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第4話 果たされなかったおまじない

 湊との距離は、思ったよりも早く縮まっていった。

 というより、湊の方からごく自然に、まるでずっとそうだったかのように、いつも俺の隣にいるようになった。


「僕のことはさ、湊って呼んでよ」

「え……ああ。じゃ、俺のことも隼人で」

「うん、わかったよ。隼人くん」

「呼び捨てで良いって」


 なんか調子が狂った。

 まあ、席が隣なのもあるし、授業の合間や休み時間になると、他愛のない話をする。

 放課後も、誘うでもなく誘われるでもなく、一緒に帰路につくのが当たり前のようになっていた。

 だけど、歩いてると違和感が持ち上がって、ふいにそれが口をつく。


「あれ、お前、家こっちなの?」

「うん、そうだよ」

「え? あー、そっか……?」


 なぜか、違う気がした。理由はわからない。


「ねえ、隼人くんは、都会のどの辺に住んでたの?」

「ん? どの辺って、別の普通の住宅街だよ。遊ぶ場所行くには、地下鉄まで自転車こがないとダメでさ。まっ、さすがに『窓開けたら山』よりはマシに遊べたけど」

「ふふっ、山しかないもんね、ここは」

「あと……田んぼと川か?」

「なにそれ、ひどいなあ。結局何もないってことじゃん」

「実際、やる気のねえ商店で、ラムネ買うくらいしか娯楽ねえだろ」


 くすくすと笑う湊の顔を見ていると、くすぐったいような、それでいて切ないような気がしてくる。

 ある日の放課後、一緒に図書室で時間を潰した帰り。二人で田んぼの脇のあぜ道を歩いていた時のことだ。

 夕焼けが空を茜色に染め、カエルの合唱が辺りに響き始める時間帯。二人で古びた神社の前を通りかかった時、湊がふと立ち止まった。


「この道、昔よく通ったんだよ」


 ぽつりと、湊が言った。


「へえ。湊はやっぱ、ガキの頃からずっとこの村にいんの?」

「……そうだよ。隼人くんも、昔この村にいたことあるんでしょ」

「まあな。あー、覚えてないけど」


 素っ気なく返すと、湊は迷ったそぶりを見せて、微かに睫毛を揺らした。ふと影が降りる。


「どうした?」

「ううん、なんでもない」


 ちょっとした沈黙。「何かまずいこと言ったかな」と思った頃に、湊は悪戯っぽく微笑んだ。


「じゃあ、思い出させてあげようか?」


 そう言うと、湊は鼻歌を歌い始めた。

 どこかで聞いたことがあるような、シンプルで、物悲しい旋律だった。

 ――ドクン。

 心臓がまた大きく脈打つ。

 脳裏に、陽光がキラキラと反射する川面と、ずぶ濡れになって笑い合う子供の姿が、鮮明に浮かんだ。


『この歌、村では昔から歌われてるんだぜ! じいちゃんに習ったんだ』

『へえ、面白いね。僕も覚えたよ』


 思わず、立ち止まってしまった。

 あれ、これ、俺が誰かに教えたのか? 何も言わずに、見つめてくる湊。


「……えっと、今の歌、なんだっけ」

「さあ? なんとなく口ずさんじゃった」


 とぼける湊の頬が、夕焼けのせいか、ほんのり赤く染まって見えた。

 その日から、俺の頭の中では、時折、理由もなく幼少期の光景がフラッシュバックするようになった。

 俺たちは村の色んな所を、『散歩』と称して歩いた。でも、本当は違った呼び方があった気がした。

 村の道は、都会のように整然としていない。舗装された道から外れると、すぐに細い土の道や、獣道のような小道が続く。


「ここの木陰さ、僕、涼しくて好きだったんだ」


 知ってる。夢に見た場所だ。

 道端の大きなクスノキを見上げる湊。小川のせせらぎと共に、陽の光がきらめく木漏れ日と、誰かの白い手の記憶が、浮かんでは消える。


「手の……そう、手の平にさ」

「うん」

「なんか、名前を書く、みたいなのなかったか?」

「ふふっ」


 口元を隠して、笑う湊。屈託も無く。


「あった。あったよ、むかしそういうの流行った」

「あー、やっぱそうなんだ?」

「うん。……あったんだよ。あったんだ、そういうコトが」


 境内で石蹴りをした気もした。わざと帰り道を遠回りしたり、じいちゃんにムカついたからプチ家出して怒られたり、神社の裏手の先まで出歩いて、そこにあった廃屋を秘密基地と呼んでた気がした。

 でも、誰と? そう、誰とだ? 

 母さんの闘病生活が長引いて、でも、ちょっとずつ元気になって、それは嬉しかったけど。でも、それだけじゃなかった。

 俺はクラスの女子が図書室から引っ張り出してきた、おまじないの本を見つけて、横取りするように借りて、一生懸命読んだ。普段、本なんか読まなかったのに、すげえ必死だった。

 そして、ついに見つけたんだ。

 手のひらにマジックで互いの名前を書き合って、俺は「これが離れないおまじない」だと力強く言い放った。


『これで、ずっと一緒だな!』

『――うん、ずっと』


 もう夢だけでなく、現実でも、あの甘く切ない声が聞こえる。相手はいつも、靄がかかったように顔が見えない少年。

 俺は、机に伏せていた自分に気付く。顔を上げたら、湊が俺をじっと見ていた。


「隼人、大丈夫?」

「あ、ああ……」

「はは、ヨダレ出てるよ」

「うっせ。……最近眠れねえんだよ」

「……そっか。あれかな、どうせ変なアニメでも見てるんでしょ」

「ちげーよ、バカ」


 いつの間にか眠りこけてたらしい。日に日に予感は確信に近づいていく。


(湊は……俺が忘れてるだけで、やっぱり幼馴染だったのか? あの頃の?)


 だが、だとしたらなぜ、湊はそれをはっきりと言わないのだろう。

 そして、なぜ俺は、こんなにも大切なはずの記憶を、すっぽりと失くしてしまっているのだろう。

 すごい楽しかった思い出のはずなのに。

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