血まみれのグレンの首ががくりと項垂れる。
すると、エーテ達とグレンを取り囲んでいた焔陣が溶けるように消えていく。
が、空は見えない。
今度は濁った黒い泥がエーテ達を囲んでいたのだ。
「あとは任せたぜ……マコット」
グレンが背中から倒れるとその奥に一人の真っ黒い服を着た青年が震えている。
「まままま任されました。グレンさん」
魔工技師マコットが一人で立っていた。足を震わせながら、一人で。
「マコット……!」
カインは、がたがたを震えながらもエーテを睨みつけるマコットを見て拳をぎゅっと握る。
『僕はもうっ! にげまぜんっ! だれがのぜいにしだり! まわりを理由にじだりじで、らぐなぼうにいっだりじまぜんっ! だがらっ! だがらっ! おねがいでずっ! 僕を……僕を、もう一度だけ仲間に、しでぐださいっ! お願いじます!』
マコットは震える声でそう叫びながらカインに懇願した。
誰も追放などしていない。
マコットがそう思ってしまったのだ。
自分はこの【小さな手】にいる資格がないと。
マコットの頬の腫れはまだ引いていない。左の拳も包帯が巻かれている。
自分で殴ったのだろう。自分が許せなかったのだろう。
マコットは震えている。今も震えながら恐れながらそれでもあの鉄人形の前に立っている。
「マコット、がんばれ……!」
遠く離れた【遺物の工場】で呟いたカインの声は届いてはいない。
バリィのようにエーテを介して声を届けることも出来ない。
それでも呟いた。
「はっはっは! おいおいおい、そんなに震えて大丈夫かあ。いくらなんでもそんな状態じゃあボロボロのエーテにも勝てないんじゃないか~? お前を殺して赤鬼も殺す。お前じゃ守れない。お前のせいでみんな死ぬなあ」
バリィは相手の嫌がるところを的確に弄る。
マコットがうつむいたのを見てバリィは更に顔を歪ませた。
『俺にはよくわかる。てめえは影野郎だ。他人について回ることしかできない。自分で決められない。いつも失敗する理由がそろうまで待ってんだろう? なら、もう十分だ。てめえじゃエーテには勝てない。だから、さっさと帰れ、ざーこ』
わざとゆっくり近づき上から見下ろすエーテ越しの声がマコットに突き刺さる。
バリィの言葉が表から刺さり、記憶の中のインフの言葉が内側からマコットを抉る。
『でもでもでもでも、言い訳いくつ集めても奇跡も何も当たらねーんだよ』
『他人の影に隠れていたいんなら、自分の家の自分のお部屋で一人で隠れてな』
『他人の正義に振り回される影野郎は居ない方がマシだ』
怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
眩しい眩しい眩しい眩しい。
地面にうつるマコットの影を呑み込む影を生み出すこの鉄の塊も、それら全てを上から照らし眺める太陽も嫌いだ。
(なんで泥の膜も通りこすんだよ)
心の中で太陽に舌打ちする。
(僕は弱い。僕は腰抜けだ。僕は理由がないと動けない卑怯も、の……)
『俺は、さ……いいことした、ら、気分がいい、から、いいことするし、人、に、よく見られたい、から、誰かを、助けてる、んだと、思う』
レイルの街を出る前、マコットにカインはそう言った。
『見殺しにしたと思われたくない、とか。モテたい、とか、いいことしたら必ずいつかかえってくる、とか、色々ある、し、どれがどう、と、か、言えない、けど』
カインは白と黒に塗られた『小さな盾』を見せながら困ったように笑う。
『一番は、たぶん、自分がかっこいい、と、思うことをやらないで、かっこわるくなりたくない、だけ、なんだ、と、思う。男、だからね』
カインはそういっていた。
マコットは小さく息を吸い込み、口を開く。
「カカカカインさん、ごめんなさい」
そういいながら、マコットは地面に両膝を両手をつく。
『おいおいおい、なんだ降伏か~。仕方ねえな、やさしい俺がお前、を……!』
そのまま這うようにエーテの股の間を泣きながら潜る。
『ぎゃあはっははあ! はあ、はあ……嘘だろ、みっともねえ! みっともねえなあ! おい! この雑魚! 股の間をくぐりやがったぜ!』
バリィの笑い声がエーテ越しにも関わらず大音量で響き渡る。
マコットは地面に手をついたまま、カインへの謝罪を続ける。
「ごごごごめんなさいカインさん! ごめんなさい! コイツに勝つために、僕はどんな手でも使います……!」
『……は?』
バリィの声に反応したエーテが振り返ろうとする。
が、一瞬足が動かず地面に転がる。
よく見れば、地面にうっすらと緑と茶色の混じった魔力が広がっている。
「〈
同じように状況を見守っていたほかのエーテ達も足と地面をくっつけられ一瞬動きを封じられる。
その間に、マコットは四足歩行でグレンの元に近づき、魔力を込め、土と岩と泥で作った筒のようなものの中に立てこもる。
『てめえ、が、誰に勝つって! おい! 腰抜け! 出て来い!』
エーテ達がすぐさまその竈を囲み殴り始めるとどんどん罅が入り始め、最後には音を立てて壊れ、そして、エーテ達に向かってはじけ飛んだ。
「〈
破片はエーテ達に傷を付けられないものの途轍もない勢いではじけた為に距離を空けてしまう。
ガラガラと崩れ落ちる土や岩。
その土煙の中で震える影が見える。
(僕はグレンさんのように圧倒的に強くも、カインさんのように多くの人から愛されるような人柄もない。僕は……あの人たちみたいにはなれない。僕と……あの人たちは違う)
やがて土煙は収まりマコットの姿をエーテ達の目が捉える。
そして、逆に、マコットの視界に取り囲むエーテ達の姿が見える。
マコットは大きく天に向かって溜息を吐きながらだらりと手を下ろし……握りなおす。
「でも……! それでも僕は此処にいたいんだ! どんな形でも、どんなことをしても!」
崩れた筒の中でマコットは、無数の紙を広げていた。紙には西独特の魔字が書かれている。
そして、その魔字の上をマコットの指が辿っていく。
魔字をどんどんと繋いでいく。
そして、何周も何周も同じ道をなぞり、マコットの指は赤く染まる。
「こ、れは……呪いだ。憎しみだ。僻み妬み嫉み……黒い心が作った術式だ。けれど、だからどうした。僕はあの人たちと肩を並べるためなら……悪魔にもなる!」
『やべえツラしやがって、一旦距離とれ! エーテ共!』
バリィの命令に従いエーテは赤黒い術式を繰り返し紡ぎ続けるマコットの傍を飛び退きながら離れる。
「すごい高さと速さだなあ……力もあるし、身体も丈夫……いいなあ、その力羨ましいなあ……腹立たしいなあ……おい、お前ら。僕のところまで下りて来いよ」
『ばーか! 誰がてめえに従うかよ』
「だよねえ……だから、僕は勝手にやるよ。一人で。勝手に」
バリィから見えるこちらを睨むマコットが遠く離れ……途中で止まる。
『な……! 何が起きてる!?』
エーテがバリィの声に従い原因を目に映す。
それは、濁った針だった。
針はエーテの背中から刺さっている。
他のエーテも確認すれば背中から飛んでくる針に皆刺されていた。
「〈
マコットが放った術式に外側に張られていた泥の膜が反応し、次々に泥の鈎針のようなものが放たれ、エーテ達にぶつかっていく。
ほとんどの針がエーテの身体にぶつかり潰れるが、幾つかは関節部分やグレンが空けた穴などに刺さる。
雨のように降り注ぐソレを避けることは出来ず、エーテ達にもれなく刺さる。
『え、エーテの身体も貫けないもんに何が出来るんだよ!』
バリィが、その禍々しさに引きつり笑いを浮かべながらも必死に悪態をつく。
「……森人兄弟が捕まえたエーテを調べさせてもらったんだ。いろんな術式があったけどさ。流石古代文明の遺物……ほとんどわからなかった。でもね……一個だけなんとなくわかったものがあった」
マコットは降ってくる泥の針の雨から身を守るため作った竈の中にグレンを入れ、膝を抱え震えながらも説明を続ける。
「そそそそれは記憶部分にあった。古代文明でも危険な術式〈混毒〉……世にも珍しい魔導具にも効く毒……!」
泥針の雨が止むとエーテ達は途端に震えだす。
その震えは膝を抱え怯えるマコットよりも激しい。
「……けひ。どう? 毒は……君たちが恐れていた毒の威力はどう? 残念だったね。僕は正義の味方じゃない。後ろから攻撃するし、毒も使う。大丈夫。死んではないよ。でも、言ったよね。さっき言ったよね。僕の所まで下りて来いって……!」
震えるエーテがマコットに掴みかかるが、マコットは正面からそれを受け止め、逆の手に持っていた魔法筒から強化された〈腐食〉を放つ。
エーテは先ほどまでの硬さが嘘かのようにどろどろと溶け始める。
『馬鹿なぁああ! は、はあはあ……ば、馬鹿な馬鹿な馬鹿な!……お前みたいな雑魚になんでエーテが』
「僕みたいな雑魚より雑魚にエーテがなってたら、僕だって勝てますよ」
『はあ!? まさか!?』
「そう。『能力低下の毒』。
マコットは黒く嗤う。
けれど、どこか誇らしげでどこか自信に満ちどこか悲しげな笑顔だった。
そんなマコットの肩に腕を回す男がいる。
グレンだ。
「どうだ……これが俺たち【小さな手】の男たちの実力だ! なあ! カインさん!」
マコットは自慢げに叫ぶ赤鬼を見てぼやける視界で天を仰ぐ。
覆う泥はもうない。
青い空が広がり、太陽はまぶしい。
思わずすぐさま下を見る。
影が映る。
自分の影が。
その影は震えていなかった。
太陽の光にも冷たい闇にも震えていなかった。
あんなにも強かった鉄人形たちは震えているのに。
『くそ! 騙しに、毒に、汚い言葉に! そんなクソ野郎が正義の味方ヅラしてんじゃねえぞ!』
影がふと前を向く。
「してないよ、バーカ。僕が正義の味方だなんて思ってやしない。僕はただ、お前達に勝つためになんでも使う卑怯者だ。そんな卑怯者が、僕だ」
濁っているかもしれない、腐っているかもしれない。
それでも、真っ直ぐ前を向く。
「僕は、マコット。【小さな手】で一番弱くて嫉妬深い魔工技師のマコットだ。そんな雑魚にこんなにされるんじゃあウチのメンバーの誰にも勝てないよ、ザーコ」
マコットはグレンの肩に腕を回し笑う。
けれど、その腕はやっぱりちょっと震えていた。