レストラン【ティーナ】。
レイルの貴族区にある知る人ぞ知るレストランであり、隠れ家のようにひっそりとあるその店は、店内も魔導灯ではなく、普通の灯を焚いていた。
少し薄暗い店内では、落ち着いた雰囲気の男女がゆっくりと流れる時間の中で素晴らしい料理を楽しんでいた。
が、そんな中でただ一人。
落ち着かぬ雰囲気でぎこちなく動きながら素晴らしい料理を見つめていた。
「カインさん、そんなに料理見つめてないで乾杯しましょうよ」
向かいで笑うシアが葡萄酒が注がれたグラスを見せると、カインは慌ててグラスを両手でとる。
「ふふ、では……乾杯」
「か、乾、杯」
シアはグラスを掲げると葡萄酒を一口含み、唇を少しだけ舐める。
その仕草が色気に溢れていてカインはまだ一口も飲んでいないのに顔を真っ赤にさせる。
カインは平民だ。
こんな場所に来たこともない。
服だってシアが選んだ高級な服だ。
そして、何よりシアのような素敵な女性と来たことなどない。
メエナとは勿論ない。
全てがカインを緊張させた。
そんなカインの様子を見て、シアは少し困ったように笑い、カインに話しかける。
「カインさん、私を見て」
カインが顔をあげるとシアが姿勢良くナイフとフォークを構えている。
「これでも王女だから。マナーはしっかり教え込まれてるの。私を見て、真似して、ね?」
カインはその言葉にほっと息を吐き、ナイフとフォークを同じように構え、動かしていく。
その様が後ろをついてくる子犬のようでシアの胸はドキドキと高鳴り始める。
しかし、それをシアは顔に出さずに淡々と料理を食べていく。
カインもまた同じように食べていく。
だが、カインにとっては初めての料理ばかりで一つ一つ驚き、味わい、表情がころころ変わる。
その様子にまたシアの胸が高鳴る。
シアは今夜いつも使う宿とは別の宿をとっていた。
貴族区にある高級な宿だ。
シアは今日勝負装備で来た。
勝つ為に。
どんどんカインの周りに女性が増えてくることにシアは少し焦っていた。
タルトもレオナも良い子だ。ただし、ココル、てめーは別だ。
だからこそ、手強い。ただし、ココル、てめーは別だ。
それに……彼女達には唯一無二の才能がある。
シアの力も勿論凄い。
が、高い魔力なんて他にもいくらでもいるだろうし、噂に聞く【湖の魔女】の足元にも及ばないだろう。
勝ちたい。
せめて、好きな人にとっての一番でありたい。
そう思っていた。
だから、勝負装備の高級宿だ。
その事を考えてシアの胸が高鳴る。
今日はカインさんと……
高鳴る。
夜を共に……
高鳴る。
「シ、シア?」
カインの声にハッとするシア。
気づけばグラスを持つ手が震えていた。
それに気づいて不用意に動いたことが良くなかった。
一枚の皿が床に落ち、
ぱりん
割れてしまった。
その後、多少視線を浴びたが、銀髪の店長らしき人物の素早い行動で元の穏やかな店内に戻っていく。
ただ、シアだけは浮かない表情で俯いていた。
「私……ダメですね……」
「そ、そんな、こと、は」
「ダメなんです……頑張って身につけたつもりのマナーも出来てないし、ソロA級の癖にカインさんを助けにもいけない。私って何が出来るんだか……」
「シアは、さ、不器用、だよね」
カインの一言にシアはぎゅっと拳を握る。
好きな人にも言われてしまった。
「不器用、な、生き方だと、思う」
「……え?」
「本当は、やめたり逃げたり出来る、のに。シアは、逃げない、やめない。出来るまで、やる。マナーが苦手でも、やる。料理が下手でも、やる。出来るまで、やる。俺は、そんなシアを、尊敬、してる、と思う。シアみたいに、なりたい、と思う」
「カインさん」
「そして、俺は、がんばる人は、報われて、欲しい。俺自身も、がんばってる、つもり、だからかもしれない、けど。君が、シアが、報われて、ほしい」
シアの心にカインの言葉が突き刺さる。
そして、シアの心の黒い部分を消していく。
カインの言葉が、例えるなら、そう、心を狙う悪魔を倒してくれる、そんな感じだ。
そうだ。
マナーが苦手でも、出来るまでがんばった。
冒険者になることを反対されても、なれるまでがんばった。
カインさんに会えなくても、会えるまでがんばった。
それが、それが私じゃないかシア=ホワイトスノー!
どんな時でも助けにいけるようになるまで、がんばれ。
振り向いてもらえるまで、がんばれ。
出来るまで、がんばれ。
「カインさん、ありがと」
「……うん」
それからの二人は声は潜めながらも、色んな話をした。
自然と笑っていた。
そして、シアは……酔っ払った。
「カインしゃ~ん、うふふふ」
「シ、シア、帰る、よ」
カインはシアに肩を貸しながら店を出ようとする。
帰り際に、あの銀髪の男性から声をかけられる。
「お帰りですか」
「え、ええ。すみ、ません。お騒がせして」
「いえ、ホワイトスノーの王女様にここまで楽しそうにお過ごし頂けて光栄です」
「知って、たんですか?」
カインは驚いた。
男は、一度もそんな話はしなかったし、何も緊張することなく接していた。普通だったのだ。
「ええ、勿論。……ああ、このお店【ティーナ】は古い神の名を頂いてるのです。別れの神、ティーナから」
カインの驚いた顔を見た男が微笑みながら話し続ける。
「縁起が悪いように思われるかもしれませんが、私は『自分との一時の別れ』という意味で使っています。様々なしがらみから少しばかり離れた時間を過ごして頂きたいのです」
「なる、ほど」
シアが王女という立場を気にせずに酔っ払えたのは、店の雰囲気や店員の対応もあったのだろう。
シアはとても楽しそうに笑っていた。
「よろしければ、これを」
男は、カインに小さなナイフの飾りがついたネックレスのようなものを2つ渡す。
「これは……?」
「おみやげ、とでも思ってください。別れたいものの前で空を切ってみて下さい。あなたにもティーナのご加護があらんことを」
男は、首にかけていたナイフを小さく振る。
「気持ち良くお別れするおまじないです。しがらみにとらわれ始めた頃、またお越しください」
カインは口を開きかけたが止め、シアを背負い歩き始める。
振り返らず、シアの温かさを感じながら、ゆっくりと歩き始めた。
「シア、宿はどこ?」
「ふふ、あっち~」
シアが少女のようにはしゃぎながら指をさす。
そして、辿り着いたのは見るからに高そうな宿だった。
主人に話を通し、シアを部屋へ連れていく。
「あはは! カインさ~ん」
背中のシアが暴れだし、ベッドへ飛び込む。
顔を埋め動かなくなったようなので、眠り始めたのかとカインは去ろうとする。
「カインさん、どこへ、行くの?」
袖を掴まれたのを感じ、振り返るとシアがさっきまでの無邪気さが嘘のようにねっとりとした妖しい目でこちらを見て笑っている。
「ねえ……」
急に引っ張り込まれ、むわりと葡萄酒とシアの香水の匂いが鼻に入り込んでくる。
じっとりと感じるのは、カインが汗をかいているせいか。
「カインさん、来て……」
目の前には艶やかな唇にぺろりと舌を這わせ、誘うようなうるんだ瞳でシアがこちらを見続ける。
真っ白で美しい雪を思わせるような髪、サファイアブルーの瞳、全てが彼女の色とも言える白に合わせて拵えられたような彫像のような造形の顔と身体、そして、その真っ白な肌とすらりとした女性の理想といえるスタイルの身体を包んでいるのは薄く、それでいて高級感溢れる菫色のドレス。
そのドレスもはだけており、一国の王女が見せてはいけないあられもない、そして、妖艶な姿がそこにあった。
カインは、首に腕を回され拳一個だけの空間がシアとカインの間に存在していた。
すこしだけ、ほんの少し、どちらかが顔を寄せれば、口づけがかわされるその距離でカインは、戸惑っていた。
(ど、どうしたら)
「カインさん、好きよ」
カインは、戸惑いながらも口を開く。
「君、達は、だれ?」
シアらしき美女が目を見開き、笑う。
「どういうこと? 私はシアよ」
「シア、だけど、シア、じゃない、よね?」
「うふ。うふふふふふふふふふふふふ!」
シアらしき美女が笑う。
笑う。
笑う。
「流石カインさん」
「君は誰?」
「シアよ。シアはシア。けれど、あなたの思うシアじゃないだけ。あなたのシアだけが、シアなの?」
カインはシアらしき美女を見つめる。
「そう、じゃない、とは思うけど、でも、今の状態は、俺の、思うシアの望むこと?」
「望んでいるし、望んでないわ。だから、どうする?」
シアらしき美女は笑う。
「まあいいわ、精々あなたのシアを守ってあげてね」
ふっと何かがいなくなる気配がする。
そして、シアはベッドに倒れ込む。
カインは、じっとシアを見つめる。
シアは小さく震えていた。
カインはベッドの縁に座り、シアの腕をとった。
「〈精査〉……〈接続〉」
カインが贈ったシアの腕輪に術式を加え始める。
柔らかな光がシアを包む。
それは〈夢見〉の術式。
いや、術式とは言えない、おまじない程度のものだ。
術式とは関係のない文字列を、術式が乱れないように混ぜ込む。
魔工技師同士の遊びでよくやるものだった。
シアの腕輪に言葉を隠す。
そして、ティーナで貰ったネックレスのナイフで空を切る。
シアの震えはおさまり、すやすやと笑顔で眠り始めた。
魔導具で結界を張り、出来るだけの備えをして、カインは宿を後にした。
アレが誰だったのか、あの言葉はどういう意味だったのか。
カインは考えた。
そして、思う。
「俺の、思う、俺、は俺……?」
自分の影に問いかけても、答えはない。
ただ、シアがこれからもシアでいてほしいとカインは思った。
自分の宿に帰りついたのはかなり遅くなってからだった。
隣に部屋をとるようにした(同じ部屋であったことを女性陣からとても怒られた)ココルを起こさないよう廊下を静かに歩き、自分の部屋のドアを開ける。
そこには、ココルがいた。
「カインさん、次は私の番です」
カインは、少し視線を彷徨わせ、口を開く。
「何が!?」
「デートが!!」
夜中にも関わらず大音量で叫んだココルは、けれどもやはり無表情だった。