「調子はどうや」
「ぶい」
エゼドとの一戦が終わり、魔王はシャネアの元へと歩み寄ってきた。
シールの回復魔法を早い段階で受けたというのもあるが、短時間で傷すらなくブイサインを送る姿は健気で、勇者と言われるだけはあるとつくづく感じる。
「グリフェノル、さっきはありがとう」
「お前から礼を言われるなんてちょっと怖いやんけ。って名前ぇぇぇ! いやさっきも名前言っとったけど名前ぇぇ!! ちゃんと覚えとるやんかァァァ! もしかしてずっと遊ばれてたんか我!!!」
ボソッと感謝の言葉を受け取るグリフェノルだったが、突然名前をしっかり言われたことで、目を大きくして叫び始める。
今までちゃんと名前を言われたことがなかったからこそ、ちゃんと言われたことに対して感動と驚きが出たのだろう。
「名前を言うと契約が解除されるから。でも名前長すぎてそこだけしか覚えてないけど、ちなみに遊んではいた」
「いや遊んでたんかいな! ていうかそれならそうと先にそう言ってや!?」
「言ったら名前を言わせようとしてくる」
「それは否定できん! ……でも元気そうでなによりや。ただ前みたいにもうちょいふざけてくれないのは調子狂うな」
「……ピンピンしてるとはいえ戦う気力は無い。それに契約解除したから、魔王は敵だし完全に自由の身だし……何より戦う術が無い」
「そういうことか……せやな、まーこのままなら我はお前らを屠って魔界に戻るのもありやけど……ノエル、改めて聞くんやけど、エゼドの言ってたことは本当なん?」
勇者のシャネアが完全に回復したのならば、グリフェノルは勝ち目は無い。だが、彼女の力の源となる契約は現在誰ともされておらず、ならば魔王1人でも充分
しかしながらその行動を取らずに悩みに明け暮れている様子。暫く悩む素振りを見せて、魔王の元側近であるノエルにエゼドが言っていた話の真偽を確かめた。
「そうですね。本当です。私が魔王城……というか魔界から出る時は、魔界にいる魔族たちがその話で賑わってましたよ。あの犬をどう調理してやろうかぐぇっへっへっへっへ。と」
「いやそこまで言え言っとらんし、何気にリアルな笑い方で想像できるさかいやめてくれーな……。でも想像どおりやな。つまるところ我は今帰ったところで毎日のように命を狙われるかもしれん。なら帰る場所がないんも同じや。お前たちに合わせるしかないやろ」
首を横に振っては嘆息を吐く魔王。ノエルの言葉が想定内だったため驚きこそしないが面倒なことになっている状態に呆れが勝ったのだ。
その様子に関心するノエル。だが口から出た言葉はやはり毒舌な言葉だった。
「犬が
「そうやなー、今までキャンキャンと玉座の上で吠えて、その愛くるしいー鳴き声とメロメロボディーで冒険者ら堕としてってあほぉ! 我は1度もそんな可愛らしく吠えたことないし、凶暴やわ! 嚙み千切ったるぞノエル!」
「だからって手を出すのはどうかと。私に攻撃を入れていいのはシャネア様だけです。その穢らわしい手と臭い口で触れないでください」
「うわこいつキモイ系やん……てかそんな暴言吐かんくてもええやん……睨まんでもええやん……我上司なんやけど……しゅん」
「元ですけどね。何回繰り返します? このやり取り。いい加減飽きます」
「まだ2回目なんやけど……そんなに我のこと嫌いなんか……我悲しい」
自分でノリツッコミをしたかと思えば、シャネア同様にチョップでノエルを繰り出す。
その行動を見切っていたノエルは当然のようにかわしてみせ、見下すように睨みつけては魔王の事などどうでも良いとばかりにほぼ相手にせず嘆息を吐いていた。
シャネアに負け魔王城から出てしまった以上、厳密的にノエルの上司とは呼べないのは事実。それを何度言っても理解しようとしない
一方で、彼女を部下として従わせていた身であるグリフェノルは、ノエルの塩すぎる態度に寂しさを覚え人差し指同士を合わせていじけていた。
しかし直ぐに気持ちを持ち直し、改めて話を戻す。
「まぁ、つまりは今までと何も変わらんよってことや」
「いや切り替え早」
わかりやすいくらいにしょぼくれていた魔王だったが、一瞬にしてけろっと態度を変えていた。まるでいじけていたのは幻覚だったと言わんばかりに早く、シャネアの口から真っ先に出たのはそれに対しての反応だった。
とはいえそこまで切り替えが早いのはシャネアの扱いを受けていたせいでもある。毎回のように驚かされて、毎回のように気絶させられ、毎回のようにこき使われる。そんな日々を送ってきたからこそ、一瞬にして気持ちを切り替えることを身に着けていた。
そのことを厭味ったらしく叫ぶ。
「誰かのせいで気持ちの切り替えが偉い早くなったんや。どこかのちび勇者のせいでなあ!」
「シャネア様。この犬がシャネア様の事を侮辱してきましたので、くそ犬の首をへし折っても良いですか? 良いですねありがとうございます」
「おいまてノエル! 我はまだ死にたくない! あと話の途中! ステイ! ステイノエル!」
ここには実質的な魔王の仲間はいない。彼の口から放たれた厭味はただ不快感を芽生えさせただけであり、その結果青筋を立てたノエルが、本当に魔王を殺す勢いの殺気を放っていた。元部下とはいえ中々どうしてこんなに嫌われているのだろうと涙目になりつつ、ノエルを落ち着かせて、話題の線路を元に戻す。
「短気な奴らばかりで我泣いちゃう……はあ、またキレられる前に話を戻すけど、シャネアは我がいないと困るんやろ? なら悩む理由ないやろ……」
「確かに困る。私の目的が果たせないから」
「目的……? そういえば、シャネアは何か理由があって我のことを強制的に契約させたんやろ? いったい何が目的なんや?」
シャネアの口から零れ落ちた目的という言葉に反応して、小首をかしげる魔王。実のところ、魔王を【
しかしシャネアは目を泳がせて口を編む。今まで言わなかったがために今更言うべきか悩んでいるのだ。別に目的を誰かに言うことに躊躇う理由などないはずだが、それでもばつの悪い顔を浮かべている。
……その様子に呆れたシール。頭を抱えてさてはと言葉を続ける。
「……さては、グリフェノルに始まりの街に行く理由とか、何が起きてるとか言ってないな?」
「うぐ」
「お前なぁ、重要なことを重要人物に言わないでどうするんだ……」
シールの予想は的中。彼らは今まで一緒に行動を共にしているのだから、グリフェノルもシャネアの目的を知っていると思い込んでいたが何一つとして伝えていなかったらしい。
魔王もよくそれで疑問を持たずに着いてきていたものだ。いや、魔王からすればいつか必ず契約を解除させることにいっぱいで気にすることではなかっただけだが。
ともあれ図星を突かれて目を逸らしたシャネアの代わりに、シールは彼女の目的を知っている範囲で彼らに伝えた。
「瘴気病……なるほどな、確かに瘴気を打ち消せるんは現状我しかおらん。瘴気を生み出すのも消すのも魔王の力……でも我からすると得体の知れない何かに過ぎないから上手くいくかはわからんで、しょーじき瘴気病なんて本来魔族しか発症しない風邪みたいなも……」
瘴気病についてペラペラと解説していると急に目を大きく見開き口を開けて固まる。ついにポンコツに成り下がったと嘲笑うノエルだったが、それすら無視してグリフェノルは続けた。
「そうや……瘴気病は本来魔族がなるもの。意志のある魔族が純粋な魔物になり変わる病。正確には固有魔法が更なる力を発揮する前兆で、成功する確率は極めて低い……当然治せるけど莫大な力を吸収しようとしとったから致命的な後遺症が残る、だから大抵は隔離して放置する……でも何百年も色んなところ行ってたけど固有魔法を持つ人間がなったなんて聞かへんかった……シャネア、そいつら多分魔族や」
一人でブツブツと呪文でも唱えてるのかと思えば、突然真面目な顔を浮かべてそう言ってきた。なんとも納得のいかない言葉だが、シールだけはその言葉の意味を理解していたようで彼の言いたいことを意訳する。
「……なるほどな、詰まるところシャネアは
「くっ! ダークエルフ如きに我の思考に乗っかるなやっ!」
「あ? 封印するぞ?」
「ごめんなさい調子に乗りました……まぁ話を戻すとそう言うことや。ただ可能性やからな。我が知らないだけで人間に感染することも有り得る。ノエルも知らんやろ?」
ちょっとした言い合いになりつつも、話題をノエルにも振る。魔王が知らないのだから当然ノエルも知る由すらなく首が振られた。
ここで嘘をつく必要などなく、世界を征服し魔を納めるグリフェノルとノエルの言動からほぼ間違いなく始まりの街にいる人物は魔族であることを示していた。
本当ならばさらなる疑問が生まれる。
「じゃあ、始まりの街にはもう人は」
始まりの街にいる人は大体が瘴気病にかかっている。ならばその街にはもう人はいないのではないか。あの自称神は本来存在してないのではないか。
――もう、前の世界には帰れないのか。
まだ可能性論だが、その可能性が極めて高い今、彼女は帰られないことを悟る。単なる事故とはいえ、やりたいことを全てやり切れておらず未練しかない。家族にだってちゃんと別れを言えていない。
だからこそ、少しでもいいから帰りたいと願っていた。
しかしそれが叶わない今。彼女に残されたのはこの世界の生活、冒険を謳歌することのみとなった。
「まぁそんなに元の世界に戻りたいんなら、今後はそれを探しながら始まりの街に行くものありやな」
「大丈夫落ち込んでない」
「メンタル強いかこいつ! 今の流れ帰れないからって落ち込むところやろ!」
「確かに帰れるなら帰りたいし、ちゃんと家族に別れを言いたいけど言えないなら仕方ないし、しょーじき、こっちの方が楽しい」
「なんやねんこいつ!」
契約していなくても結局手のひらで踊らされるグリフェノル。横からノエルが羨ましそうに見つめていたが気に止めることはなかった。