エリナは、自分の中に湧き上がる不安と恐怖を抑えきれなくなっていた。夢に見た記憶の断片と現実に起きる不可解な出来事が重なり、自分が知らないうちに何かをしているのではないかという疑念が消えない。さらに、鏡を見るたびに、そこに映る自分の姿が微妙に異なって見えるようになっていた。
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ある日の午後、エリナは書斎で手紙を整理していた。彼女が信じている限り、自分は潔白だ。しかし、次々と現れる証言や証拠に押しつぶされそうな気持ちだった。
「これだけの証拠が揃うなんて……普通ではあり得ない。誰かが私を陥れようとしているのか、それとも……本当に私が?」
その言葉を呟いた瞬間、不意に背後から視線を感じた。彼女は振り返ったが、誰もいない。ただ、部屋の隅に置かれた大きな姿見が目に入った。
エリナは鏡の前に立ち、じっと自分を見つめた。鏡の中の自分は、いつも通りの美しい姿だった。しかし、じっと目を凝らして見ると、どこか冷たい雰囲気を感じる。
「これは……私よね?」
エリナがそう問いかけると、鏡の中の自分がわずかに微笑んだ気がした。その微笑みは皮肉めいており、彼女を嘲笑っているように見えた。
「まさか……。」
エリナは後ずさりし、鏡から目を逸らした。心臓が激しく脈打ち、冷や汗が背中を伝った。
「ただの見間違い……気のせいよ。」
そう自分に言い聞かせるが、不安は消えなかった。
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その夜、エリナは再び夢を見た。夢の中で、彼女は学院の庭に立ち、誰かに冷たい言葉を浴びせていた。その表情は冷酷で、普段のエリナでは考えられないようなものだった。
「あなたなんて、私の足元にも及ばない。」
その声は、確かに自分のものだったが、どこか別人のような響きを持っていた。
目が覚めた時、エリナは荒い息をつきながらベッドに座り込んだ。胸の中には、夢の中で見た自分の姿が焼き付いていた。
「私は……本当に私なの?」
そう呟いたエリナの手は、震えていた。
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翌朝、エリナはカイルの元を訪ねた。彼に相談しなければ、このままでは自分が正気を保てなくなると感じていた。
「エリナ、来てくれて良かった。顔色が悪いな。」
カイルは彼女を応接室に招き入れ、椅子に座るよう促した。
エリナは昨晩の夢や、鏡の中で感じた奇妙な感覚をすべてカイルに打ち明けた。彼は真剣に話を聞きながら、時折うなずいていた。
「それで、鏡の中の自分が微笑んだように見えた、というのか?」
カイルが確認すると、エリナは力なく頷いた。
「ええ。あれは私の見間違いだと思いたい。でも……どうしても忘れられないの。」
カイルはしばらく黙り込んでから、静かに口を開いた。
「エリナ、君が感じていることは、確かに普通ではない。だが、それが君自身の意識によるものかどうかは、まだわからない。」
「それでも、私は自分を疑ってしまう。こんなことが続けば、きっと私は正気を失うわ……。」
エリナの声は震えていた。
カイルは彼女の手を取り、真剣な眼差しで語りかけた。
「エリナ、自分を疑うな。君がどんな状況に置かれていようと、君自身の価値や本質が変わるわけではない。僕が君を信じている。それだけでも十分だろう?」
その言葉に、エリナの胸の中に小さな灯がともった。彼女は涙をこらえながら、小さく頷いた。
「ありがとう、カイル様。あなたがいてくれるだけで、少し安心できます。」
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その日の夕方、エリナは再び自室の鏡の前に立った。彼女は深呼吸をして、自分の顔を見つめた。
「私は……私よね。」
そう言い聞かせながら鏡をじっと見つめていると、不意に誰かが部屋の外を歩く足音が聞こえた。エリナは振り返ったが、廊下には誰もいなかった。
鏡に戻ると、そこには彼女自身の姿が映っていた。しかし、今度は何も変わった様子はない。ただの鏡の中の自分だった。
(ただの気のせい……。)
エリナはそう思いながらも、完全に不安が拭い去られることはなかった。