目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第15話 家族のように

 冷たい風が、顔に当たる。異世界の暦はまだよく解っていないが、恐らく今の季節は春の始まりか秋の終わり近くだろう。夜風の冷たさは、そんな芯のある冷たさだった。


「さて、行くとしようか。……しかし、お前、本当についてくるのでござるか?」


「ピィッ!」


 無明は、右肩の上に乗ったまま離れようとしない小鳥に向かって問いかけた。それは、昼間に無明の頭を啄んでいたあのチャロである。一体何故こんな事になっているのか、それは昼間、ジークリンデ達の様子を隠れて観察していた後の事だった。







 ――約十二時間程前、ライトニング家の屋敷。


「やぁ、ごきげんよう無明君。……色々と言いたい事はあるが、とりあえず見たままの疑問から片付けよう。その鳥はなんだ?」


「……さぁ?拙者にも何がなんだか」


 部屋に入るや否や、開口一番にジークリンデは無明に問い質した。何しろ、無明の肩には、昨日まではいなかった小鳥が乗っかっていて、しきりに彼の頭を啄んでいるのだ。無明は覆面をしているので、直接頭に傷はついていないだろうが、小鳥とはいえそれなりに鋭い嘴がコツコツと当たっていれば痛くないはずがない。その証拠に、覆面をしていても解るほど無明からは精気が無くなっているようだった。


「む、無明さん、ちょっと待って下さい……その鳥、もしかしてチャロでは?」


「チャロ?いや、拙者こちらの鳥にはとんと詳しくないのでござるからして……」


「その色合いと嘴の形、間違いありませんよ!うわぁ、私、チャロを生で見るの初めてです。かわいい……!」


 ジークリンデと一緒にやってきたエスメラルダは、チャロだと気付いた途端に無明の前に近づき、瞳をキラキラさせてそれに見入っていた。よほどこのチャロが気になるのだろう、まさに破顔という言葉がぴったりな笑顔である。


「ジークリンデ殿、チャロとはどういう鳥なのでござるか?」


「チャロは、かなり高所を飛んで生活する鳥の種族だよ。鳥類の中では格段に頭が良くて、飛ぶスピードも桁違いに速い。普通は、人の手が届く所まで下りてくることなんてない生き物なんだが……まぁ、無明君だしな」


「無明さんですしね……」


「え?拙者が悪いのでござるか?!」


 無明が悪いとは言っていないが、彼は何もかも出鱈目な男である。僅か数日の付き合いではあるが、既にジークリンデとエスメラルダの中では、無明が非常識なことをしても驚かない認識が出来上がっているのだ。そんなやり取りを見ていたリジェレが、ソファの上でつまらなさそうに呟く。


「そいつ、無明の魔力を食べてハマってしまったのだ。そもそも、チャロが高い所を飛んでいるのはそこが天敵のいない安全な場所だからなのだし、きっと無明の傍にいれば安心だと思っているのだ」


「ハッハッハ、そんなバカな。リジェレ、お主じゃあるまいし、鳥がそんな事を考えるはずが」


「いや、無明君だからな。あながち間違っているとも言えないような」


「ええ、無明さんですもんね」


「……うぅむ、今日も二人の信頼が痛いでござる」


「どうせそいつは子供だし、大きくなったら勝手にどっかへ飛んでいくのだ。そんなに長い間じゃないし、好きにさせておけばいいのだ。ふん!」


 どうやら機嫌が悪いのは、チャロが自分と被る立ち位置で現れたかららしい。見た目の通り、リジェレは子供なので拗ねてしまっているのだ。無明は小さく溜め息を吐いて、リジェレの頭を軽く撫でてやった。


「そうむくれるでない、リジェレ。こやつもお主も、拙者の手の届く内にいるなら必ず守ってやるでござる。……ただし、人に迷惑をかけてはならんぞ?」


「私はいつでもいい子なのだ!ヤクソクなのだ!」


「ピッピッ!」


「その子、言葉解ってませんか?……って、それより無明さん。傍においてあげるなら、名前くらい付けてあげましょうよ。ね?ね!」


 エスメラルダは本当にチャロが気に入ったのだろう。満面の笑みのまま、無明にずいっと身を乗り出すようにして圧をかけてきた。別にそこまでしなくても、と無明は言いかけたのだが、流石にエスメラルダの笑顔を目の当たりにすると断り切れないようである。一方、ジークリンデはエスメラルダが名づけと言った途端、一瞬、激しく動揺して硬直したように見えた。


「名前でござるか……ふーむ」


「無明さんが思いつかないのなら、私が考えましょうか?いい名前を思いついたんです!」


「べ、別に名づけなんてしなくてもいいんじゃないか!?リジェレも言っていたが、どうせ長く飼う訳でもないんだろう?」


「ええー!?お姉様、それはあんまりです!無明さんが守ると決めた以上家族なんですから、短い間でもちゃんとかわいい名前をつけてあげないと!」


「いや、それは……そうかもしれないが」


「ちなみに、エスメラルダ殿の考えた名前とはどんなのでござるか?」


「バッ……!?無明、余計な事を!」


 抗議するジークリンデの様子がなんだかおかしい事に気付いたものの、既に後の祭りである。エスメラルダはジークリンデを無視して、ニッコリと笑って答えた。


「この子はとても綺麗な色をしているので、シャシェルタマヒギィーノ十五世なんてどうですか!」


 室内を静寂が支配し、しんと静まり返った空気が張り詰めている。ジークリンデは顔を真っ青にしたまま顔を強張らせ、無明は理解が及ばずに固まってしまっていた。


「な、なんと?申し訳ない、エスメラルダ殿。よく聞き取れなかったでござる。もう一度、お願いできるかな?」


「はい、シャシェルタマヒギィーノ十五世です!」


「………………」


 聞き間違いではなかったと、無明は言葉を失った。ちなみに、シャシェルタマヒギィーノは、この世界で二百年程前に実在した洒落者の貴族である。審美眼こそ抜群だったものの、それを帳消しにするほど大変な浪費家な人物だったようで、家督を継ぐとあっという間に金を使い果たして借金まみれとなりシャシェルヒギィーノ家は取り潰しになったという伝説が残っている。名前の呼び辛さもさることながら、人間としてもどうかという悪例の最たるものだ。そんな名前を付けようとするエスメラルダは、ネーミングセンスが抜群に悪かった。


「え、エスメラルダ。お前の考える名前はとてもユニークで素晴らしいが、その……に、人間の名前をつけるのはどうだろう?被るかもしれないし、あまりよろしくないんじゃないか?」


 そんな名前が被ってたまるかとその場の誰もが思ったのだが、敢えて口に出したりはしない。ジークリンデが気を使ってみせた通り、誰よりも優しく、優秀なエスメラルダのただ一つの弱点をこき下ろす非情なものなどここにはいないのだ。


「ええ!?そうですか?かわいい名前だなと思ってたのに……じゃあ、無明さんならどんなお名前をつけますか?」


「せ、拙者でござるか?そうでござるなぁ……」


(この男の事だ、さぞかし突拍子もない名前を付けるんじゃないだろうか。マズいな、エスメラルダと同じタイプだったら始末に負えないぞ……)


 勝手に最悪な予想をしたジークリンデはハラハラと落ち着かない様子である。当の無明は名付けを求められ、考えを巡らせていた。


(名付けか、懐かしいでござるな。そう言えば、息子達の名を考えた時に、も……息子?拙者に息子……あ、頭が……っ!?)


 過去を思い出そうとした時、無明は決まって頭痛を感じていたが、今回のそれは今までで一番の痛みをもたらしていた。信じられないほどの激しい痛みが起こり、胃の中身が逆流しそうな不快感を呼ぶ。見えているのに見えていない視界の中では、赤ん坊を抱いた女性と小さな赤子の姿があった。思わずそれに手を伸ばした時、誰かの声が聞こえた気がした。


 ――今はまだ、その時ではありません。あなたには、もう少し時間が必要です。お忘れなさい、


 (だ、誰だ?この声は、一体……拙者に、何が……!?)


 「――うさん、無明さんっ!」


「はっ!?」


 気づけば、無明の身体をエスメラルダが心配そうに揺すっていた。今見たものは何だったのか?聞こえた声は何を意味しているのか?何も解らないが、いつの間にか頭痛は消えて視界はクリアになっている。目の前にいるエスメラルダを落ち着かせるべく、無明はその肩に手を置いて優しく答えた。


「心配かけてすまぬでござる。ちょっと集中して考え過ぎてしまったな」


「そんな……」


 ウソだと、エスメラルダは思った。集中し過ぎたという状態ではなかったのは、彼女だけでなくジークリンデもリジェレもそう勘付いていたようだ。だが、何事もなかったように振る舞う無明の様子に、それ以上、何も言えないようだった。


「ハヤメ」


「え?」


「ハヤメというのはどうだろうか。こやつ、速いのでござろう?なぁ、ハヤメ」


 無明が問いかけると、肩に乗っていたチャロは嬉しそうに目を細めて大きく鳴いた。どうやら気に入ったようである。こうして、ハヤメは無明の新しい仲間になったのだった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?