エリナは、自分自身を疑い始めたことで心に大きな葛藤を抱えるようになっていた。カイルの言葉で一時的に救われたものの、彼女の中には消えない不安が残っていた。夢と現実の境界が曖昧になり、鏡に映る自分が他人のように感じられる体験が続く中、エリナは徐々に孤独に追い詰められていった。
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その夜、エリナは眠ることができず、書斎で書き物をしていた。これまでの証言や証拠を整理し、自分の中で真実を探ろうと試みていたが、全てが彼女に不利な方向に向かっているようにしか思えなかった。
「これが全て私自身の仕業だとしたら……どうなるの?」
エリナは震える手でペンを置き、深いため息をついた。
頭の中で繰り返されるのは、夢の中の冷酷な自分の姿だった。それが現実での行動を反映しているのだとしたら、彼女はどうやって自分の無実を証明すればいいのだろうか。
その時、不意に廊下から足音が聞こえた。誰かがゆっくりと歩いているような音だが、夜更けの時間に歩き回る者はいないはずだった。
「誰……?」
エリナは恐る恐る立ち上がり、書斎の扉を開けた。廊下には誰もいなかったが、奥の方で何かが動く気配がした。
「気のせい……じゃない。」
彼女は小さく呟きながら、気配のする方へ足を進めた。
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廊下を抜け、階段を下りた先のホールにたどり着くと、そこには大きな姿見が置かれていた。その鏡は侯爵家の古いものの一つで、代々受け継がれてきたものだった。
エリナはゆっくりと鏡の前に立ち、自分の姿を確認した。そこには、いつもの彼女が映っている。しかし、じっと見つめていると、鏡の中の自分がふっと微笑んだ。
「……!」
エリナは息を呑み、後ずさりした。だが、鏡の中の自分は動きを止めず、冷たい視線を向けたまま何かを言おうとしているように見えた。
「私は……あなたなの?」
エリナは震える声で問いかけたが、鏡の中の自分は答えなかった。ただ、微笑みを浮かべたままじっと彼女を見つめている。
その瞬間、エリナは足元が崩れるような感覚に襲われ、ふらついてその場に倒れ込んだ。頭の中に響くのは、自分の声とも思えない冷たい声だった。
「私はあなた。あなたは私。」
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翌朝、エリナは自室のベッドで目を覚ました。昨夜の出来事が夢だったのか、それとも現実だったのか、彼女には区別がつかなかった。廊下やホールを確認しても、何一つ異常は見当たらない。
「やっぱり……私が疲れているだけなのかもしれない。」
そう自分に言い聞かせながらも、胸の奥に広がる不安は消えなかった。
その日の午後、エリナは再びカイルを訪ねることにした。何もかもが曖昧で、自分ひとりでは耐えきれない状況だった。
「エリナ、何かあったのか?」
カイルは彼女の様子を見てすぐに尋ねた。
「昨夜……鏡の中の自分が動いているのを見た気がするの。」
エリナは昨晩の出来事を詳細に話し始めた。話している間も、彼女の手は小刻みに震えていた。
カイルは真剣に話を聞きながら、時折頷いていた。
「鏡の中の自分が微笑んだ、というのか……。」
「ええ。それに、頭の中で『私はあなた』という声が聞こえたの。」
エリナの声には恐怖が滲んでいた。カイルはしばらく黙り込んだ後、静かに言葉を紡いだ。
「エリナ、それが何であれ、君はひとりじゃない。僕が君を支える。そして、必ず真相を突き止めよう。」
その言葉に、エリナの目から涙が溢れた。彼女にとって、カイルの存在がどれだけ大きな支えになっているか、改めて実感した。
「ありがとう、カイル様……。」
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その後、カイルはエリナの話を元に、侯爵家の鏡や家系に関わる記録を調べ始めた。一方で、エリナは鏡を見ることを避けるようになった。だが、その不安は次第に彼女の心を蝕み、鏡の中にもう一人の自分がいるという感覚が強まっていった。
「私は……一体何者なの?」
エリナの中で、問いはますます深まっていった。
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