「カインさん、来て……」
カインは人生の分岐点に立っていた。
目の前には艶やかな唇にぺろりと舌を這わせ、誘うようなうるんだ瞳でこちらを見るシアが居た。
真っ白で美しい雪を思わせるような髪、サファイアブルーの瞳、全てが彼女の色とも言える白に合わせて拵えられたような彫像のような造形の顔と身体、そして、その真っ白な肌とすらりとした女性の理想といえるスタイルの身体を包んでいるのは薄く、それでいて高級感溢れる菫色のドレス。
そのドレスもはだけており、一国の王女が見せてはいけないあられもない、そして、妖艶な姿がそこにあった。
カインは、首に腕を回され拳一個だけの空間がシアとカインの間に存在していた。
すこしだけ、ほんの少し、どちらかが顔を寄せれば、口づけがかわされるその距離でカインは、戸惑っていた。
(ど、どうしたら)
始まりは、シアの様子が気にかかっていた。
ただそれだけだった。
シアは、【遺物の墓場】改め【遺物の工場】の地下で起きたウソーとの戦いに助けに入れなかったこと、力になれなかったことに酷く落ち込んでいた。
カインとしては、魔力枯渇に陥る程必死に助けに行こうとしてくれただけで十分嬉しかったのだが、シアにとっては、それさえも、己の力不足であり心の弱さであって、不甲斐ない結果でしかなかった。
カインが話しかけても、気まずそうに曖昧にほほえみ、その場を後にするだけだった。
それがカインにとっては、困った人を助けたくて仕方がない彼にとっては、そして、大切な人の一人であるシアが困っているということもあり、絶対に見逃せないものだった。
それに、レオナから聞かされた『人が変わったように暴れ出した』というのがカインの心に引っかかった。
そのことを、女性陣に相談したら何か良くない事が起きそうな気がしたので、グレンに相談した。
「……まあ、餌でもやりゃあ白いのはころっと元気になるんじゃねえの」
「え、さ……?」
グレンのまるでペットの話をしているかのような雰囲気にカインは首をかしげる。
「ああ、つまりは、何か喜ぶようなものをやるとか、してあげるとか。要は、『ご褒美』ってやつだな。ラッタが、頭撫でられとか、メシを貰って喜ぶみたいに、してやればいいんじゃないかと」
「そっか……流石、グレン!」
「……うす」
カインが満面の笑みでグレンを褒めそやすと、グレンは赤肌をさらに赤くさせ小さく返事をする。
そして、カインのご褒美作戦が始まる。
「ご褒美、ですか……?」
「うん、今回の探索でもシアには凄く助けてもらったし」
「いえ、でも、私は、最後の最後で……」
シアは悲しそうに目を伏せ、小さくつぶやく。
「【遺物の工場】に辿り、つけたのは、絶対、シアのお陰、もあるよ」
「そ、そうでしょうか」
ぴくりとシアが反応を示す。
「う、うん……シアの圧倒的な、魔力がなければ、もっと
「そう、ですかね……」
シアの眉がぴくぴくし始める。
「シアが、あの男、セクに、貴族の対応をしてくれ、たから、レオナを助けられた、と、思うし」
「いや、そんな……」
シアの口角がぴくぴくし始める。
「シア、みたいな美人、がいるだけで、冒険、も楽しいし、ね」
「ご褒美頂きます」
そして、シアが『ご褒美』としてねだったのは、『カインとの二人っきりの一日』だった。
その日、レイルの街の入口から少し行ったところ第二壁門にカインは向かっていた。
格好は、グレンと相談して決めた派手すぎないが、それなりに見える服装。
恐らく、これは、デートだろう。
流石にカインもそれは分かっていた。
だから、出来るだけ失礼のないような服を選んでもらったつもりだ。
『あのたす』の服屋だった為に、タダで渡そうとしてきたのは本当に参ったが。
第二壁門の近くには魔導列車の駅があった。
レイルの街に第一壁門から入り、貴族はすぐに駅に向かう。
そして、その先の商業区や貴族区に、魔導列車で向かうのが貴族の流行りだった。
その駅の近くで待ち合わせだった。
カインは相手を待たせてはいけないと早めに出たつもりだった。
けれど、彼女は先にいた。
カインに合わせてくれたのか、ホワイトスノーの第二王女らしい貴族の服装ではなく、大商人の娘が着るような良いものだが平民に見える服を来て彼女は待っていた。
服の水色が彼女の白い肌と相まって涼しげで美しかった。
彼女の周りには誰もいなかった。
誰もがその美しさに近づくことが出来ないようだった。
いや、正確には、シアが「てめえら私の幸せな時間を邪魔するんじゃねえぞ」的な絶対零度の笑みと、実際に氷の魔法を薄くはっていたせいであろう。
近づこうとした男たちがことごとく震えて回れ右をしていた。
「あの、シア」
「……カインさん!」
さっきまでの笑みが作ったものであることをはっきりさせるような心からの眩しい笑みがカインに向けられる。
その笑みはカインに向けられたものであったにも関わらず遠くから見ていた男たちは、その満面の笑顔を確認すると、鼻血を出しながら倒れていった。
「ご、ごめん、遅かった、みたいで」
「うふふ、大丈夫です。待っている時間もなんだか楽しくて……」
シアは、今、最高に幸せだというオーラを全身から溢れさせながらカインに近づく。
距離が近くてカインが戸惑う。
「あ、あの、シア、近く、ない?」
「いいじゃないですか。今日は、ご褒美デートなんですもの」
シアは、カインの腕をとって自分の腕を巻きつける。
そして、身体をカインの側に寄せる。
カインの鼻を爽やかなミントのような香りがくすぐる。
「デ、デート……」
「そう。デートです。……大丈夫ですよ、恋人じゃなくても、気になる男女でもデートはしますよ。お互いを知る為に」
カインの顔に緊張が走るのを見て、シアは言葉を付けくわえる。
少しほっとしたようなカインの表情に、シアはぴくりと眉を動かす。
(やっぱり、あのクソ女のせいで、恋人という存在が……)
シアはカインの腕にぎゅっと抱きつき、カインを見上げながら笑う。
「私、嬉しいです。カインさんと二人でおでかけ出来て! 今日は最高の一日にしましょうね!」
シアに引っ張られながらカインは魔導列車に乗り込む。
このドキドキはまた魔導列車に乗っている魔工技師カインとしてなのか、それとも、シアと言う絶世の美女を連れた一人の男カインとしてなのか。
魔導列車は走り出す。二人を乗せて。