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第10話 速きこと忍びの如し

「な、なんだと……?」


 そう呟いて固まってしまったのは、ロイドである。画面の中では、ついたった今いなくなったと思った無明が、五階層で戦っていたインフィニティ・レゾナンスの面々に追い付き、ハイオークを斬り捨てたのだ。しかも、食い入るように見つめていたはずが、どうやってハイオークを斬ったのか、その瞬間すら見えなかった。それはこれまで様々な強敵や、上位ランクの冒険者を間近で見てきた彼にとって、あり得ないことだった。実の所、ロイドは現役時代、Sランク冒険者として名を馳せたほどの実力の持ち主だったのだから、驚くのも当然だろう。


 もちろん、口を開いて驚いているのはジークリンデも同じである。いや、この映像を見ているギルド内にいた全ての人物が、そのあり得ない状況に絶句しているはずだ。ただ一人、エスメラルダを除いては。


 (やっぱり。無明さんなら間に合うんじゃないかって思ってた。けど、凄すぎる。それに、たぶんこの後の展開も……)


 エスメラルダは余りにも見覚えのある状況に苦笑するしかなかった。ただ、心配はない。出会ってまだ二日弱だが、無明という人物の出鱈目さは身に染みて解っているのだ。それは、ずっと隣で異臭を放っている姉を見れば一目瞭然だろう。彼に任せておけば、どんなことでも可能なのではないか?そんな錯覚をしてしまう程に、エスメラルダは無明の規格外っぷりを信じているようだった。









「あ、アンタは……さっきの」


「おお、間に合ったようでござるな。いやはや、このダンジョンというのはどうも空気が悪いでござるよ。風の流れを読んでここまで来たが、少し時間がかかってしまったでござる」


 にこやかに覆面の下で笑っている無明だが、顔が隠れているので笑顔は見えない。ただ、声のトーンで微笑んでいるのは解った。アルトは何が起こったのか理解出来ないようで、ただただ茫然と、無明の言葉を聞いていた。


「しかし、追い付いてみたはいいが、お主達、ボロボロでござるな?ああ、怪我をしておるのか。だが、その程度の怪我なら心配いらぬ。このどんな怪我も立ちどころに治す秘薬を飲めば問題無いでござる。味の方はちょっとマズいが、まぁ、死ぬよりはマシでござるからな。どれ、一人ずつ順番でござるぞ」


 無明はそう言うと、手近な所に倒れていたゾルの口を開け、小さな丸薬を放り込んだ。この薬は、あの時セバスに飲ませた方の薬だ。腹を刺されて瀕死の重傷だったセバスを一瞬にして回復させたのとまったく同じで、ゾルはカッと目を見開き、立ち上がっては前に後ろに倒れるほどの悶絶を始めた。


「え?な、なにをした?ぞ、ゾル、大丈夫か?!おいっ!」


「うむ、問題なく治っておるな。では、次……と」


 そのまま続けて、ベティとゴドルにも同様の薬を飲ませていく。気付けばあれほどの重傷に見えた三人はすっかり傷が癒え、代わりに七転八倒していた。呆気にとられるアルトとシアの隣で、無明はうんうんと頷いて、三人の回復を喜んでいるようだった。


「さて、後はお主ら二人か。……むむ?お主らは怪我をしておらんようでござるな」


「し、シアは魔力を使い切ってしまっただけなんだ!怪我はしていない。俺も、怪我は……ない。そ、それより一体、アンタは何者なんだ?!アイツらに何を飲ませた!?」


「飲ませたのは傷を癒す秘薬でござる。だが、生憎と病には効かぬし、拙者にはそのマリョクとかいうものが何だかよく解らんでござるからな。残念ながら、そちらの女性にょしょうに対して拙者が出来る事はないか。あ、気付薬ならあるでござるよ?薫風くんぷうのんどよりきたりて、一粒飲めば三日は眠れぬ。ついでに胃腸の調子も整う優れモノでござる。逆に調子が良くなりすぎて、食事を十人前くらい食べないと足りなくなるのが欠点でござるが。まぁ、死ぬよりはマシで……」


「い、いい!そんなもの要らない!」


「そうでござるか?まぁ、気が向いたらいつでも言うでござる。これはその辺の草からでも作れる簡単な薬にて」


「どういう薬なんだそれは!?」


 アルトは思わず絶叫するが、ツッコミがまるで追い付いていない。無明という人間を常識の尺度で当てはめようとすると、まず間違いなく相手にした人間の喉が潰されるだろう。エスメラルダが無明について、早々に深く考える事を止めたのは最適解なのかもしれない。


「さて、では落ち着いたら先に進もうではござらんか。なぁに、拙者こう見えて空気を読むのは得意でござるからな。拙者がいては邪魔だと言うなら、隠れ身の術で人知れずついていくことも可能でござるぞ」


「冗談じゃない!俺達は、もう……ここまでだ。こんな強力なモンスター達が出てくるようじゃ、試練などとてもクリアできそうにない。俺達はまだ、この五階層のボスにすら出会っていないんだぞ。この調子じゃ、どんな化け物が出てくるのか……」


「ふむ。バケモノというのはアレでござるか?」


「え?」


 無明がのほほんと指を刺した先には、巨大な怪物の頭があった。それは、この異世界に於いてももっともポピュラーで、強力無比なモンスターである。緑色に輝く美しい皮膚と、人間の大人二人ほどが手を広げても足りない大きな翼、そして、鎧を着た人間ですら易々と噛み砕き屠る巨大すぎる牙と爪の持ち主。


「さ、サファイアドラゴンッ!?バカな、こ、コイツが五階層のボスだというのか!?」


 そこにいたのはサファイアドラゴンと呼ばれる巨大なドラゴンである。アルトがその名を叫んだ途端、周囲は途轍もなく広い空間に変化していた。これだけの広さがあれば、全ドラゴン型モンスターの中でも屈指のサイズを誇るサファイアドラゴンでも苦も無く動けるだろう。そして、周囲の空間が変化した事から考えても、このサファイアドラゴンは試練のダンジョンによって生み出されたものだという事が理解出来た。しかし、それでもダンジョンコアがここまで突拍子もない事をするとは、誰も予想すらしていなかっただろう。これは、前代未聞である。


「おーおー、ずいぶんと大きなトカゲでござるなぁ!これは見事、絢爛かつ壮麗というもの!いやはや、良いものを見せてもらったでござる」


「何を言っているんだ……は、速く逃げなくては。サファイアドラゴンは、Sランク…いや、SSランク冒険者がパーティを組んでも討伐が難しいとされるモンスターなんだぞ?!こんなヤツがボスだとしたら、俺達で勝てるはずがない!」


「何を言う?とやらは、我々の力を完璧に見極めて敵を用意するのだと聞いたでござるよ。つまり、コイツは我々に倒せないバケモノではないのでござる。とはいえ、お主やお主の仲間達は手負い。となればここは一つ、拙者に任せてもらおうか」


「ふざけてる場合じゃ……っ!?」


 無明とアルトのやり取りを聞いていたサファイアドラゴンは、その巨大な口に恐ろしい程の猛火を蓄え始めていた。人語を解するほどの知能を持つドラゴンの中でも、サファイアドラゴンは、特に優秀な頭脳を持っている。二人の話を聞いただけで、無明が自分をという事はこれ以上ない程によく解った。この小さくちっぽけな人間が、たった一人で自分を倒そうと言っているのだ。それは最上級の侮辱であり、即時死刑執行を行うに足る理由であった。


「ルルルルル……ガ、オオオオオオッ!」


「も、もう、ダメだっ!?」


 その口から放たれたのは小型の太陽にも匹敵する巨大な火球であった。数万人規模の人口を持つ都市でさえ、たった一発で焼き尽くす竜の極炎が無明達に襲い掛かったのである。だが、誰もが目を疑ったのは、この後だ。


「……………………ほ、炎が、こない……?どうして、うぉっ!?」


 咄嗟にシアを抱きかかえて目をつぶり、衝撃に備えたアルトがいつまでも来ない炎を不審に思って目を開ける。すると、無明の目の前におびただしい程大量の水柱が上がって、火球を完全に打ち消していた。


「忍法……水遁の術・那異阿雅羅大瀑布ないあがらだいばくふ。その程度の炎で拙者を焼き殺そうなど片腹痛いわ、トカゲめが」


「なっ!なにいいいいいいいっ!?あれほどの火炎を水で防ぐだと!?それに水魔法とは、お前、魔法使いだったのか?!」


「マホウとやらではない、これは忍術でござる。拙者、あくまで忍びにて候」


「に、ニンジュツ……?ニンジュツとは、いったい……」


 驚くべき無明の技に、アルトも、シアも絶句している。しかし、最も呆然としていたのはサファイアドラゴンだった。今放ったのは、手加減したつもりなどなく、同種のドラゴンでさえ直撃すれば命の危機に陥るであろう究極の炎だ。それが、たかが水柱に打ち消されるなどあり得ない。この得体のしれない人間はなんなのか?何もかもが理解を超えた無明という存在に、サファイアドラゴンは怯え、逃げ出そうと翼をはためかす。


「おいトカゲ、逃げようとしても無駄でござるぞ。。拙者、こう見えて速いのが取り柄なのでな」


「ガ?……………………グ、グギャアアアアアッ!!」


 数呼吸ほどの間が空いた後、次々にサファイアドラゴンの身体に亀裂が走った。よく見れば、それは亀裂ではなく切断の痕だ。無明はサファイアドラゴンが敵だと判明したその時には、もうその身体を切り裂いていたのである。間もなく凄まじい轟音を立てて、無数の塊に分解されたサファイアドラゴンの身体が崩れ落ちた。無明は何事もなかったかのように、忍者刀を鞘に納めるのだった。

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