「お姉様の部屋はこちらです。……どうぞ」
通された部屋は、シンプルに白で統一された美しい部屋であった。貴族女性の部屋としては、やや華美さに欠けるが、部屋の主はそれだけ無駄な装飾を好まない性質なのだろう。無明の常識やその感性からはかけ離れた室内の様子に感心しながら、彼はするりと室内に入り、ベッドの傍に立った。ベッドの中には、長く美しい黒髪をした、若い女性が横たわっている。
初めは無明をここへ通すか迷っていたエスメラルダだったが、しばらく悩んだ後、ふと何かに気付いたような表情になったかと思うとおもむろに無明を案内し始めた。その心変わりは何故なのか解らなかったが、通されたという事は、無明に期待をしてくれているという証でもあるだろう。その想いに応えるべく、無明は神妙な面持ちでそこに眠る女性に視線を向けた。
「……美しい
「ジークリンデ姉様は、美しくとても明るく朗らかで、それでいて強くて優しい自慢の姉なんです。才能もあって、お父様も期待していたのに、まさか
「魔暴石化症、でござるか。ふむ」
無明には全く聞き覚えのない病気だが、エスメラルダの口振りからするとそれなりにポピュラーな病気であるらしい。あの森に特効薬の材料があるというのなら心配するほどでもないのだろうが、薬を取りに行けないとなると話は別だ。病気と言うものは対処が可能なものであれば恐れる必要はないが、対処法がなければ、どんな些細な病気であっても命を落とす可能性はゼロではないのだ。
ベッドの中で眠るジークリンデは、浅く短い呼吸を繰り返しており、顔全体がやや赤く染まっていて苦しそうである。これだけ見ていると単なる風邪のようにも思えるが、エスメラルダが掛けられた毛布を少しだけ剥がした時、無明は思わず驚いて目を見開いた。
「なんと!?手が……石になっておるとは!」
「手だけじゃありません、足もなんです。この病気は、体内の魔力が暴走して肉体が崩壊し、それに抵抗しようと体の組織が硬質化して末端から石のようになってしまうんです。原因は過剰に生み出される魔力によるものですけど……」
「その、マリョクというものが拙者には解らぬのだが、それを抑えるものが、あの森にあるのでござるな?」
「魔力を、ご存じない……?あ、はい、その通りです。シャフレールの樹になる実を煎じて飲めば、立ちどころに治ると言われています。ですが……」
エスメラルダの顔が一気に曇る。それは姉の病状が思わしくない事を雄弁に物語っているようだった。
「お姉様の容態が、想像以上に悪いんです。通常の魔暴石化症より、進行がとても速くて……私が今朝実を取りに家を出た時は、ここまで悪化していなかったのに」
「なるほど。確かにこれは、時間の猶予はなさそうでござるな」
こうして二人が会話をしている間にも、パキパキと音を立ててじわじわとジークリンデの手足が石へと変化している。このペースでは、仮に今から薬となる実を取りに行ったとしても、到底間に合わないだろう。薬というものは、内服してから体内に吸収されるまでに時間がかかるものだ。そもそも消化吸収する為の内臓が石化してしまっては、効果があるとは思えない。
しばらく考えた後、無明は慣れた様子で変装術を解いた。相変わらず、顔の皮を剥ぐようにしてベリベリと剥いていくのは恐ろしい光景だが、何故今それをするのかが、エスメラルダには解らなかった。そして、本来の姿を現した無明は腰に提げていた袋から、深緑色をした小さくて丸い飴玉のようなものを取り出して、エスメラルダの前に差し出した。
「これは、
「えっ……秘薬って…あのさっきセバスに飲ませていたお薬ですか?」
「あれはこの薬を簡易的にしたものでござる。似たような効果ではあるが、あちらは簡易なものなので、病には効果がない。姉君に飲ませるならば、やはりこの薬師釈尊丸の方がよいでござろう」
「そ、そうなんですね。でも、秘薬っていうと高価なものなんじゃ?」
「何、どちらも材料さえあれば作れるので、特別高価というものではござらんよ。ただ、今はこの薬、手持ちが残り一つしかないのでな。一度しか試せぬ。強いて欠点があるとすれば、この薬、セバス殿に飲ませたアレよりも桁違いにマズいのでござる」
「ま、マズい?」
「うむ。頭を思いきり岩で殴られたような、とにかく暴力的な甘み辛味苦味酸味が交互に襲ってきて、それが三日三晩続く。そして、飲んでから一週間は薬の臭いが胃に残って、息をするだけでも鼻が曲がるほどに臭いのだが……まぁ、死ぬよりはマシでござるからな。実は拙者も子供の頃大病を罹ってこの薬を飲まされたが、今でも時折夢に見る程の味と臭さでござる。まぁ、死ぬよりはマシで」
「ちょ、ちょっちょっ、ちょっと待って下さい!なんですかその生きるか死ぬかみたいな二択しかない薬は!?何て言うか、もうちょっとこうスマートな解決方法とかないんですか!?」
「拙者がその薬の実とやらを取りに行ってもよいのでござるが、何しろ拙者はその実とやらを見た事がないのでな。探すのにも時間がかかるでござろう。姉君の様子から見て、そう時間があるとも思えぬ。ここは、この薬に賭けてみてもよいのではなかろうか」
「そ、それは……!」
エスメラルダはまた迷った。腹を刺されて重傷だったセバスを治した所を間近で見ているので、今更薬の効果を疑うつもりはない。しかし、それに頼っていいものかは疑問だ。今の話を聞く限りでは、仮に助かったとしても、後から姉に恨まれそうなこと請け合いである。だが、その姉に時間がないのも事実であった。今のままなら、確実にジークリンデは夜を越す事は出来ないだろう。シャフレールの樹の実を取りに行く時間がないのであれば、確かに、賭けに乗ってみてもいいのかもしれない。
何よりもエスメラルダ自身、このまま姉を失うのは嫌なのだ。そう思った時、突然、エスメラルダの脳内に閃くものがあった。
(ウソ!?『予感』が、二回目!?これは、間違いないかも……!)
エスメラルダの頭の中に差し込んだ予感とは、彼女が生来持つスキルの名称である。かなり希少なスキルだが、自分の意思で発動させることは出来ず、ただ迷った時にその結果が確信として閃くというものだ。この世界の人間は、生まれつきスキルという特殊な能力を持っている。先程、無明をジークリンデに会わせるか、迷った時に会わせる決心がついたのもこの予感によるものだったのだ。
予感を信じることにしたエスメラルダは、覚悟を決めて無明に無言で頷いた。これで後からジークリンデに恨まれる事があっても、大好きな姉が生きていてくれればそれでいい。心からそう思えたのだ。
「よし、では早速。実はこれ、水なしでも唾液でサッと溶けて飲める仕様でござるから安心安全でござるよ。それ」
何だか宣伝のような文句だが、余計な事は気にしないことにする。目の前の無明という男は、とてもエスメラルダの常識では計り知れない男なのだ。賭けに乗ると決めた以上、細かい事を言っても始まらないだろう。
そうして、無明が薬をジークリンデの口の中に入れると、本当に薬は溶けてしまったらしくコクンと小さく飲み込む音が聞こえた。すると、あっという間に顔の赤みが消え、石化していた腕や足の皮膚がバリバリと砕けて、その下から美しいジークリンデ本来の肌が露わになる。
瞬く間に手足が回復すると、ジークリンデはパッと目を開けた。
「お、お姉様っ!目が醒めて……」
「あ、ああああ……甘い、辛い苦い酸っぱいいいいいいいっ!う、ヴォぇぇぇ…!く、臭っ!?いやああああああああっ!」
屋敷中にジークリンデの悲鳴と嗚咽が響き渡り、それは一晩中続いたという。