょっとうすぼんやりとした印象の、けれど、優しげな瞳のカインの腕には、その顔を全く同じ顔が精密に描かれた腕輪が……
「うわああああああああああ!」
シキは赤鬼くらい顔を真っ赤にして驚いた。
「つ、つ、つ、つくりなおしてきます!」
この街の名物魔導列車くらい煙を頭から吹き出しながらシキはギルドへと駆け抜けていった。
おばあさんは、それを呆気にとられ眺めていた。
(いやいやいやいやいや! 違う違う違う! なんだそれ! 彼と同じ顔が腕に!? え? ナニソレ? 馬鹿なの!? 私はバカなの!? めちゃくちゃ恥ずかしいだろう! それは!)
思いの重たさどうこうの前に、自分そっくりの顔が描かれたブレスレットを付けている姿に問題があるとようやく気付いたシキは改めて組紐作りに取り組んだ。
(彼に似合う物を)
それは、あまり派手すぎず、彼の優しさを表すような菫色がメインとなった組紐のブレスレットだった。
そのブレスレットは、シキにとっての物語の主人公【万人の勇者】が付けているのはこんなブレスレットだろうと思いながら作ったものだった。
(私にとって、彼は物語の勇者様なんだ)
そして、彼が冒険の中で危険に合わないよう苦手ながら補助の術式を織り込んでみた。
全てが彼の優しさを表現しているような気がして、シキはほほ笑んだ。
顔を作るよりも、こっちのほうが彼に似ている。
さて、こちらはどうしようか。
手の中には、先程作ったカインの顔がしっかり編まれた組紐のブレスレット。
でも、やはり、良くできている。彼の顔だ。頬が緩む。
「おつかれさま」「いつもありがとう」
ふと自分の口をついて、その組紐に語りかけていることに気付いて、ぼっと全身を真っ赤にして震える。そして、やはりもったいないからと自分に言い訳をし、懐に収めた。
ここに誰かいれば、その純情で初心な姿に心臓が大きな鼓動を刻み続けただろう。
幸いにも、ここには彼女しかいない。
そして、彼女は誰かに気付くことが出来ない位に彼に夢中なのだ。
余談ではあるが、彼にストレートに渡せない彼女は、『みんなに渡すからカイン君にもあげるね作戦』を実行し、「ちょっと時間があったので作ってみたのだ」と百本近い組紐のブレスレットを冒険者たちに配り、多くの冒険者を勘違いさせ、そして、レイルの女神と崇められるようになった。