ジークリンデに引っ張られて無明が建物の奥へ行くと、そこには不思議な造りをした部屋があった。先程までいた広間とはまた違って、飲み食いや歓談するようなテーブルも、ギルドの職員が詰めるカウンターもない。数十人単位が余裕をもっていられるだけの、ガランとした空間だ。その一番奥には大きな門のようなものがあって、その先は暗くて見づらいが、なだらかな傾斜があり洞窟そのものという雰囲気である。つまり、あの門から先が試練のダンジョンなのだ。
無明達がその部屋に入る頃は、ちょうど先程の五人組が整列し、ギルドマスターから説明を受けている所だった。五人組も、無明を嘲笑っていた時とは顔つきがまるで違う。こうしてみると、中々精悍で優秀そうな雰囲気さえ感じるようだ。
「準備はいいか?お前達ひよっこに与えられる試練はシンプルだ。この試練の洞窟に入り、最奥にいるダンジョンボスを倒すこと……ただ一つのみ!どんな手を使っても構わん。合格したければ必ず試練を達成しろ。ただし!」
ギルドマスターの視線が五人組を射抜く。発破をかけているのか、威圧して委縮させるつもりなのか解らないほどの強烈なプレッシャーだ。剣士として修練を積んでいるジークリンデは問題ないが、エスメラルダの方は顔を青褪めさせて、無明の背後に隠れてしまった。
「これはあくまで試練だ。例え今回実力が及ばなくても、お前達には未来がある!決して、無茶な行動をして命を粗末にするな。いいな?」
「はいっ!」
「いい返事だ。なお、ダンジョンコアとの契約により、ダンジョン内に入ったお前達の一挙手一投足は、全てギルド内の人間に共有される!万が一の場合は救援も入るので、心配いらんぞ。まぁ、あまり早く助けられては恥になるかもしれんがな」
「っ!」
「ハハハッ!いい目だ。…よし、行けっ!インフィニティ・レゾナンス!」
「よぉしっ!行くぞ!」
「おおー!」
ギルドマスターの号令を受け、五人組が声を張り上げて門の向こうへ突撃する。見た目こそ大きいが、ずっと軽いその門はあっさりと開き、インフィニティ・レゾナンスと呼ばれた五人は踊るように奥へと駆け込んでいった。
「い、いんふぃにて……?」
「インフィニティ・レゾナンスな。たぶん、彼らのパーティ名だろう。誰か一人の名前という訳ではなさそうだったし」
「ふむ。班名、ということでござるか?この世界では名前の付け方が独特でござるな。もっとこう、悪辣愉快な仲間達とか悪漢一味とかでいいような気がするでござるが」
「私からすれば君も大概変わってるからな?なんだ一味って、悪人みたいじゃないか」
「……おっと、失敬失敬」
どうやら、さっき不当に絡まれたことへの不満が表に出てしまったらしい。私情を挟むというのは、忍びとして一番やってはならないことだ。どうもこの世界に来てから無明は少し自分のタガが緩くなっているような、そんな気がしていた。
「よお、ジークリンデ。待たせちまったな。さっきお前さんが言ってたのはソイツかい?」
「ああ、そうだよ。
「お初にお目にかかる。拙者、
「おう。俺はこの冒険者ギルドでギルドマスターを任されている、ロイド・ガルダだ。よろしくな」
ロイドはウィンクをしながらニヤリと笑って、右手を差し出した。だが無明はその意味が解らないのか、頭を下げるだけだ。それもそのはず、握手というものは、幕末頃に海外から日本へ入ってきた文化なのだ。江戸時代に生きていた無明は、当然それを知らないのである。それを見ていたジークリンデは、慌てて無明に耳打ちをした。
「無明君、握手を求められているぞ。ロイドの手を握り返すんだ」
「おや?そういうものでござったか。これは失礼した、何分、
「ふぅん。…………………………へぇ、やるねぇ。面白いじゃないの」
「……ロイド殿こそ、食えぬお方だ」
「?」
エスメラルダは気付いていないが、実はこの時、ロイドは握手をすると見せかけて、無明の関節を極めようとしていた。見た所、年齢的には四十を過ぎた中年のようだが、中身は枯れていないらしい。ジークリンデが無明の腕は確かだと評した為に、試す気になったのだろう。しかし、無明はそれを許さなかった。握手という文化がない無明にとっては、これ以上ない程の不意打ちだったにも関わらずだ。それだけで、ロイドは無明の実力をある程度認めたようだった。
そうして、ロイドは無明から手を離し、口を開く。
「それで?彼を冒険者にしたいってことだったが?」
「あ、ああ。彼は、天涯孤独の身でね。こちらに出てきたのはいいが、仕事をする伝手もないようなんだ。彼は恩人だし、うちの客分として預かっても良かったんだが、彼自身がそういう対応を嫌がって自分で稼げる仕事はないものかというから、冒険者を薦めたんだよ。どうだろう?試練を受けさせてやってくれないか?」
「ふむ。うちとしても、優秀な冒険者は一人でも多い方が助かるけどな。……そろそろアイツらの様子が解る頃だが、
ロイドがそう答えたのとほとんど同時に、広間の空中に突然大きな画面のようなものが現れた。女神の瞳が空中に能力を映しだしたのと似たような光景である。その画面の中では、先程のインフィニティ・レゾナンス達が映しだされていた。画面の中の彼らは、その行軍速度を緩めることなく、的確にモンスター達を排除して奥へと進んでいるようだった。
「これは、さっきの連中か……なるほど、大した手際の良さだな。いいパーティのようだ」
「だろう?アイツら子供の頃からの幼馴染で組んだパーティなんだそうだ。一人一人実力も確かで、パーティとしてみてもレベルは高い。その証拠に、ほら」
ロイドが指差したのは、画面の右下にある数字だった。そこには3/10と書かれており、それを見たジークリンデは驚きの声を上げた。
「トータル十階層だって!?しかも、この短時間でもう三階層までクリアしている……なんて速さだ」
「俺の見立てじゃ精々七階層くらいまでだと思ったがな。思ったよりずっと腕前があるらしい、大した奴らだよ」
ジークリンデとロイドは、インフィニティ・レゾナンス達の活躍に舌を巻いていた。通常、いくらパーティを組んでいても、試練を受けるのは経験の乏しい新人達である為、そこまで深い階層が設定される事はない。十階層まで設定されるのはBランクパーティの中でも上位に入る腕前の者達くらいのものだ。ギルドマスターを務めて十年以上になるロイドの経験から見ても、初心者パーティが十階層まで挑戦するのは異例である。しかも、彼らは危なげなく、かつ相当なスピードで進んでいるのだ。今から無明が入って彼らを追いかけた所で、一人で追いつけるとは思えない。
「ジークリンデ殿、それはそんなに凄い事なのでござるか?」
「ああ、ハッキリ言って新人としては異例だよ。私が過去に試練を受けた時は、三階層までの深さだったし、何よりこんなに早くクリアは出来なかった。たまたま一人だったということもあるが……」
ジークリンデはそう呟くと、緊張した面持ちで画面を食い入るように見つめていた。自分が受けた試練の事を思い出しているのだろう。なお、ジークリンデが過去に試練を受けた際、三階層まで辿りつくのに三時間ほどの時間を要した。それを考えれば、五人とは言えたった十分かそこらの時間で三階層をクリアしている彼らの実力の高さが解るだろう。
「今から無明君が彼らの後を追っても、間に合うとは思えない。かと言って、敵のいないダンジョンをクリアしても意味がないしな。今日の所は、出直すしか……」
「悪いが、その方がいいだろうな。ただ、しばらくは試練の日程が詰まっているから無明が試練を受けられるのはかなり先になるぞ」
そうこうしている間に、既にインフィニティ・レゾナンスは四階層までもをクリアしていた。確かに、このペースならば無明が追い付けるかは難しいだろう。何故なら道中にいる雑魚は無限に湧くからである。そんな中、じっと画面の中の彼らを視ていた無明は何か思いついたように歩き始めた。
「お、おい!無明君、どこへ行くんだ!?」
「ん?今の内に彼らと合流出来ればいいのでござろう?大した距離でもなし、すぐに追いつけるでござるよ」
「な、何を言っている?!既に彼らは四階層をクリアしているんだぞ。今から君が一人で向かった所で間に合うはずが……第一、君一人で四階層まで行くのは危険だ!」
「はっはっは、ジークリンデ殿はお一人で三階層まで行ったと仰られたではないか。心配ご無用。では、行ってくるでござる」
「ち、ちょっと待っ……なに!?」
ロイドは無明を止めようと手を伸ばしたが、既に無明はそこにいなかった。あまりの速さにジークリンデとロイドは呆然としているが、エスメラルダだけは驚いていない、まるでこうなる事を予期していたかのようだ。しかし、この時はまだ誰も気付いていなかった。画面の中の数字が、4/99に更新されていたことを。