「あ、あの無明……さん。本当にありがとうございました!」
「なに、礼を言われるような事ではござらん。卑劣な悪漢から女子供を守る事など、人間として当然であるがゆえ」
そう言って、無明と少女、そして執事の男は連れ立って近くの街を歩いていた。少女と執事は何か目的があってあの森へ入ろうとしていたようだが、執事が刺された事を考慮して自宅へ帰る事にしたようだ。そこで無明は家まで送ろうと言い、三人での道中と相成ったのである。ちなみに賊の男達はその場に縛り上げて放置してきた。あのまま夜になれば、獣に襲われるなどして無事では済まないだろう。
「いやはや、お嬢様のお命を救って頂いただけでなく、私の怪我まで治療して頂いて……色々な意味で死ぬかと思いましたが、それはそれとして感謝の言葉もございません。後に主人から、相応のお礼をさせて頂きます」
「ふぅむ。そんなものは要らぬと言いたい所だが……ちと、拙者も困り事があるのでな、手助けを貰えると有り難い」
「はい!どんなことでも言って下さい!何なら私がお父様を
そう言って、少女はにこやかに拳を握った。お父様にお願いをする、のではなく説得をする……というのが引っかかる言い回しだが、無明はとりあえずそこには触れないようにして、別の質問をすることにした。
「それにしても、そこらを歩く人々と比べてみても、お主らは中々身なりがよいようだ。恐らくだがどこかの大名か公家の身内とお見受けした。であれば、何ゆえあのような場所におられたのかが解らぬ」
「ダイ…ミョウ?クゲ?ええと、そう言うのはよく解りませんけど、一応、うちは貴族ですので。……あ!申し遅れました、私はこの領地を任されているライトニング伯爵家の次女、エスメラルダ・ライトニングです。こちらは執事のセバスタン・バスタンセです」
「どうぞセバスとお呼び下さい」
「せばすたんばすたんせ殿……うぅむ、これはまた傾いたお名前でござるな。エスメラルダ殿にセバス殿……よし、しかと覚えたでござる。して、お二人は何ゆえあそこに?」
無明が改めて問いかけると、エスメラルダは俯いてしまった。執事であるセバスタンも、やや浮かない表情である。これは何かのっぴきならない事情があるなと、無明は思った。
「実は……お姉様の病気に有効な薬が、あの森の中にあるのです。私はそれを取りに行きたくて……でも、まさかあんな所に盗賊が出るなんて。普段なら、特に問題なんて起きない場所なのですが」
「お嬢様は悪くありません。今回の事は、私が悪いのでございます。本来ならば、腕利きの護衛を連れて行く所を、私のような老骨一人でお嬢様を危険に晒してしまいました」
「まあまあ、失態は誰にでもあるもの。そう気にすることはなかろう。しかしなるほど、病に侵された姉君の為でござったか。道理で森の奥を名残惜しそうにしていた訳だ」
無明は歩きながら腕を組み、うんうんと頷いている。全身黒づくめで、覆面までしている彼の姿は中々に奇異である。しかも、無明はそれなりに背が高く、筋肉質である為に非常に目立つのだ。執事付きとはいえ、領主の娘がそんな彼を連れていることに、行き交う市民達からひそひそ話が聞こえてくるようだった。そうして、エスメラルダは少し言いにくそうに言葉を投げた。
「あのう……無明さん。恩人の方にこんな事を言うのはどうかと思うんですが、その服装は……」
「ん?ああ、そう言えば、街中で忍び装束は少々目立つでござったな。しかして、拙者、今はこれしか着物の持ち合わせがないゆえ……しばしまたれよ」
無明はその場で傍を通りがかった男をじっと見つめ、やがてその男が去って行くと、サッと路地へと入っていってしまった。そして、何故か去って行ったばかりの男が、その路地から出てくる。訳が分からないエスメラルダとセバスは、目を見開いて驚いているようだ。
「ふむ。こんなものでござろう。いや、失態失態、変装術で服を創れば簡単でござった。はっはっは」
「え?む、無明さんなんですか!?変装術って……まるっきり変化魔法ですよ!どうなってるの、これ??」
「マホウ……というものは知らんが、これはれっきとした技術でござる。まぁ、一人前の忍びとしては当たり前の技でござるよ」
「いや、顔まで瓜二つというのは、変装では済まないと思われますが……そう言えば、先程も賊の男に変装しておられましたな」
「いかにも。あの時は猶予が無かったゆえ、適当に知人の顔を見繕って変装したのでござる。お陰で見破られそうになって少々焦ったでござるが」
「そんなことしなくても、服を脱げばいいんじゃ……?」
「ハハッ、忍び装束しかもっておらぬのに、脱いだら全裸になってしまうでござるよ。エスメラルダ殿、拙者は忍びとて、恥という概念は捨てておらぬのでな」
「ええ……?」
そこは変装術で服だけ作ればいいのでは?と言いたかったのだが、真剣な顔でそう語る無明に、エスメラルダはそれ以上の言葉を告げられなかった。そうこうしているうちに、一向は、ライトニング伯爵邸に到着する。伯爵というだけあって、洋風の佇まいをした館は中々見事な屋敷であった。
屋敷の中へ通された無明は、一人、応接間と思しき場所にいた。彼はソファーというものを知らないのか、その上に正座で座っているのだが、せっかくの貴族が使う高級ソファーだというのに少々座り心地が悪そうである。
しばらくすると、貴族令嬢らしいドレスに身を包んだエスメラルダが部屋に入って来た。肩までで揃えられた金色の髪と白い肌は、森での泥なども綺麗に落とされてとても美しい。ただ、さっきまでの服装とは違って、少し子供っぽく見えるのは見間違いだろうか。
「お待たせしました。無明さん、本日は私とセバスを危うい所から救って下さり、感謝の言葉もありません。ありがとうございました。本来であれば、父が直接お会いしてお礼を言うべき所なのですが……生憎と、出払っておりまして」
「ああ、先程も申したが、気にせずともよいでござるよ。あの場で助けに入ったのは、人としての仁義であるゆえな。それより、姉君の体調はよろしいのか?」
「いえ……残念ながら、あまり芳しくはありません。ジークリンデ姉様の御病気は、特別な薬が無ければ治せないのです。普段ならば、あの森で採取可能なのですが……実は最近、他方から盗賊の類いが領内に侵入しておりまして。お父様はその対応で騎士達を連れて出かけているのです」
「なんと!ご領主自らがお出でになっておられるのか?!それはまた豪気な。エスメラルダ殿の御父上はご立派な主君であるようだな、いや天晴」
「アッパ……?いえ、当たり前のことですから。それよりですね、いくら父が不在とはいえ、このまま無明さんにお礼もしないでおくというのは、貴族としての面目が立ちません!何かお悩み事があるようですし、ぜひ、私に聞かせて頂けませんか?」
「むぅ。正直に言ってそうして頂けるのは嬉しいでござるが、エスメラルダ殿の姉君の事もある。窮状にあるそなたに負担ばかりを懸ける訳には……おお、そうだ」
何かを思いついた無明は、ポンと手を叩いて何かを閃いたようだ。
「拙者、こう見えて、多少なりとも医術の心得がある身でござるよ。本道脇道(※1)問わずでしてな。姉君の容態を診せて頂く訳にはいくまいか?」
「は?え?お医者さん、なんですか?でも、シノビとか言ってませんでした?」
「うむ、いかにも。しかし、忍びとは人体の事にも詳しくならねばいかんのが生業……よって、必然的に医術も学んでおるのでござるよ。どうでござろう、拙者を信じてみてはもらえぬか?」
「え、ええ~……ど、どうしよう!?」
エスメラルダはすっかり戸惑い、混乱していた。いくら命を救ってくれたとはいえ、相手はこの期に及んで素顔すら見せない謎の男である。姉の命を救う為にはどうすればよいのか、エスメラルダは大いに迷うのだった。
※1 本道=内科のこと。江戸時代頃の日本では、医療として内科を本道、外科などそれ以外の医療を脇道と呼んだ。