「ベティ、ゾル、右前方の曲がり角から敵が来るぞ。シアとゴドルは後方から支援しろ、正面は俺がやる!」
「オッケーっ!」
リーダーと思しき男の指示で、彼らは素早くモンスター達を倒していく。戦っている相手は、スケルトンやコボルト、スライムなどの比較的弱いモンスターばかりだが、狭いダンジョン内で一度に襲ってくれば、初心者には辛いはずだ。だが、彼らは一歩も立ち止まることなく、それでいてかなりのスピードで進軍しながらモンスター達を排除していった。
そうして、彼らが並み居る敵を薙ぎ倒していくと、やや入り組んだ岩壁の天井付近にF5という数字の入った看板が見えてきた。それを真っ先に見つけたのはゾルという男だ。両手にナイフを持ち、軽量の鎧と赤い鉢巻を撒いた小柄な男である。
「アルト、F5の
「よし、一旦止まって装備の確認だ。五分休むぞ、今の内に態勢を整えよう」
アルト・ボルカイン。彼は、このオルデとは違う小さな集落で村長をしていた一族の息子であり、このパーティのリーダーを務める男である。長剣と盾を装備し、仲間に指示を出しながら自らも最前線でモンスターと戦っていたのは、子供の頃から村の人々を導いてきた家族の姿を見てきたからだろうか。彼の存在こそが新人冒険者パーティであるインフィニティ・レゾナンスを強固なものとして確立させているキーパーソンと言える。
ちなみに、この
なお、階層と呼ばれてはいるが、実際は階段を下ったりしている訳ではない。試練のダンジョンのダンジョンコアは空間そのものを歪曲してダンジョンを形成しており、
「へへっ、あっという間に五階層まで来ちまった。この調子でいけば、俺達なら楽勝だな!」
「ホントだね。さっきはあの田舎者のおっさんと組まされるかと思ってヒヤヒヤしたけど、さすがにあのギルドマスターはそんな無茶言わなかったか」
体力回復用のポーションを飲みながら、ベティとゾルが話している。無明の事をおっさんと評しているが、一般的にこの世界で冒険者としてデビューするのは17歳前後であり、早いものでは15歳くらいから活動を始める者もいるようだ。そんな彼らからすれば、無明はスタートが遅いロートルに感じるのだろう。そんな異物としか言えない存在を、しっかりとまとまっている仲間の中に入れたくはない。それが彼らの本音であった。
予想以上に進行がスムーズに行っているせいか、特にベティとゾルは楽観視しているようだ。しかし、そんな二人とは対照的にアルトの表情は硬かった。彼は事前にある程度、試練のダンジョンについて情報を得ていたからだ。もっとも、その情報はパーティメンバーに共有しているはずなのだが、どうもそれがベティ達には深刻なものと伝わっていないらしい。アルトはふっと小さく息を吐いて、杖を持った仲間に声を掛けた。
「シア、魔力の残りは大丈夫か?しっかり回復しておけ。
「ああ、エーテルを飲んでおくから問題ないよ。……でも、もう五階層めか。ベティ達じゃないけど、ここまではずいぶん楽に来れたね。これじゃ、気楽に構えても仕方ないか」
「……だが、この先は甘い考えではいられない。五階層目は、
いかにも魔法使いといった装いをした少女、シアは、エーテルという魔力を回復させるポーションを口にしながらアルトに答えた。彼女はこのパーティの頭脳と呼んでも差し支えないタイプだが、そんな彼女でもここまでの余裕があると多少は気が緩んでしまうらしい。アルトはまた一つ溜息をして、ダンジョンの天井を見上げた。
ボスモンスター、それは試練のダンジョンに配置された強力なモンスターを指す言葉である。
試練のダンジョンでは、おおよそ五階層毎にボスモンスターが配置されると言われている。通常、新人が受ける試練でボスに出会う可能性は低いのだが、彼らのように優秀なパーティだと、ごく稀に五階層を超える設定がなされる事もある。ダンジョンコアは挑戦者の力を見極めて設定すると言われているので、彼らが順当に力を発揮すればクリアできないはずはないのだが、未熟なパーティ達は力の配分を間違えたり無謀な行動に出て大きな怪我を負い、挑戦失敗になるケースも少なくない。
なお、この試練のダンジョンは、新人の為だけのダンジョンではない。経験を積んだ冒険者達が、自分達の冒険者ランクをアップさせる為の試練としても利用されるし、熟練者が連携確認を行う場合や、新しい装備とスキルなどを試す戦闘訓練でも利用することがある。実は中々人気の場所なのだ。
五階層毎にボスモンスターが配置されているというのは、それらの人物から得た情報である。その為、かなり確度の高い情報なのだが、ここまでがあまりに楽な形で進んで来られた為に、アルトを除いた四人の気が緩んでしまった。そしてそれが、彼らにいくつかの不幸をもたらす事となる。
「お、おい、どういう事だ!?なんでこんな所にハイオークが、しかも群れで出てくるんだよぉっ!?」
ゾルの悲鳴のような叫びが、ダンジョン内にこだまする。彼が嘆きたくなるのも無理はなかった。本来、ハイオークと呼ばれるモンスターは、オークというモンスターの上位個体だ。所謂、豚の頭と人間の身体を持ったモンスターがオークだが、そのオークよりも更に大きく強力な肉体を持つのがハイオークである。
そもそも、モンスターの上位種というものは主に二つに分類される。一つは、通常個体の中でたまたま頭抜けた能力を持ってしまった個体が発見されたパターン。そしてもう一つは、種族として下位種よりも能力が高く、かつ危険度の高い者達が集まって増えて種として確立されたパターンだ。解りやすく言えば猫とライオンのような関係である。もっとも、ハイオークとオークはそこまで明確な別種という訳ではないようだが。
五階層に入った所で、インフィニティ・レゾナンスのメンバー達はこれまでとは比べ物にならないほど、強力なモンスター達に襲われる羽目になった。今戦っているハイオークは言うに及ばず、スケルトンの上位種に当たるジェネラルスケルトンや、スライムの上位種となるグレイウーズなど、とにかく強力な個体ばかりだ。これほど強力なモンスター達は、魔素と呼ばれる土地の魔力が高い場所にしかいないと言われているのだが、何故今新人である彼らが挑戦している試練のダンジョンに出てくるのかは謎だ。
「クソっ!下がるぞ!このままじゃ押し負けて全滅だ!」
「さ、下がるって……後ろにはさっき倒せなかったグレイウーズやジェネラルスケルトンがいるだろ!?」
「ダメだ、アルト。奴ら、ゆっくりだがこちらに迫ってきている。挟み撃ちにされる。……それと、シアが」
そう呟いたのは、普段無口であまり喋らない男、ゴドルだった。ゴドルは弓兵で、パーティの最後尾に構えては周囲や背後の警戒と
「シア?どうした?!」
「ご、ごめん、アルト……魔力が、尽きちゃった。エーテルも飲みきってしまったし、もう……」
「そんな……!?」
シアはここまでの間に、大量の支援魔法や敵の注意を逸らす魔法を連発していた。なにしろ敵が強すぎて、シアが扱える攻撃魔法は通用しなかったからである。それでも、知能の低いグレイウーズやジェネラルスケルトンなどは幻覚などで何とか対処出来たが、その為に魔力を使い切ってしまったのだ。魔力の切れた魔法使いは、もはや足手纏いにしかならない存在である。その上で五階層分の距離を逃げるとなると、ここまで楽に進んできたのが嘘のように苦戦することになるだろう。場合によっては、全滅する可能性も十分にある。
「わ、私を置いて……逃げて。私が囮になれば、皆はまだ、助かる……はず」
「ば、バカを言うな!仲間を見捨てるなんて、そんなこと……っ!?」
「きゃあっ!あぐっ……!」
その時、正面でハイオークを抑えていた女戦士のベティが、遂に耐え切れず吹き飛ばされてしまった。壁に背中を打ち付け、意識を失いかけている。
「ベティッ!?こ、コノヤロオオオオオッ!!」
「よせ!ゾルっ!止めろ!」
逆上したゾルが、全力のスピードでハイオークに飛び掛かる。これが一対一ならば、或いはその攻撃も通用したかもしれない。しかし、ハイオークは三匹いたのだ。ゾルの狙い澄ましたナイフの一撃が一匹のハイオークの首を斬りつけた瞬間、隣にいたハイオークがゾルの背中に強烈な一撃を叩きつけた。
「ぐぁっ!?そ、そんな…っ!」
「ゾルっ!……はっ!?」
アルトがゾルに気を取られたのと同じタイミングで、後方から鋭い矢の一撃が飛び込んできた。ジェネラルスケルトンの持つ強弓の一射がアルトを狙っていたのだ。それにいち早く気付いたのは、周囲を警戒していたゴドルだった。ゴドルは身を挺し、アルトに直撃するはずだった矢を受け止める。
「ぐぅっ!?」
「ゴドル!?俺を庇って……!く、クソっ、ここまでなのか!?」
試練のダンジョンでは、パーティリーダーが一言ギブアップと呟けば、自動的にダンジョンから排出される仕組みになっている。ただし、その場合は挑戦失敗となる為、当然ながら冒険者として認められる事はない。次の機会を待つ事になるだろう。もちろん、彼らの心が折れていなければ、だが。
(ギブアップするなら急がなくては……死んでしまっては元も子もない。だが、ここまで来て…失敗だなんて!)
アルトはこの期に及んで、撤退することを躊躇っていた。仲間の命に代えられない事は解っているが、それでもなお、諦めたくない理由がある。しかし、既に周囲は囲まれ、ハイオークが持つ鋼鉄の棍棒が、しゃがみ込んでシアを抱えるアルトの頭上で鈍い光を放っていた。
「あ、アル…ト……?」
「シア……ち、チクショウ。ぎ、ギブアッ……な、なにっ!?」
その時、強烈な一陣の風が吹き抜けてアルトは一瞬目をつぶった。その間に、ずるりと水気と重量感のある何が地面に落ちる音がした。恐る恐る目を開けて飛び込んできたのは、こちらに背を向けて暗がりに立つ男の姿と、真っ二つに切り離された、ハイオーク達の死体だった。