目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第6話 崩れ落ちる予感

 だが、湊との距離が縮まるにつれ、俺はその『異質さ』にも気づき始めていた。

 それは些細な違和感の積み重ね。


 ある時、クラスと写真を撮った。

 後日、スマホを見返して、俺は息を飲んだ。湊がいるはずの場所に、誰も写っていなかった。

 いや、正確には、彼の輪郭がぼんやりと霞んでいて、まるで陽炎のようだった。


「あれ……湊、ちゃんとここにいたよな?」


 クラスメイトに尋ねると、きょとんとした顔で写真を見た。


「夏生? ああ、いたいた。端っこにいただろ? ……あれ、おかしいな、ちょっとブレたのか?」


 みんなで遊んで撮った写真を後から見返して、湊が映ったものは1枚もない。でも、誰も異常さに気づいていないようだった。

 その場限りの話題で、受け流されてしまう。


(もしかして、今までも似たようなことがあったんじゃないのか?)


 またある時は、体育の授業中。

 二人組でストレッチをしていた時。俺が湊に触れようとしたら、彼の手が一瞬すり抜けるようにして消えた。

 見間違いかと思ったが、湊の顔は明らかに強張っていた。


「ごめんね、ちょっと手が滑ったんだ」


 動揺を押し隠して、微笑む湊は苦しげだった。

 そして、何よりも俺を不安にさせたのは、湊の姿が時折、本当に『薄く』なることだった。

 日差しが強い日の教室で、窓の外を眺めている湊が、まるで半透明になったように背景が透けて見えることがある。

 風に揺れる木々の葉のように、輪郭が揺らぐ。

 俺は、ただの目の錯覚だと自分に言い聞かせた。疲れのせいだ。そう、きっと疲れのせいなのだ。

 でも、それは一度や二度ではなかった。声をかけようとして、その度に言葉を飲み込んだ。


(もしも、俺が指摘したら。何かが変わってしまうかもしれない)


 それだけは嫌だった。

 今まさにきっと何か起きていて、それがようやく手に入れたぬくもりを奪い去ってしまうのかもしれない。それを少しでも、遅らせようと、見て見ぬふりをしていた。

 その上、だんだんと村に来てから、頻繁に悪夢を見る頻度が増えた。

 それも、いつも同じ夢だ。

 鬱蒼とした森の中、古びた石の祠。黒い何かが蠢き、誰かが闇に引きずり込まれそうになっている。それを、幼い俺が、何もできずにただ見ている。そして、恐怖に駆られて逃げ出す――。

 夢から覚めるたび、鼓動は波打ち、冷たい汗を全身にかいている。


 「目を逸らすな、罪と向き合え」と、そう言われているような気分だった。


 そんなさなか、俺はようやく自分の部屋をきちんと整理し始めた。荷物を開いて、押し入れを整理する。


「ずっと後回しにしてたかんな、そろそろやらねえと」


 やっと向き合ったわけじゃない。むしろ、目を現実から逸らすために、整理し始めたのだった。

 やらなきゃならないことがあるのに、部屋の片づけをしようとする。俺はそんな自分の弱さに舌打ちした。


「……あ? なんだこりゃ」


 そこで俺は埃をかぶった小さな木箱を見つけた。

 ああ、なんだか覚えがある。じいちゃんが手作りの木の箱をくれたのだ。


「隼人、宝物入れが欲しいのかい? 仕方ないなあ、じいちゃんが作ってやろうか」

「えっ、マジで!? すっげー、俺だけのやつ?」

「そうだぞ。まあ、待ってなさい」


 「ふふ」と笑いを漏らす。本当に良いじいちゃんだったな。最近は、じいちゃんのことも思い出せるようになってきていた。

 何気なく蓋を開けると、中には不格好な木の小刀や、色とりどりのビー玉、そして古びた布で作られたお守りが入っていた。


「なんだよ、このビー玉。欠けてんじゃん。捨てろよー、ったく」


 じいちゃんが、捨てないで丸々取っておいてくれたのだろうな。俺が戻って来た時のために。ぜんぜん帰ってこなくて、ごめん。

 そのお守りを手に取った瞬間、脳裏に鮮やかな記憶が蘇った。


『これ、僕が作ったんだ。隼人くんにあげる』

『え、いいのか? すげえ!』

『うん。これ持ってれば、きっと良いことがあるよ。……それに、僕のこと、忘れないでしょ? 引っ越し先まで持って行ってよ』


 夕焼け空の下、はにかみながらお守りを差し出す、幼い湊の姿。

 お守りの裏には、拙い文字で「みなと」と書かれていた。


「……俺、こんなものまでもらって。なんで持っていかなかったんだ?」


 なぜ、こんな大切なものを、忘れていた?

 明らかに不自然だった。まるで、何者かによって記憶に蓋をされていたかのように、意図的なものを感じた。


「俺はじいちゃんの記憶まで抜け落ちて、お守りも持って行かなかった。いや、流石にヘンだろ。これ」


 お守りを握りしめると、胸が締め付けられるような痛みがこみ上げてきた。

 このお守りも、小刀も、ビー玉も、何もかもが、まるで「戻っておいで」と、今日まで俺に呼びかけ続けていたような気がした。

 ふと、廊下を通りかかったばあちゃんが、俺の背中に声を掛けた。


「隼人、えらいねえ。お片付けしてるのかい?」

「ああ、まあ。そんなとこ」

「おやおや。それはおじいちゃんが、隼人にって残しておいたやつだねえ」

「……うん、わかってる」


 ごめん、じいちゃん。俺、ちゃんと可愛がってもらってたよ。


「隼人がねえ、『くなとのさま』のところに行ってしまったから。すごい心配してたんだよ、おじいちゃんは」

「くなとのさま?」

「ああ、忘れちゃったのかい。……なら、その方がいいのかもね」


 ばあちゃんは緩慢な動きで立ち去ろうとしたから、俺はとっさに手を貸した。


「無理すんなよ、ばあちゃん。俺のこと頼れ」

「ふふふ。隼人は優しい子だねえ」

「そんなことない。……本当にそんなこと、ないんだ」


 俺は全然、駄目な孫だよ。ばあちゃん。

 でも、そんなことは言えないから、これ以上は黙って手伝った。

 それから。カエルの合唱が聞こえる真夜中も、俺は考え続けた。

 きっと、このままだとすべてがダメになる。湊と過ごす時間を、ただ楽しむことが出来なくなっていた。

 いつもの帰り道で、とうとう俺は衝動的に尋ねた。


「なあ、湊」

「なんだい、隼人くん」

「俺たち、昔……もっと何か、大事な約束とか、してなかったか。なんか、あったんじゃないか?」


 湊は足を止め、まじまじと見つめてきた。瞳の色は、何かを見透かすように深く、そこにどんな感情があるのか俺にはわからなかった。


「どうだろうね。子供の頃の約束なんて、すぐに忘れちゃうものだよ」

「でも、俺は……何か、すごく大事なことを忘れてる気がするんだ。お前のこととか、この村のこととか」

「ゆっくり……うん、ゆっくり思い出せばいいじゃない。そんなの」

「そうじゃなくて! お守り貰ったあと、なにかあった気がするんだよ」


 そうだ。どうしようもなく、俺たちが離ればなれになる時間が迫って来てたんだ。

 夏を過ぎたら、俺はここを離れないといけなくて。また、母さんと暮らせるのは嬉しかったけど、でも、ずっと一緒にいようって思ったのに。


「だから、おまじないとかして。……で、確か秘密基地の先に、なにか」


 そこまで言いかけて、俺は言葉を失った。

 秘密基地の、その先に。鬱蒼とした森の奥。そこに、何か……とても恐ろしいものが……。


「行ってはダメだよ、隼人くん」


 湊の表情は凍り付いていた。いつもの穏やかな口調とは違う、有無を言わせぬ強い響き。


「そこには、近づいちゃいけない。……お願いだから」


 真剣に懇願するような声だった。そこに許されざる場所があるかのように。

 それ以上何も語ろうとしない湊の態度こそが、俺の悪い予感が、全部当たってることを裏付けてるみたいだった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?