「リジェレのことなら心配無用。お主らの言う魔族というものが拙者にはよく解らぬが、少なくともあれは化生や魔物の類いでもなければ、悪性を持っている風でもない。少々、怠け癖のある所は問題だが、拙者にしてみればそこらの子供と大差ないでござるよ」
「……そうか、お前がそこまで言うのならいい。だが、もし何か問題が起きたら言ってくれ。出来るだけ力になるからな」
溜め息交じりにそう言って、ロイドはソファに腰を下ろした。ギルドマスターという立場からなのか、ロイドはリジェレを無明へ押し付けた形になってしまった事を悔いているようだ。もっとも、リジェレは勝手に試練のダンジョンに住み着き、勝手にそこを出てきて無明の元に居座っているのだからロイドに責任はないはずだ。そこに口出しできる権利があるとすれば、それは屋敷の主であるジークリンデやエスメラルダ達である。そして肝心の二人は、リジェレが無明の傍を離れないのならいいかと、奇妙な信頼感を持ってそれを許している。無明にしてみれば、そちらの方が気になる所だ。
「それで、ロイド殿の用件と言うのは何だったのでござるか?」
「ああ、そうだ。アイツの事が衝撃的過ぎて忘れる所だった。用ってのは他でもない、先日の冒険者登録の件だ」
ロイドは居住まいを正し、無明に正対する。ギルドマスターとしての風格を持った佇まいは、表情にも表れていた。
「お前がやった単独でのサファイアドラゴン討伐……ハッキリ言って、前代未聞の偉業だ。しかも、あれはあの時ギルドに詰めていた冒険者や職員全てが見ていたからな。なまじ話題のパーティが試練を受けると評判になっていただけあって、多くの人の目に触れたのがネックだった。あれでは無かった事にすることも出来ないからな。評価委員の意見としてはSSランクでも足らず、
「とりぷる?……何だか解らぬが、凄そうでござるなぁ」
「凄いなんてもんじゃないぞ!?仮にそんな認定が下りれば、国が黙っていないだろう。だが、ジークリンデ達から聞く所によると、お前は目立つ事を望んでいないようだったからな。それでずいぶん話し合いが紛糾して結論が長引いたんだよ。まったく……」
いまいち理解しきれていない無明のとぼけた様子に、ロイドはまた不覚溜息を吐いて、こう言った。
「検討の結果、お前は冒険者ランクBとして認定することになった。インフィニティ・レゾナンスの連中と同じだ。それ以上、低いランクにするのは不自然だしな。最低でもAランクにすべきではという意見もあったんだが……お前が望んでいないだろうと言って押し切った」
「そうでござったか。ロイド殿には迷惑を掛けてしまったようでござるな。かたじけない」
「い、いや!別にそこまでのことじゃない。気にしないでくれ」
ロイドはそう言ったが、実際には無明の冒険者ランクを決めるにあたって、相当揉めたらしい。
そもそもSSSランクの冒険者とは、ざっくり言えば国家レベルの災厄に対応できる人員を指すが、その力は諸刃の剣になり得るものである。国家の存亡を左右するだけの力を持っているからこそのSSSランクなのだから当然だ。もしもその力を、邪悪な方向に使われたら……その場合は途轍もない被害が出る事だろう。かつてこの世界で、魔王と呼ばれた魔族の王が暴れた時のように。
だが、ロイドがここまで見てきた感想では、無明は決して悪人ではなく、そうした危険性とは遠い人物に思える。しかし、ジークリンデの説明によると彼は切腹と称して自らの腹を切って責任を取ろうとする危うさがあるようだ。対応を誤って彼が敵対することも避けたいが、みすみす自殺されても困るのだ。その為に、最大限彼の要望を飲もうと、ギルドは考えた。極端な話、例えBランクのままであっても、彼の力そのものが変わる訳ではない。無明の優れた力が必要になるその時まで、隠しておいても問題ないだろうというのが、ギルドの出した結論だった。
「それよりだな、用件はそれだけじゃないんだ。実は折り入ってお前さんに一つ、頼みがある。コイツを見てくれ」
「む?……なんでござるか、これは。石ころ、のようにも見えるが……」
「これは、魔暴石化症の原因とされているものだ」
「魔暴石化症というと、先日ジークリンデ殿が罹っていたあれでござるな?」
「そうだ。どういう形であれ、これが人間や生物の体内に入ると魔力が暴走し、肉体が石化してしまうという厄介極まりない石なんだ。ただ、どういう訳かこれがある所には、必ずシャフレールの樹が生えている。……いや、逆か、シャフレールの樹が生えている場所にしか、この石は存在しないんだ」
「ふむ」
元の世界にはないその物質を、無明は興味深そうに眺めている。江戸時代頃のものとはいえ、無明は医術を学び人体についてそれなりに精通した知識を持っている。そんな彼にとって、その石は非常に興味を引く対象なのだろう。もしもこれが日本にあれば、暗殺もし放題である。忍びとしては目が離せないのも当然と言えた。
「問題なのは、ジークリンデがどうやってこれを摂取したか?だ。あれから詳しく話を聞いたが、アイツは発症する前にこの石があるような場所には近づいてさえいないという。これは口からか、もしくは傷口などから体内に入るかしない限り悪さをしないものだ。……妙だと思わないか?」
「つまり、ロイド殿はこう言いたいのでござろう。……何者かが、ジークリンデ殿にこの石を飲ませるよう仕向けたと」
「その通りだ。コイツは石のような見た目をしているが、一定の力を加えると簡単に砕けて粉末状に加工できる。しかも、匂いも無く水溶性で、少量を飲んだだけでも魔暴石化症が発症するんだ。対モンスター用の石化毒として、よく冒険者も使うくらいに効果が高いのさ」
「なんとまぁ、悪意しか感じない代物でござるな。自然の悪戯とはとても思えぬ。しかし、そうなると……」
無明が真っ先に思いついたのは、犯人がかなり身近にいるということだった。ジークリンデが外でこの石に近づいていないのなら、どこかで彼女がこれを服用したことになる。だが、ジークリンデは貴族だ。飲ませるにしても迂闊に何かを口にするとは思えない。それが出来るのは、よほど身近にいる人間だけだろう。そこまで考えて、ふとある結論に至った。
「もしや、エスメラルダ殿も狙われておるのか?」
「気付いたか、流石だな。ああ、恐らくそうだ。先日、お前さんが叩きのめして放置したという賊だが、後からギルドの方で捕まえて尋問した所、奴らは何者かに依頼されてエスメラルダを襲ったと自供した。何でも、彼女が少ない供回りを連れて森へ行くから、そこを襲えという指示だったらしい。そんな事が出来るのは、相当内部の情報に詳しい人間の犯行だろう。だが、肝心の黒幕に繋がる証拠がない。そこで、だ」
ロイドは険しい顔をして、無明に正対した。リジェレの事を危惧していた先程よりも更に緊張した面持ちである。そして、ロイドに深々と頭を下げた。
「どうか、あの二人を傍で守ってやってくれないか?犯人は屋敷の内部の人間だと確信しているが、当主がいない今、勝手に彼らを裁く訳にはいかない。俺はこの家に常駐する訳にもいかないし、確実に犯人でないと信じられるのはお前しかいないんだ。頼む、この通りだ!」
「頭を上げられよ、ロイド殿。拙者としても、彼女らには恩義があるのでな。命を狙われていると知って見捨てる事など出来ぬでござるよ。安心召されよ、拙者が身命を賭して、必ずや二人の
そう自信満々に言った瞬間、無明の脳裏に虚ろな影が走った。それは、失っていた記憶の欠片だろう。美しい着物を纏った美女が無明に向かって微笑んでいる。その笑顔を守る為なら何でもしようと心に誓ったのは、忘れてはならない事だったはずだ。だが、無明の記憶からそれらはほとんど失われていた。その美女が誰だったのか、自分とどういう関係だったのか、全く解らない。ただその胸に去来するのは悲哀と寂寥感ばかりだ。
その時、ゆらりと無明の背後に立つ影があった。ロイドがハッとして気付くと、その影は勢いよく無明に圧し掛かっていた。
「ずーるーいーのーだー!無明は私を守ってくれる人間なのにー!ジークリンデとエスメラルダだけじゃなくて、私も守ってくれぇー!」
「む、ぅ……わ、解った。解ったから離れるでござる。まったく、手のかかる子が産まれたようでござるよ」
「お前も大変だな。さっきも言ったが、何かあれば、遠慮なく言ってくれよ?」
「ああ、かたじけない。……しかし、ロイド殿は何ゆえジークリンデ殿らをそこまで気にかけるのでござるか?二人が領主の娘だとしても、些か肩入れが過ぎるようでござるが」
無明が問いかけると、ロイドはポカンとした顔をしていた。そして、ふと何かに気付いて苦笑する。続けて出てきたのは、思いもよらない言葉であった。
「ああ、二人から聞いていなかったのか。あの子達は俺の姪なんだよ、あの子達の父親は、俺の兄貴だ」