我が輩はゴブリンである。
名はまだ無い。
我が輩たちはゴブリンである。
考えるということはしない。
だが、何故か我が輩は考える。
何故か。
それも考えてしまう。
仲間たちのように、何も考えず欲望のままに生きられた方が楽だろうに。
ゴブリンは、欲望に忠実である。
睡眠欲、食欲、そして、性欲。
その欲望を満たす為だけに頭を使う。
我が輩のように、意味のないことに頭を使わない。
何故我が輩だけ考えることをするのか。
何故生きるのか。
何故死ぬのか。
そして、我が輩達が襲い、我が輩たちが襲われるあの人間という生き物はなんなのか。
何故争わねばならないのか。
考えてしまう。
なので、我が輩は群れでは役立たず扱いをされ、最前線に行かせてもらえない。
当然だ。
死を恐れ、欲望に従うことを嫌い、生に戸惑うのだから。
ゴブリンは欲に生きるか、欲に死ぬか、なのだ。
今日もまた、我が輩らの群れは、人間を襲う。
愚かにも人間共は我が輩らの棲家を襲う。
我が輩らの仕掛けた罠が山ほどある棲家を。
愚かだ。実に愚か。
昨日は何故かことごとく罠をかわす亀のような人間が現れ、仲間たちがかなりやられてしまったが、我が輩以外のゴブリンは気にしない。
今日の人間共をひっかけることしか考えていないのだから気にしない。
そして、四人いた人間共はあっという間に仲間達に殺されていく。
オスであるというのは不幸だな。
なんの躊躇いもなく殺される。
まあ、メスも不幸だが。
一人いたメスは、今、衣を剥がれている。
青い長い髪をしたいい匂いのするメスは、目から水を出し、叫んでいる。
我が輩はあの顔が嫌いだ。
だから、近づきたくない。
我が輩は、一人群れから離れる。
叫び声が聞こえる。
どくん。
何故か今日は身体が熱い。
我が輩は視線を落とす。
胸にある片羽の蝶のような痣が熱い。
今日は昨日からずっとあの白いのがちらほら降ってくるせいかもしれない。
熱い。
頭が回らない。
五月蠅い。
叫ぶな。
やめろ。
やめろ。
やめろ!
我が輩は愚かである。
今、何故かメスと仲間の間に割って入っている。
意味がわからない。
考えることをしないゴブリン達も驚いている。
しかし、不服そうにゴブリンの長が声をあげると、我に返ったように我が輩に襲い掛かってくる。
ああ、やはり考えることの出来るゴブリンなど損なだけだ。
そして、観念し、手をだらりと下げると……
目の前に風が吹いた。
そして、我先にと手を伸ばしてきたゴブリン達の腕を切り裂いた。
横を見ると、どこかからやってきた黒い髪のオスが何か筒のようなものをこちらに向けている。
恐らくあの筒から出てきた風なのだろう。
昨日の亀の人間も使っていたから知っている。
というか、あの亀の人間が傍らにいる。
仲間か。
そして、長もそれに気付いたのか、あのオスを襲うよう命じる。
ゴブリン達が一斉に襲い掛かる。
しかし、再び風が吹く。
熱い風と冷たい風が。
その風はゴブリン達を一気に呑み込み、最奥の長まで喰らいつくした。
その風は人間だった。
白いいい匂いのするメスと、角の生えたオスだった。
勝てない。
強すぎる。
我が輩はとっさに距離をとり、逃げる方法を考えた。
我が輩は考えることも、欲望に逆らい逃げることも出来る。
あとはどうすれば逃げ切れるか、方法だ。
そんなことを考えた瞬間、両側から風が迫る。
ああ、考える暇を与えてくれないのか。
死ぬ。
死ぬとはなんだろうか。
生きたかった。
生きて……
生きて何をしたかった?
「待った!」
黒髪のオスが叫ぶと、人間共は動きを止めた。
「きっと、彼は、助けてくれたんだと、思う。じゃ、ありませんか?」
黒髪のオスが青髪のメスに声を掛けている。
「そう、なのかもしれません」
青髪のメスもこちらを見て何か言っている。
黒髪のオスはにこりと笑うとこちらを見て、何かを言う。
「たすけてくれてありがとう」
「あ……あの、ありがとう!」
青髪のメスもそれに続く。
けれど、そのメスの声よりも黒髪のオスの声が何故か響いた。
我が輩ははっと我に返り、身を隠す。
「行こう。……貴方は、今から救出隊を呼ぶ、ので、彼女と一緒に待っていて、くれますか。彼女はソロA級、なので腕は保証、します」
「え……でも」
「頼むよ。シア、にしか頼め、ないんだ」
「任せてください!」
「にしても、カインさん。また、『あのたす』だな」
「それを言うなら、あの、彼だよ。彼のお陰で、この人は助かったん、だから」
『あのたす』
また、胸の痣が熱い。
あの言葉はなんだ。
魔法か。
「ウァノ……タス……ウァノ、タス……」
我が輩は繰り返す。その言葉を。
我が輩を熱くさせるその言葉を。
我が輩はゴブリンである。
名前は今決めた。
「ウァノタス!」
それが我が輩の名前である。
ウァノタスはこれからこの棲家を捨てる。
そして、考える。
何故生きるのか。
何故死ぬのか。
そして、己は何なのか。
考えるのだ。
きっと、我が輩が考えることには意味がある。
「どうした? カインさん?」
「あ、ごめん、グレン。ああ、さっきの、ゴブリン。どこかに行ったみたいだけど、無事だと、いいな」
「変わったゴブリンでしたね。そういえば、昨日もいました。一匹だけ、離れてこっちを見てるゴブリン」
「そう、なの? タルト」
「ええ、あのゴブリンだけ存在値が異常に高くて警戒していたんですけど。ずっと見てるだけでした」
黒髪のうすぼんやりとした男カインは、両脇に居るグレンとタルトに話しかける。
「ごめん、ね。時間とらせた。S
「いいですよ! それでこそカインさんです!」
「ああ、『あの時カインさんに助けられた●●です』、『あのたす』でお馴染みのカインさんだ」
「ありがとう。じゃあ、シアが戻ってくるまでに事前調査を終わらせようか」
「いよいよなんですね、S級魔巣!」
「遺跡の
タルトの〈
そして、ゴブリンの群れに襲われるパーティを助けた。
とはいえ、流石に間に合わず四人中三人は殺され、女性一人助けることしか出来なかった。
仕方なかったとはいえ、カインの胸には小さくちくりと刺すものがあった。
「カインさん、全ては、救えません」
すると、タルトがカインに声を掛ける。
カインは少し目を見開くと、目を閉じ大きく息を吸って吐いた。
「そうだね。タルトの言う通りだ。それに、あのゴブリンも助けられたしね」
カインたちは、【小鬼の遊び場】を後にする。
変わったゴブリンと初めて出会ったその場所を。
そして、そのゴブリンと再会するその場所を。