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第3話 偽りの誓約3: 不穏な日常

 カイゼルとの結婚生活が始まってから数週間が経った。屋敷での生活は、形式的には何も問題がないように見えた。食事は贅沢で、召使いたちは礼儀正しく、庭園の花々はいつも手入れが行き届いている。しかし、その表面の美しさとは裏腹に、レアリナの心は日に日に疲弊していった。


 カイゼルの不在が続いている。朝食の場にはほとんど姿を見せず、帰宅するのは深夜か、時には数日間戻らないこともあった。その理由を尋ねたくても、彼はどこか彼女を拒絶するような態度を崩さない。


 ある日、執事を通じてカイゼルの予定を確認しようと試みたが、返ってきたのは冷たく事務的な返答だった。

「カイゼル様の予定は私どもにも詳しくは共有されておりません。奥様にお伝えできる情報はございません。」

 それ以上聞き出すことができず、レアリナは小さく溜息をつくしかなかった。


 その日、屋敷の庭園で散歩をしていると、遠くから召使いたちが小声で話しているのが聞こえてきた。

「カイゼル様、最近よくあの場所に通っているみたいね。」

「ええ、何をされているのか……でも奥様には内緒に、って。」

 言葉の断片だけだったが、それはレアリナの耳に刺さった。召使いたちは彼女に気づき、慌てて口を閉じ、何事もなかったかのようにその場を去った。だが、その言葉は心の中に深い不安を植え付けた。


「……あの場所?」

 レアリナは自問した。カイゼルが通っている場所とは一体どこなのか。なぜそれを「内緒に」と命じられているのか。疑念は次第に膨らんでいった。


 その夜、レアリナは意を決して執事に直接尋ねることにした。

「カイゼル様が最近、どこにいらっしゃるのか、教えていただけませんか?」

 執事は一瞬戸惑いの表情を見せたが、すぐに表情を整えて答えた。

「申し訳ございません、奥様。カイゼル様の行動については、私どもも詳しいことは存じ上げておりません。」

 その言葉に嘘が含まれていることは明らかだった。執事の目が微かに泳いでいたのを、レアリナは見逃さなかった。


「そうですか……分かりました。」

 レアリナは表面上はそれ以上問い詰めることなく、執事に礼を言ってその場を去った。しかし、心の中では次第に怒りが芽生え始めていた。なぜ夫の行動をここまで隠されなければならないのか。彼女はこの家の正当な奥方であるにもかかわらず、家の中でさえ孤立している現状に気づかされた。


 翌日、カイゼルは珍しく昼間に屋敷に戻ってきた。しかし、彼がレアリナに挨拶をすることはなく、まるで空気のように彼女を無視して執務室へと向かった。その冷たい態度に耐えかねたレアリナは、意を決して彼を追いかけることにした。


 執務室の扉をノックし、彼の許可を待たずに中へ入る。カイゼルは書類に目を通していたが、彼女が入ったことに気づくと面倒そうな表情を浮かべた。

「何か用か?」

 その一言に込められた冷淡さに、一瞬ためらいを覚えたが、レアリナは意を決して口を開いた。

「あなたが最近どこに行っているのか、教えていただけませんか?」


 カイゼルは書類を置き、彼女に冷たい視線を向けた。

「余計な詮索はするな。」

 その一言で、レアリナの中で何かが崩れる音がした。彼の態度には、夫婦としての信頼や配慮など微塵も感じられない。


「私はあなたの妻です。少なくとも、少しぐらい私にも教えてくれてもいいのではないですか?」

 思わず声を荒げてしまったが、カイゼルはまったく動じる様子を見せず、ただ冷たく言い放った。

「形式上の妻だろうと、本質は変わらない。俺の行動に口を出すな。」


 レアリナはその場で言葉を失った。何も返せないまま、ゆっくりと執務室を後にした。廊下を歩きながら、彼の言葉が何度も胸の中で反響する。


 ――形式上の妻。


 その言葉が、まるで鋭い刃のようにレアリナの心を切り裂いていくのを感じた。この結婚に何の意味があるのか。家の名誉のために自分を犠牲にしてまで築いた関係は、結局、形だけのものだったのか。


 彼女は自室に戻ると、窓際に腰掛けて外の景色を眺めた。満月が輝く夜空は美しいが、その美しさがかえって自分の心の暗さを際立たせるようだった。


「これから先、私はどうなるの……?」

 呟いた声は夜風にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。


 それでも、レアリナの心の中では小さな反抗心が芽生え始めていた。これ以上、自分を犠牲にするだけの生活を続けるわけにはいかない。真実を知り、この状況を打破する方法を見つけるしかない。彼女はまだ、それがどれほど困難な道であるかを知らなかったが、確かにその一歩を踏み出そうとしていた。



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