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17/暴虐の熊王

「グリフェノル、契約は解除する。貴方に死なれたら村どころかこの世界は終わる……そんなのは嫌だ……だから逃げて。それまで……私が何とかする」


 ようやく、ようやくシャネアとの繋がりを断つことができ、自由を手に入れた魔王グリフェノル。嬉しさのあまりか喜びが込み上げてくるような感覚に頭が麻痺しかけていた。


 自由になったのならば、瀕死の勇者の命は消すべきもの。縛られる必要すらなく本来の青年の姿へと戻り、ゆらりと身体を動かす魔王は殺気を消して、彼女の後ろへ立つ。そしてゆっくりと伸ばした大きくゴツゴツとした手は――彼女の頭に置かれた。


「全く、急に契約放棄とか逃げろとか言いよって。お前はいつも急に決めよるな。それに、こんな瀕死なやつが時間稼ぎするなんてたかが知れとるやろが」


「でも……魔王は生きていて、もらわないと……」


「アホか。あんな奴に我は負けるつもりはない、お前が契約を解除してくれたおかげで充分に力が出せそうなんや。まぁ泥舟に乗ったつもりで任せい」


「中々不安しかなくて、逆に心配……」


「今までの付き合いやろちょっとは信じれやぁ! ったく、ほんま調子狂うわ……いいからお前はあのエルフのとこ行って安静にしぃ」


 グリフェノルにとって、シャネアは敵。いや敵だった。魔王城を抜け出してから暫く行動を共にして、いつかは隙を見て逃げることや、反撃を目論んでいた。しかし元仲間から命を狙われている以上、帰る場所はなく、ならばシャネアの仲間になるのもありだと考えたのだ。


 それに殺す機会はいくらでもある。自らの手で瀕死に追いやった訳でもない彼女を殺す理由など、そのひとつで消えてなくなった。


 いや、理由は他にもあった。


 それは彼女との馬鹿みたいなやり取り。今も尚調子が狂うと文句を言うものの、心地良さをどこか感じており、シャネアを失えば日常になりつつあったやり取りができない事に胸が苦しくなったのだ。


 無論そんなことは恥ずかしくて言えない魔王だが、必死にシャネアを庇い前に立つ彼の仕草から、彼に敵意がないのは容易に理解できる。


 だからこそか、シャネアの強ばっていた身体の力が抜けて、それでもなんとか最後の力を振り絞り言葉を発した。


「……わかった……信じる、でも死なないでね」


 直後、身体の力が抜けて気を失い倒れる彼女。グリフェノルがなんとか支えたことで、地面に倒れることは免れていた。


 とはいえ立ってるだけでもやっとだったことに「無茶しすぎや。ゆっくり休んでろ」と呟いてからノエルを呼ぶ。


 呼んでから僅か数秒でグリフェノルの元にたどり着くノエル。さすが魔王の右腕と呼ばれただけはあると感心してから。


「ノエル、こいつの事頼んだで。我はこいつの分まであいつをぶん殴らないとならんからな」


「はぁ、犬に命令される筋合いは無いですが、まぁシャネア様の身は守るべきものですから、頼まられることにしますよ。こうなるのは予測はついてましたし、あのエルフには既に準備してもらってますから」


「お前の先読みの能力は凄いんやけど、もうちょいこー……口調なんとかならんの? 一応お前の上司なんやけど我……」


「元ですけどね、それよりもシャネア様の為にもさっさと終わらせてください。シャネア様はギリギリの体力で犬に託したのですから」 


 相変わらず魔王を見下すような口振りで話すノエル。先程シャネアを信じてシールを強引に連れて行ったのは確かに彼女のことを信頼していたのは、この状況下でエゼドを倒す方法は魔王にかかっていた事、魔王の力を最大限に生かすには、シャネアと魔王の契約を解消しなければならないことを見越していたためだ。


 そして、シールを連れていった際にそのことを嫌々ながらシールに話しているため、回復させる準備は既に整っていると言う。先を読み行動するのは頼もしい限りだ。


 とはいえ魔王に対するノエルの態度は頭を抱えるもの。本当に部下なのか悩ましいところだが、今は悩んでいる暇も、落胆する時間もない魔王は彼女のことを頼る他なく、気を失ったシャネアを預ける。


 その後1歩、また1歩とエゼドへと近づいていき、負の感情を蓄え肥大化した魔人エゼドの目の前に立つ。


 青年の姿になった魔王よりも遥かに大きな存在。ざっと2メートルはあるエゼドを見上げる魔王。傍から見れば蟷螂の斧だが、臆することなく自信に溢れた表情で問いを投げる。


「なぁエゼド、我は今すごく気分がいいんや。なんでかわかるか?」


「さぁな、逆に部下に殺されることに喜んでるとかだろ」


「そうそう、部下の成長が嬉しくてな〜そんで成長した証で殺してくれるなんて嬉しい……くなるわけあるか! どこのマゾや! 自分から殺されに行くバカなんてほぼおらんやろ! 少なくとも我は違うわ!」


 人の気持ちなど本人にしか分かりえないのだから、エゼドのように適当な答えになるのは仕方の無いこと。


 しかしもし仮に、部下に殺されることが喜ばしいことが当たっているのならば魔王がノリでツッコミなどするわけが無い。実際魔王が言った通り、成長に感動しているか、あるいはとんでもなく痛いのが好きな者のみ、殺される事に喜びを覚える。つまり魔王はマゾでは無い。 


「はぁ、まぁいいわ。我が嬉しいっていう正解はな、漸く自由になれた喜びと、この手で裏切り者を、そしてシャネアを、仲間を傷つけたばかやろうをぶっ殺せる喜びや! 【魔変化イリュージョン暴虐の熊王バイオレンスグリズリー】!」


 何故こんな緊迫した場でノリツッコミをしなければならないんだと、自らの行動に嘆息を吐いた魔王。彼がエゼドに訊いた問いの正答を言い放ち、己の固有魔法【魔変化イリュージョン】を行った。


 骨が絶たれ肉が千切れる音が響く中、全身がみるみるうちに肥大化し、ものの数秒で漆黒の毛を纏いエゼドと肩を並べるほど大きなビッグベアへと姿を変える。


 魔王城にいる時は漆黒の狼の姿になり、魔王の元へ勝負を挑みに来る冒険者や勇者を葬ってきていたが、今回は熊でそれが持つ力は漆黒狼よりも遥かに上。所謂第2第3の形態用に残していた切り札的存在の姿、熊王ゆうおうの姿である。


「何故我が魔王として君臨していたか……それを知るいい機会やで……さぁ力比べの時間や、エゼド! おらぁ!」


 エゼドも、ノエルですらも知らない魔王の姿。気迫。一つ一つ言葉を発するだけで威圧が身体を蝕み自然と冷や汗が流れるエゼド。


 故か一瞬だけ思考が止まり隙が生まれ、すかさずグリフェノルは右手でなぐ。大きく重たい攻撃のため避けられやすい攻撃ではあったが、見事に直撃。


 直後ざくりとエゼドの腹部が裂け大量に血を流した。しかし強大な力を手に入れたのはエゼドも同じ。みるみるうちに傷からこぼれ落ちた液体が身体へと戻り、傷が癒えた。


 いくら負の感情を糧に強化されているとはいえ、瞬時に傷が癒える超回復を持っていては為す術がない。


「反則やろ!?」


「は、ははは! どうした魔王! その程度か! ならば次は俺の番だ!」


 超回復は当の本人も想定外で心底驚いていたが、直ぐに哄笑して虚無の空間から、身の丈ほどの剣を取り出した。


 それはエゼドにグリフェノルが特別に進呈した巨大な剣。身体が大きくなるのだからと、それに合わせて作らせた品物だ。


 しかし今は関係の無い話。それどころかその武器を進呈したことすら魔王は忘れており、武器がない同士の肉弾戦を予想していた。彼の行動に再び声を荒らげる。


「いや武器出すのも反則やろ!! せめて魔法! さっきまで魔法使ってたやん!?」


「は? 俺は魔王を倒せればそれでいい、そもそも魔族に反則なんて無いようなものだって言っていただろう! だからこれで死ね! そして俺の糧となれグリフェノル!」


「ぐぁっ……!」


 剣が振りかぶられ、繰り出される一撃を予感しエゼドを突き飛ばそうと彼の胴体に手を伸ばす。しかし熊の手には鋭い爪があり、それが刺さるだけで突き飛ばすことは叶わなかった。


 直後、予感通りに振り下ろされたエゼドの大剣は、武器があることを知り油断していた魔王を悲鳴すら出させず肩から腰にかけて引き裂いた。肉を切り骨を経つその感触は剣からエゼドの手に直接伝わっており、熊の姿をしたそれも無骨ながら2つに分けられ、見るからに即死。


「例え姿が変わっても所詮は負け犬! 雑魚に魔王をやる資格なんてな――ぁ?」


 そう即死なのだ。


 喜びの束の間、エゼドは直ぐに異変に気づきそこから離れようと試みる。だが不思議と胴体に刺さる爪が抜けず、思うように足を動かすことはできない。つまり逃げることは到底不可能な状態だった。


 そして切り裂いたのが一瞬のこと故に疑問を持つのが遅すぎた。


 ずずずと切り裂き垂れ始めた左半身部分が自然と右半身と結合し始め、気づけばあたかも切られた事実を消し去ったと言わんばかりに、綺麗に傷が消えていた。


 その治癒能力は、先程エゼドが見せた超回復の能力と同じもの。しかし彼は超回復という力は持っていないはずだ。でなければ先程の魔王のように計画もなしに攻撃などするわけが無い。


「なんてなぁ、我がそう簡単に死ぬわけないやろ、魔王やぞ我は」


「な、何が……今完全に切り裂いて……え?」


「いやぁ身内を騙すなんて割と簡単なもんなんやね。どうや? 身体から力が抜けてる感じするやろ? でもその原因に気づかないなら、お前の負けや。まぁ気づいたところでもう遅いんやけどな」


 熊の姿のままけろけろと笑い、実質の勝利宣言をする。


 事実今まで騙していたものが綺麗に決まり、騙されていることに気づかなかった時点で、エゼドは負けではある。何せ今の彼に


 それもそのはず、魔王が変化で現した【暴虐の熊王バイオレンスグリズリー】は、体力と力だけが取り柄な魔物ではなく、その爪により傷を付けられた者の能力や魔法を一時的に奪うこともできる魔物。


 その証拠に、引き抜かれ穴が空いたエゼドの身体は癒えることはなく、力が抜けたようにその場で膝を折っている。


「おの……れ……ならば……!」


「まだ足掻くんかいな。タフやな〜でも、それも奪ってしまえばもう、為す術ないやろ?」


 最後の抵抗に、固有魔法を行使しようと手を伸ばしてきたエゼドだったが、震わせながら伸びた腕を爪で叩き切られ固有魔法すら失うこととなる。


 もはや何も残っていないエゼド。唯一の固有魔法を失いもはや声を出す気力すら残っていない様子だ。


「さて、もうおしまいやなエゼド。……我を裏切った罪はその命持って償うがいい」


 他の力を奪い尽くすという暴虐の限りを働いた魔王は、絶望に明け暮れ許してくれと、顔を上げて助けすら求めているように見える彼の命を、躊躇いもなくいたぶるように刈り取るのだった。

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