風になる。
カインは今まさにそんな感覚になっていた。
ヌルド王の大気の後押しで加速し飛び出したカインはとんでもない速さで滑走していた。
全ての風景が一瞬で後ろに流れていく。
ごうごうと風の音に混じりながら聞こえる魔物の威嚇音や叫びもすうっと後ろに溶けていく。
『静なる靴』を包み続けている〔流動〕の術式の効果によって、移動しづらい草むらも時折大きな石が転がる平原も等しく地面を魔力コーティングし滑走していく。
そして、目の前には既に【遺物の工場】とレイルの街の間にある【大蛇の森】が見えていた。
そのまま飛び込むカインの直線状には大木がそびえたっていた。
しかし、カインは慌てることなく両足で地面を蹴り、大木に向かって足を揃える。
「〔流動〕」
そうカインが呟くと足元からふわりと柔らかい魔力が現れる。大木の左側につま先を傾けたことで流動の魔力は足と大木の間に挟まりずるりと左側にずれ、再びカインを滑走させる。
木の根や岩、全てをカインは〔流動〕によって滑らかに躱していく。
しかし、【大蛇の森】の怖さはここからだ。
カインの右側から大きな牙が迫る。
以前の戦いでカインは
だが、一匹一匹とやり合えば、時間がかかってしまう。
(出来るだけ早く【遺物の工場】へ……!)
確認できるだけで二十数体の戦える
王国管理となった【遺物の工場】で作られたものには間違いない。
だが、ヌルド王たちが知っている数を遥かに超えていたのだ。
バリィは、工場を動かしエーテを増産することが出来る。
いや、バリィではないだろう。
バリィに付く何者かが出来るのだ。
であれば、長引けば長引くほどエーテは増える。
短期決戦こそがカイン達の望む形だった。
だからこそ、【大蛇の森】を駆け抜ける必要がある。
カインは眉間に皺を寄せる。
そんなカインが映る画をバリィはほくそ笑みながら見ていた。
「くっくっく、使えるのは偵察用のエーテしか残ってなかったがまあいい。あのカインが【大蛇の森】を一人で抜けるわけがない。あれは、赤鬼や白雪鬼がいたから出来たんだ。せいぜい、蛇共にかわいがってもらえカイン~……!」
「ねえ、向こうはいいの?」
カインの映った画に夢中になりながら移動するバリィにフリーダが追いかけながら話しかける。
「ああ、あっちはもういい。赤鬼は手も足も出ないみたいだしな」
そう嗤いながら告げるとバリィは再びカインの画にかぶりつくが、その目が見開かれる。
「なっ……んだ、それぇええええええ!」
カインは背負っていた魔導具の盾を構え、【大蛇の森】を駆け抜けていた。
「〔火〕×〔吹雪〕」
カインが盾と繋いだ鍵盤を叩くと、盾に付いた赤と青の宝玉が輝き、盾の内側から炎が噴き出しカインを前に進めていく。
そして、その外側を吹雪が覆っている。
「なんだあれは!? どうなってる!」
「なるほど……
歯ぎしりするバリィの後ろでフリーダが冷静に分析をしている。
カインの持つこの盾はマチネと考案したグレン用大盾『シュテン』の試作段階で生まれたものだった。
内側から吹き出す炎で機動力を上げるのだが、本来は二重の穴から炎が噴き出し、とてつもない速さを生みだすのが狙いだった。
が、異常な程の炎を吹き出すので、グレンさえも扱えず、炎を撒き散らしていた。
そこで、一列目の穴から炎、二列目の穴から吹雪で、推進力と操作性を同時に高めながらもお互いでかき消し、周りへの被害を少なくするという案が生まれた。
炎と吹雪、熱さと冷たさが混じる空気を感じながらカインはレイルを出る前のことを思い出していた。
『カインさん、約束してくれ。必ず、帰ってくるって』
グレンは小指を差し出していた。
グレンと初めて出会ったとき、カインは約束を破った。
カインは一人で罪をかぶり、グレンを街の英雄に仕立て上げた。
遠くから見るグレンは泣いていた。
どんなにつらいことがあっても、鬼人族というだけでいじめられていても泣かなかったグレンが泣いていた。
カインは、それでも、グレンの元には帰らなかった。
その涙がきっとグレンを強くすると信じて。
そのグレンとの約束二度も破るわけにはいかないな、とグレンの一族の風習である『ユビキリ』というもので約束した。
『ゆびきーった!』
『あぶねえ! 何しやがる白いの!』
『突然、あなたの指を斬りたくなったのよ。不思議ね』
『不思議でもなんでもねえわ! わざとだろ!』
シアの氷の剣を躱しながらグレンが怒る。
『シア、行ってくるね』
カインがそういうとシアは微笑みながら振り返る。
『いってらっしゃい、カインさん……良妻は家を守る。必ずここを守ってみせるわ。というより、あいつらは絶対に許さない。ぐっちゃぐちゃにしてやる……』
シアは絶対零度の微笑みを浮かべながら中指を……
カインは慌てて頭を振り、意識を【大蛇の森】へと戻す。
炎を、吹雪を、操りながら、右に左に動き、【遺物の工場】を目指す。
「なんでだ! なんで
「まるで、魔物が来る方向が分かっているかのようだね……」
バリィが疑問を大声で叫ぶと同意するようにフリーダも首を傾げる。
(カインさん、こっちです! ワタシの指す方へ!)
タルトの声が聞こえた気がして、カインは右に体重を傾ける。
街を出る時、タルトは何も言わなかった。
涙が溢れていた。
慌てて俯き前を指さしてくれた。
(『迷わず進め』ってことだよね、ありがとうタルト)
あの時のココルを思い出しながら滑走するカインは盾に再び命令を送る。
「
カインの周りに薄く魔力がドーム状に広がっていく。
左側で何か動くものにぶつかった感覚。
(やっぱりタルトはすごい。そして、ありがとう。マコット)
マコットは、タルトの広範囲鑑定を応用した広範囲索敵を、そして、闇属性の存在を希薄にする〔隠形〕を盾に術式設置してくれた。
『逃げる、躱す、避ける術式なら、僕に任せてください!』
マコットは震えながらサムズアップしこちらを見ていた。
しかし、突如、カインの肩に痛みが走る。
どうやら【小鬼の遊び場】までたどり着いたらしい。
開けたその場所で
その中の一つがカインの肩に命中したようだ。
「はっはっは! カイン、ざまぁああああああああ!?」
「〔回復〕」
カインが呟くと、カインの身体を治癒の光が包む。
『いい? 大怪我して帰ったら許さないから! ……でも、生きてくれていたなら絶対治すから。必ず帰ってきて』
レオナはカインの小さな傷も見逃さず一つ一つ完璧に治しカインを送り出した。
(良薬口に苦しっていうけど、レオナのあのキツイ口調もある意味そう、なのかな)
カインは盾で輝く五つの宝玉をちらりと見て何とも言えない頼もしさに鼻息をもらす。
『
その魔導具は、魔導具コンテストで披露された技術のすべてが詰まっていた。
魔力増幅、属性変化、それら全てを高基準で使うために【遺物の工場】で手に入れた黒鍵盤と組み合わせた。
五つの宝玉それぞれが、炎、吹雪、索敵、隠形、回復の術式として成立し、同時行使も出来るその盾は世界でたった一つの盾だった。
その盾を構えながらカインは進む。
(いける! もう目前だ! 待ってろよ……!)
しかし、その背後から凄まじい速さで迫る小さな鉄人形がいた。
「はっはっは! 偵察用とは言え、てめえよりは強いぞ! 死ね! カイン!」
バリィの命令で攻撃を仕掛ける小さな鉄人形がカインの目に映る。
(しまった! やっぱりこんなのまでつくれていたのか!)
遠くに見える【遺物の工場】、復讐の相手の居る場所が見えたせいで視野が狭くなっていたと悔やむカインを小さな鉄人形が両手を広げ襲う。
しかし、次の瞬間小さな鉄人形は身体をくの字に曲げて横に飛んでいく。
「な! だ、誰だ!? 邪魔しやがったのは!?」
バリィが画を見ながら叫ぶのとほぼ同時にカインもまた小さな鉄人形を飛ばした人物を探し視界にとらえる。
それは、
「ウァ、ノタス……」
以前、【小鬼の遊び場】で冒険者を救おうとしていたあのゴブリンだった。
手には鉈のような重心の高い武器を持ってこちらを見ていた。
「ありがとう!」
カインがそう声を掛けるとゴブリンは、折れ曲がっても反撃しようとする小さな鉄人形の意識を引きつけながら森の中へと消えていった。
「ち、いいいいい! フリーダ! 小鬼共でアイツを……!」
「分かってるよ」
【遺物の工場】の入り口が見える。
しかし、不思議な甲高い笛の音が聞こえたかと思うと、突如として小鬼たちが集まってきて入り口を通すまいと集団で待ち構えている。
けれど、カインは構わない。
そのまま突っ込んでいく。
(カインヌ! 困ったときは私の言葉を思い出せ! 「ぶつかってみたら案外なんとかなる!」だ!!)
ラッタの頭を撫でながら聞いた言葉。
その撫でた掌をカインは少し見てぐっと握り直し力を込める。
「ど、け! どけぇええええええええ!」
足を回し、静なる靴の側面を地面に当てブレーキを駆ける。
押されたゴブリンたちはその勢いのまま、男に向かって飛んでいく。
「ち……蹴散らせ、エーテキング」
男がそう言うと隣に控えていた黒い
血と肉の雨が降り、視界が開ける。
男の前にはカインが。
カインの前には男がいた。
「バリィ」
「よお、カイ……な!」
バリィの目が見開かれる。
カインが突っ込んできたのだ。
「バリィイイイイイイイ!」
「ひ、ひぃいいいいい!」
カインの拳がバリィの顔面に命中する直前でエーテキングが受け止める。
しかし、全ての力がのったその拳はエーテキングの腕を吹き飛ばす。
二撃目を加えようとするカインを、フリーダが牽制し、さがらせる。
「はあっはあ……! た、助かったぞ、フリーダ」
「聞いてた以上に好戦的な男だね」
『小さな盾』を背中に回す。
五つの宝玉があたたかさを背中で感じる。
手をぐっぱぐっぱと開いて握ってを繰り返し、カインは己の感情を高め集中していく。
そして、ぐっと力強く拳に力を入れ、バリィを睨む。
「バリィ、俺はお前に勝ちに、此処に来た」
「カインの……カインの癖にぃいいいいいいい!」
尻もちをついたバリィをカインは見下ろす。
睨み返すバリィだが、一歩も引く気はない。
「俺は【小さな手】のリーダー、カイン=テラーだ。だから、お前なんかに負けはしない!」
傷だらけでそれでも小さな鉄人形に勝利したあの
ウァノタスにとっての英雄、カイン=テラーの盾は、白と黒で彩られ、彼の背中で輝いていた。